居眠りの騎士
澄み渡る青空を寒冷な風が吹き抜けていく。
そこは、大陸中央から遠く離れた山脈地帯。
普段なら人よりも高原を駆け回る山羊や羊を多く目にするこの地方で、それは起きていた。
「帝国だ!! 帝国軍が攻めてきたぞ!!」
「帝国の前衛は
「みな城内に急げ! 逃げ遅れた者はいないか!」
響き渡る悲鳴。
ようやく雪解けを迎え、雪の下からまばらな緑が覗く高原。
運べるだけの荷物や羊といった財産と共に、住む場所を追われた人々が、山脈の中程に見える王都に向かって逃げていた。
ここは、建国から三百年という歴史を持つ大陸北端の小国。
エリンディア王国。
険しい山脈沿いにあるこの国は、高地による天然の要害と、それを利用して建設された三重の防壁によって今日まで平和と独立を維持してきた。
「なんと脆弱な。難攻不落が聞いて呆れる」
「帝国で最も寒冷地での
逃げ惑うエリンディアの民を悠々と追い詰めるのは、暗い
共に盾と槍、そして左肩に大型の弩弓という共通の武装を持ち、機体の背からは高々と、〝漆黒の下地に氷獣の紋章が描かれた金縁の戦旗〟が掲げられている。
それはまさしく帝国氷槍騎士団の旗。
拡大を続けるアドコーラス帝国は、ついに辺境の古国エリンディアにも侵攻の手を伸ばしたのだ。
「待て待て待てーーい! それ以上我が国の土を踏むことは許さんぞ、帝国軍!!」
だがその時。
なだらかな山岳地帯の一角から、勇ましい少女の声と共に空色のケープをたなびかせた純白の天契機が現れ、帝国軍の前に立ち塞がる。
「何者だ!?」
「その機体色……貴様がエリンディアの守護神か!」
「私の名はリアン・アーグリッジ! エリンディアの守護騎士にして、護国の天契機ルーアトランの契約者だ!!」
勇壮な名乗りと同時。
リアンと名乗った女騎士は、ルーアトランの腰から〝白銀の長剣〟を抜き放つ。
護国の天契機ルーアトラン。
辺境の小国であるエリンディアを、三百年もの間たった一機で守り抜いてきた〝純レンシアラ製の天契機〟である。
白一色の美しい機体にはところどころ金色の意匠が施され、高原の風になびく空色のケープは蒼穹を思わせる。
天契機としては標準的なサイズに、堅牢でバランスの取れた装甲。
一見すると扱いやすそうな機体だが、〝武装は腰の長剣一振りのみ〟という乗り手を選ぶ機体として知られていた。
「見てママ! ルーアトランが来てくれたよ!!」
「偉大なる我らの守護神!!」
「頼んだぞ、リアン!!」
「みんなは早く城の中に逃げてくれ! 帝国の天契機は私とルーアトランが引き受ける!!」
国と民を守るべく現れたルーアトランの勇壮な立ち姿に、エリンディアの人々は一斉に歓声を上げた。
「リアンだと? なるほど……その天契機に乗っているのは、噂に聞く怠惰の騎士であろう!」
「国の守護を任されておきながら、隙あらばぐーぐーと眠りこける居眠りの騎士……貴様の悪名は、我らの耳にも届いているぞ!!」
「なーはっはっは! さすがは帝国軍、物知りだな。確かにお前たちの言うエリンディアのうたたね騎士とは私のことよ! しかし――!!」
瞬間。ルーアトランは背面部から翼のような構造を展開すると、影すら残さずその場から消えた。
「な……!?」
「んだ、と……!?」
「――起きている時の私は悪夢のように強い。今さら知っても遅いだろうがな」
一閃。
一瞬で視界から消えたルーアトランが次に現れたのは二機の後方。
雷鳴の如き速さで二機を同時に両断すると、ルーアトランは折れた戦旗と共に高原に沈む敵機に向かって静かに残心した。
「ふむ。実は天契機で戦うのはこれが初めてだったのだが……案外なんとかなるものだな!!」
その初陣を華々しく飾り、天契機を操るためのヘルメット越しでもわかる美しい銀髪の騎士――リアンは、ルーアトランの操縦席で満面の笑みを浮かべた。
事実、リアンはつい先日ルーアトランの操縦権を先代から継承したばかりだ。
その類い希なる剣と天契機操縦の才よりも、度を超えた居眠り魔であることばかりが世間に
「さて! ではこのまま帝国軍を蹴散らしてやるとするか。その後はまたお昼寝だ!!」
「気を抜くなリアン! まだ何か来るぞ!!」
「むむっ!?」
勢いに乗るリアンに、ルーアトランの足元から同郷の騎士達の警戒を促す声が届く。
「あれは……」
リアンがルーアトランの視線を向けた先。
そこには鯨によく似た空飛ぶ巨獣を馬車のように船に繋いで飛行する、帝国
「あーあー……聞こえるか? 俺はアドコーラス帝国、氷槍騎士団団長のローガン・オブラッズ。まんまと〝こっちの狙い〟にはまってくれたみたいだな」
「あれは〝
「てめぇらの城がクソほど頑丈なのは知ってる。だがいくら固い城の中に籠もろうが、空から攻めれば意味ねぇよなぁ?」
はるか上空を飛ぶ飛翔船から、氷槍騎士団を率いる男の声が辺り一帯に響き渡る。
なんということか。
たった今リアンが撃破した二機の天契機は、エリンディアの人々を堅牢な城塞の中に追い込み、一網打尽にするための〝猟犬〟だったのだ。
そしていかにリアンとルーアトランが強力だろうと、それはあくまで地上での話。
天契機のはるか頭上を飛ぶ艦隊に斬り込むことは、どう足掻いても不可能だった。
「今からその城を空から焼き尽くす。この国は念入りに焼いとけってのが陛下のご命令なんでな」
「ぐぬぬ……卑怯だぞ帝国軍!! 降りてきて私と戦えーー!!」
握りしめた剣をぶんぶんと振り回し、リアンはルーアトランと共に必死に抗戦の意志を見せる。
しかし帝国艦隊はそんなものには目もくれず、ゆっくりと難攻不落の王都上空へと迫っていった。だが――。
「あん?」
「なにっ!?」
だがその瞬間。
エリンディアに迫る艦隊の一隻が、突如として山間から放たれた
「さ、三番艦被弾!!」
「空鯨との連結部に直撃!! 残る一つの連結を破壊されれば沈みます!!」
「ざっけんじゃねぇ!! エリンディアに飛翔船を落とせる武器があるなんて聞いてねぇぞ!?」
「そう言われましても……!」
突然の攻撃に、帝国艦隊は大混乱に陥る。
ローガンはすぐさま事態の把握と混乱の収拾に動くが、その弓はそれを待ちはしなかった。
「二射目……来ます!!」
「くそがぁああああ――!!」
閃光再び。
一射目で船を運ぶ二頭の空鯨の片方から切り離されていた三番艦は、間を置かず放たれた二射目を受けて完全に空鯨との連結を喪失。
被弾した部位から激しい黒煙を上げながら、白く輝くエリンディアの山間に轟沈した。
「私たちを助けてくれたのか? しかし、いったい誰が……」
想定外の攻撃を受け、一目散に撤退する帝国艦隊の姿を呆然と見やりながら、リアンは祖国の窮地を救った〝矢の主〟に思いを巡らせた――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます