4-2 真似っこシュート

 翌日。三、四時限目の体育の授業。

 由依ゆい茉莉亜まりあたち一年C組の女子生徒は、一年B組の女子生徒と一緒にジャージ姿でグラウンドに集合していた。


 各クラスの女子生徒は大体二十人前後で、男女別で行う体育では人数が少なすぎる。

 そのため、この学校では基本的に体育は二つのクラスが合同で授業を受ける方式になっている。


「昨日のサッカー、みんな見たか? 快勝だったな!」


 チャイムが鳴り終えるを待って、体育の教科担任である柿沢かきざわ先生が場を温めようとそんな発言をした。

 すると、C組の女子の中心人物、双葉ふたばがすかさずツッコミを入れる。


「私は見てないから知らないで〜す」


 それに続いて他の生徒も「私も〜」や「ウチらがサッカーとか見るわけないっしょ」と口々に言い始め、グラウンドが笑いに包まれる。


「そうか、最近の女子はあんまりサッカー見ないのか」


 女子生徒たちの冷ややかな反応に対して、柿沢先生はやや残念そうな表情を見せたが、すぐに気持ちを切り替えて授業を開始する。


「まあ別に、お前らが見ていようがいまいがどっちでもいいが、今日はサッカーをやるぞ。まずは準備運動な」


 柿沢先生の指示の後、私たちは隣の人とぶつからないように前後左右に広がった。

 屈伸や伸脚、上体の前後屈などを行い、体温を上げるとともに筋肉や関節をほぐしていく。


「いきなり激しく動くと怪我するから、サボらずちゃんとやれよ。特にそこ!」

「はぁ? ウチ、ちゃんとやってっし!」


 ゆっくりと歩いて見回りながら、柿沢先生が一人の生徒に向かって注意をする。

 怒られたのは、C組のクラスカーストの一軍で双葉に次ぐ地位に就く鳩ヶ谷はとがや乃愛のあ。金髪でメイクやネイルもばっちり決めた、とにかく見た目が派手ないわゆるギャルである。


