名乗り

天契機カイディル……?」

 

「この天契機は……まさか!?」


 燃えさかる炎と月の光。

 二つの光に照らされて立つ灰色の天契機。


 細身の体躯は光沢のある暗い灰色に塗り込められ、装飾のような物は一切ない。

 頭部には兎の耳にも似た突起が突き出し、首元から背面にかけて褐色のケープを纏う。

 手には体色と同じ長弓を持ち、背には奇妙な形の矢筒を背負っている。

 

 突然現れた正体不明の天契機に救われたシータは、そびえ立つ巨大な背中を呆然と見上げていた。


「面白い……! どうやら〝搭乗者は不在〟のようだが、まずは貴様の正体を確かめさせて貰うぞ!!」


 混迷を極める戦場。

 先に動いたのは、漆黒の天契機を操る帝国騎士だ。

 騎士は裂帛れっぱくの気合いと共に、微動だにしない灰色の天契機に斬りかかった。


「ぐ――っ!?」


 だがしかし。

 騎士の一撃が巨人に届くことはなかった。

 一瞬にして構え、放たれた〝閃光の矢〟が漆黒の天契機を正面から弾き飛ばしたのだ。


「す、凄い……っ」


 敵機を退けた灰色の天契機が、今度はシータの方に向き直る。

 それを見たシータは思わず身をすくませるが、灰色の天契機はゆっくりと地面に膝を突き、巨大な手をシータに差し伸べた。


「コケーー!? コッコッコッ!」


「乗れっていうの……?」


 当然、天契機がシータの問いに答えることはない。

 だがシータはその天契機の行為に何かを感じ取り、差し出された手を恐る恐る取った。

 灰色の天契機はそのままシータの体をそっと引き上げると、自らの胸部装甲を解放してその中へと導く。


「これが、天契機の中……?」


 乗り込んだシータとナナの後方で装甲が閉じ、それと同時に、操縦席の前方に機体外部の映像が投影される。


 そこは、狭く薄暗い天契機の操縦席。

 中央には古びた座席が一つ。

 木製の壁面には、真鍮しんちゅうで作られた用途不明の装置がずらりと設置されていた。


「コケー? コケコケ?」


「ぼ、僕にもわからないよ……そもそも、僕はお師匠が天契機を持ってたことも知らなかったし……」


「動かせるのか?」と問うように鳴くナナに、シータは困惑で応じた。


 だが今は考えている暇はない。

 こうしている間にも、帝国の天契機が襲いかかってくるかもしれないのだ。

 シータは一度操縦席をぐるりと見回し、辛うじて使い方が想像できる〝ゴーグル付きのヘルメット〟を身につける。すると――。


「うわあ――っ!?」 


 瞬間。ヘルメットを被ったシータの脳内に、凄まじい量の〝情報の津波〟が押し寄せる。

 ヘルメット越しに流れ込んできたそれは、この灰色の天契機がくぐり抜けてきた〝無数の戦いの記憶〟だった。


 祖国のために命を捨てた者がいた。

 愛する者のため、最後まで戦った者がいた。

 この機体と共に戦った、無数の戦士達の思い。

 その断片を、シータは一瞬にして垣間見たのだ。そして――。


「イル、レアルタ……? 君の名前は、〝イルレアルタ〟……!」


 イルレアルタ。

 それがこの灰色の天契機の名。


 繋がったかつての戦士達の記憶の先。

 その名に辿り着いたシータはそこで、今もこの機体に残る〝最も熱く鮮明な光景〟を見た。


「〝お師匠〟……?」


 天を引き裂き、墜ちる星。

 全てを無に帰す破滅の星。


 イルレアルタは、確かにそこに立っていた。

 まだ若き日の師、エオインと共に。

 天から墜ちる破滅に向かってまっすぐに矢をつがえ。

 その弓で滅びを撃ち抜かんと対峙する。


 その壮絶な光景は、過去を話したがらなかったエオインが、気まぐれに語ってくれた武勇伝と完全に一致していた。


「星砕きの伝説……なら、やっぱり君がお師匠の!」


 無数の記憶が過ぎ去った後。

 もはやシータに迷いはなかった。

 シータは古びた操縦席に座り直すと、左右に突き出す操縦桿を握りしめる。


「ありがとう……君はお師匠の声を聞いて僕を助けに来てくれたんだね。お師匠は、最後まで僕のことを……っ」


 ゴーグルの奥の瞳に涙を浮かべ、しかしシータはもう生を諦めてはいなかった。


 垣間見た記憶を頼りに操縦桿を操作し、足元にある二つのペダルを力強く踏み込む。

 するとゴーグル越しにシータの視界がイルレアルタの視覚と接続され、目の前に広大な森と天穹てんきゅうの星空が広がった。


「コケ! コケーーーー!!」


「出来る……僕にも、君を動かせる!!」


 シータの操縦を受け、イルレアルタの眼孔が青く燃える。

 細く鋭い両足が地鳴りを起こして大地を踏みしめ、起き上がった巨体が纏う褐色のケープが、燃えさかる森の風にたなびいた。

 

「――どうやら、機体の継承は終わったようだな」


「っ!?」


 その声はイルレアルタの背後から。

 見れば、そこでは漆黒の天契機がすでに体勢を整えて立っていた。


「まさか、僕を待っていてくれたんですか?」

 

「私はほまれある帝国の騎士。無人であればともかく、戦う意志を持つ者の背後を襲うような無粋な真似はしない」


 帝国の騎士は堂々とそう言い放つと、大地に突き立てた愛機の大剣を悠然と引き抜く。


「我が名は黒曜騎士団こくようきしだん団長、ガレス・ダイン・ロースィフト。天契機の名はクロハドルハだ。騎士の礼に則り……名乗るがいい、少年!!」


「名乗れって……」


 大剣の切っ先をイルレアルタに向け、帝国の騎士ガレスはシータに名乗りを求める。 

 それを受けたシータは内心感謝しつつも、〝なんて身勝手な物言いだろう〟と怒りを覚えた。


 騎士の誉れ。

 騎士の使命。

 狩人であるシータには到底及びも付かぬ勝手な価値観。

 そんな勝手な言い分で、師は殺されたというのか。


(だけど……!)  

 

 たとえ決意を固めても。

 たとえ怒りを覚えても。

 シータの心は今も深い悲しみに沈んだままだ。


 これからもずっと……大好きな師やナナと一緒に、静かで暖かな日々を送れるものと信じていたのに。


 どうして師は何も話してくれなかったのか?

 どうしてこんなことになったのか?


 今のシータには、あまりにもわからないことが多すぎた。だが、それでも――。

 

「……僕の名前はシータ・フェアガッハ。星砕きの矢、エオインの一番弟子です!! そして――」


 それでも、シータは生きると決めた。

 たとえ今は何も見えなくても。

 最後までシータの行く末を案じた師の言葉を胸に。

 師に育てられ、その技と想いを受け継ぐ弟子として。

 どこまでも生きて、戦い抜くと決めた。


「そして……この天契機の名前はイルレアルタ! お師匠が僕に遺してくれた……最後の力だ!!」


 燃え落ちる夜の森。

 星空の下、対峙する漆黒と灰の天契機。

 シータは溢れそうになる涙を懸命にこらえ、嗚咽混じりにその名を叫んだ――。



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