奈落の対峙


「コケーーーー!?」


「そんな……どうしてっ!?」


「てめぇには最後まで付き合って貰うぜ……地獄の底までなぁああああああああ!!」


 油断していたと。

 そう自覚したときには遅かった。

 

 加速力を乗せたスレーグディの捨身の体当たりを受け、イルレアルタは断崖絶壁へと落下。

 切り立った山脈の闇に飲み込まれていく。


「どうしてこんな!? 降伏するって言ったのに!!」


「降伏はしたさ……! けどな……負けは負けでも〝負け方〟ってもんがあるんだよ!!」


 落下による浮遊感の中。

 それでもシータはすぐさまイルレアルタの操縦桿を操作。

 体勢を立て直し、せめて高空からの落下を防ごうとあがく。


「飛翔船が三隻に天契機カイディルが五機……これだけの戦力があって、〝なんの戦果もなく降伏しました〟なんてのは通らねえ……! 実際はどうだろうと、命欲しさに降伏するような臆病者は、帝国じゃ生きていけねぇんだ!!」


「それなら、あなたたちみんなでこの国のお世話になればいいじゃないですか! すぐには無理でも、女王様ならきっと――!!」


「馬鹿が! 俺を信じてついてきた奴らには、〝帝国に残してきた家族〟が山ほどいるんだよ!! 親だ、嫁だ、生まれたばかりのガキだっているだろうぜ……今も帝国にいるそいつらのためにも、てめぇには俺たちの〝目に見える戦果〟になってもらう!!」


「家族……っ?」


 スレーグディの組み付きから逃れようと、シータは必死にイルレアルタの操縦桿を動かす。

 しかしスレーグディとローガンの執念はイルレアルタの抵抗を意に介さず、抑え込んで離そうとしない。


 ローガンの言うように、降伏による全面敗北はただの敗北とは大きく異なる。

 兵は捕虜となり、随伴していた兵器も全て奪われる。

 およそ考え得る敗北の中で、最も避けるべき負け方だ。


 たとえ剣皇けんおうがどのような判断を下そうと、周囲の高官たちは、エリンディアに降伏した氷槍騎士団ひょうそうきしだんを無様な裏切り者と見なすだろう。


 そうなった時、帝国に残された騎士団の家族がどのような扱いを受けるか……それは火を見るより明らかだった。

 

「だが〝騎士団長のローガンは最後まで戦い、星砕きと相打ちになりました〟なら話は違う……! 俺たちを裏切り者だなんだと罵る奴も少しは減るだろうぜ!」


「裏切り者だなんて……! 僕にだって、あなたたちがどれだけ必死に戦っていたのかはよくわかります! それを帝国の人たちが信じないなんて……!」


「ハッ! いかにも世間知らずのガキが言いそうな台詞だぜ。俺はてめぇとは違う……部下の命も、そいつらの家族の命も背負って戦ってきた!! てめぇみたいなガキとは覚悟が違うんだよ!!」


「そんな……!」


 まるで一秒が数分にも引き延ばされたような感覚。

 その中で叩きつけられたローガンの理由に、シータは激しい衝撃を受ける。


 シータに血縁はいない。


 シータの家族は彼が物心つくよりも前に戦乱によって命を落とし、両親の旧知であったエオインが親代わりとなって一人残されたシータを育てた。


 シータにとって、家族と呼べる存在はエオインだけ。


 だがそのエオインもまた帝国の手で殺され、今のシータが精神的繋がりを感じられる相手はこの世界でナナだけだ。


 その事実に思い至った時。

 シータはそこで初めて、今の自分がいかに小さく脆弱な存在であるかに気付く。


 なんの拠り所もなく。

 心の支えも、他者との繋がりもなく。

 ここでシータが死んだとしても、それを悲しむ者など誰もいない――。


「コケー! コケコケ!!」


「ナナ……っ」


 このままでは死ぬ。

 次の瞬間にも機体ごと地面に叩きつけられ、全てが終わるかもしれない。


 しかしスレーグディは離れない。

 命すら捨てて仲間のために戦うローガンの覚悟に、シータの心が……イルレアルタが押されていた。


「死ね、星砕き……! 俺たちが……いや、あいつらが帝国でようやく手に入れた自由と誇りのために……てめぇは俺とここで死ぬんだよッ!!」


「お師匠……僕は……っ」


 動けなかった。

 もはやシータは何も出来ず、このまま奈落への激突を待つことしかできない、そう思われた。だが――。


「だぁああああああああああああああああ――!!」


「なんだ!?」


「……っ?」

 

 だがその時だった。

 遙か彼方の高空から現れた巨大な影が、イルレアルタとスレーグディめがけて舞い降りる。


「コケコケッ!?」


「まさか……リアンさん!?」


「居眠り女だと!?」


「やっと追いついたぞ! 無事か、シータ君!!」


 現れた純白の機体。

 それはエリンディアの守護神、ルーアトラン。


 ルーアトランは風の翼による加速で自由落下速度を上回り、イルレアルタを追いかけてきたのだ。


「ど、どうして……? どうしてリアンさんが!?」


 だが今のシータには、どうしてリアンがここに来たのかが〝わからなかった〟。

 しかしリアンはシータの問いに逆に驚き、さも当然というように言い返す。


「どうしてって……君を助けに来たに決まってるだろう!?」


「僕を助けに……? でもそんなことをしたら、リアンさんまで危ない目に!!」


「そんなことはどうでもいい! 君は私の大切な友だちだ!! 出撃前にそう言ったじゃないか!!」


「とも、だち……っ」


 瞬間、ルーアトランの眼孔が力強く輝く。

 風の翼によって更に速度を増したルーアトランは一瞬にして二機を射程に捉え、腰の長剣を抜き放つ。


「私は友である君を守ると誓った! 先ほどは不甲斐ないところを見せてしまったが……私は一度誓ったことをぽいぽい破ったりはしないっ!!」


 一閃。


 追い抜きざま、ルーアトランの斬撃がスレーグディの腕を両断。イルレアルタの解放に成功する。


「ちくしょう……っ! あと少しってところで……!」


「掴まれ、シータ君!!」


「は、はいっ! でも……っ」


 自由の身となったイルレアルタがルーアトランの手を取る。

 しかし同時に……シータはゆっくりと離れていくスレーグディに向かい、思わず〝イルレアルタの手を伸ばしていた〟。


「っ……! お願いですリアンさん……! 僕は……あの人に死んでほしくなくて……っ!!」


「シータ君……!?」


 どうしてそんな言葉を口に出したのか。

 それはシータにもわからなかった。

 しかし混乱する状況と心のままに、シータは我知らずローガンの助命をリアンに懇願していた。そして――。


「わかった……そういうことなら、少々手荒くなるぞ!」


「て、てめぇ!? なにしやがる!?」


「すまんが、私の頭ではこれ以外にいい方法が思いつかなかった! 〝死ぬなよ〟……帝国の騎士!!」


 次の瞬間。

 ルーアトランはスレーグディを下敷きにするようにして崖の壁面めがけて急加速。


 イルレアルタもろともにスレーグディを崖に叩きつけ、三機は装甲をズタズタに破損しながらも壁面に沿って徐々に減速。


 谷底に叩きつけられる寸前で、ついに停止した――。


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