 由依はそれほど関わりは無いが、乃愛がクラスや学年問わず男女から人気なことは知っている。

 教師からは目を付けられがちだが、きっと外見から受ける印象ほどの問題児ではないのだろうと由依は勝手に思っている。


  とまあ、なんやかんやありつつも準備運動を終え、今日の体育の本題へ。


「チーム分けはシンプルにB組対C組でいいな? 一応B組のサッカー部の奴は手加減してやれよ?」


 クラスごとに分かれて、生徒たちがグラウンドの左右に散らばる。

 そして、話し合いによって決められたスターティングメンバーの十一人が配置につき、ベンチメンバーがピッチ外へ出たところで試合開始。


 ピーッと柿沢先生が笛を鳴らすと、B組の女子サッカー部所属の子が最初にボールを蹴った。

 そのパスを受けたのは、もう一人の女子サッカー部員。すかさずドリブルで前へ運ぶ。


 神戸かんべ藍奈あいな広島ひろしまみや。

 他の生徒には見向きもせず、二人だけで攻撃を仕掛けてきた。


 まあ、B組として勝ちを目指すなら当然の戦い方だ。

 この二人はそもそも、サッカー推薦で入学してきたサッカーエリート。未来のなでしこ候補なのだから。


 藍奈とみやは小気味よくパス交換をしながら、こちらのゴールへと迫る。


「みや、パス!」

「オッケー藍奈、決めちゃって!」


「あ、あわわ……」


 ディフェンダーのポジションにいたあんが慌てている間に、ゴール前に抜け出した藍奈にボールが渡った。


 キーパーとの一対一。

 ゴールを守ってくれているクラスメイトには悪いが、正直どこにシュートを打ってもセーブされることは無いだろう。


「ほいゴールっと」


 そんな自由に狙える状況の中、藍奈はボールを軽く浮かせて、キーパーの頭上を越えるループシュートを放った。

 美しい放物線を描いたボールが、クロスバーぎりぎりを通過してネットを揺らす。


「B組、一点目! お前ら、少しは手加減しろっつったろ?」


「ナイス藍奈!」

「じゃあ次はみやにあげるね」


 呆れたように言った柿沢先生を横目に、二人は笑顔でハイタッチを交わすとゆっくり自陣へ戻っていく。


 その姿を見て、気に入らないといった様子で理緒りおが愚痴をこぼした。


「マジかよアイツら。素人相手に大人げねぇなぁ、全く」

「きっとお二人からしたら、わたしたちなんてお人形さんが立っているようなものなのでしょうね」


 瑞穂みずほは力の差を改めて痛感したのか、弱気な発言を口にする。


 今のループシュートは完全にわざとだ。他に簡単なコースはいくらでもあったのに、私たちに見せつけるためだけにあえて難しいプレーを選択した。

 C組の心を折りたかったのか、はたまたナメているだけなのか。理由は分からないけれど。


 そのことにサッカー観戦が好きな茉莉亜は当然気が付いていた。


「やり返す……」

「え?」

「今のループ、そっくりそのままお返しするわ。由依、リスタートしたらすぐに私にボールを渡しなさい」


 茉莉亜の琥珀色の瞳が、淡く光る。

 どうやら魔女はお怒りのようだ。


「はいはい、分かった」


 センターサークルから試合再開。

 由依は言われた通り、茉莉亜の足元に向かってボールを蹴った。


 しかし、パスが少し弱かったらしい。

 茉莉亜がボールを収めようとしたとした瞬間、全力でスプリントしてきた藍奈に掻っ攫われてしまった。


 そのまま、サッカー部コンビの高速カウンターが発動。

 藍奈が右サイドに持ち出す動きと連動して、みやが全速力でゴール前へと駆け上がる。


 そして、みやが飛び込んでくるタイミングに合わせて、藍奈が浮き球のピンポイントクロスを送ると。


「も〜らいっ!」


 みやのヘディングシュートが豪快にネットに突き刺さった。


「ナイシューみや!」

「いや、今のは藍奈のクロスに合わせただけだよ」


 呆気なく、あっという間の二失点目。


「あちゃ〜。これは勝てそうもないかなぁ……」

「こんなん無理に決まってるっしょ! あの二人さっさと交代させろし!」


 諦めムードの双葉と、苛立ちを募らせる乃愛。

 開始数分で失点を重ねる展開に、C組の雰囲気はもうすでに最悪だ。


「ごめん、茉莉亜……」


 私のせいで失点してしまった。

 由依が最初のパスが弱かったことを謝ると、茉莉亜は首を横に振った。


「いいえ、今のは私が油断しただけ。あなたが気にすることはないわ。……ほら、まずは一点返すわよ。まだ前半なんだから」


 そう告げて、センターサークルに向かう茉莉亜の目は真っ直ぐに前だけを見据えていて。

 ここから逆転して、絶対に勝ってやる。そんな強い意志が伝わってくる眼差し。


「……ありがとう。もう一回やるね」

「ええ、お願い」


 真ん中にボールが置かれ、柿沢先生のホイッスルでリスタート。


 先ほどと同様に猛然とプレッシャーをかけてくる藍奈を確認して、由依は二度同じミスは犯すまいと今度は強くボールを蹴った。

 これが無事に茉莉亜の足元に収まる。


 茉莉亜は寄せてきた藍奈を躱して、一度近くにいた理緒へとパス。

 自らは前方へ駆け上がりつつ、ボールを受けた理緒に指示を送る。


土屋つちやさん、天王寺てんのうじさんに出してちょうだい!」

「……お、おう!」


 いきなりボールを渡されて戸惑っていた理緒だったが、茉莉亜の声を聞いてすかさずペナルティアーク手前に立っていた瑞穂にグラウンダーの縦パスを入れる。


 瑞穂にボールが渡った。


「茉莉亜ちゃん、私はどうすれば?」


 続けて茉莉亜は、ボールを受けた瑞穂に対して相手ディフェンスラインの背後にボールを出してほしいと要求。


「分かりました!」


 瑞穂が蹴ったボールが、裏に抜け出した茉莉亜の足にぴたりと収まる。


 完璧なトラップで速度を落とすことなく、茉莉亜はそのままの勢いで前進。

 気が付けば相手ゴール前、キーパーとの一対一の状況が作り出されていた。


 これはC組の一失点目の場面とほぼ同じシチュエーションだ。

 まさか、茉莉亜は狙ってこの展開に持ち込んだ? だとしたら……。


 センターサークル付近から眺めていた由依は、恐ろしいことを想像してしまって全身に鳥肌が立つ。

 そしてその想像、もといあり得ないと思われた予想は、すぐに現実となった。


「はい、お返し」


 茉莉亜がふわりと浮かせたボールが、相手キーパーの頭上を越えてゴールに吸い込まれる。

 藍奈がやったのと全く同じ軌道のループシュート。


「あら、意外と簡単じゃない。割と再現性のあるプレーなのね」


 涼しい顔で振り返った茉莉亜に、一瞬時が止まったように静寂に包まれていたグラウンドがドッと沸き上がった。


「茉莉亜ちゃんすごい! もしかして藍奈ちゃんの真似をしたんですか?」

「マジヤバい! まりまりヤバすぎるって!」

「おいおい何だよ今の。あんなん漫画じゃねぇか」


 瑞穂や乃愛、理緒たちC組のクラスメイトが一斉に茉莉亜のもとへ駆け寄っていく。

 相手の一点目を完全コピーしたシュートに、みんなかなり興奮している様子だ。


 一方、衝撃的な失点を喫したB組は運動部所属の生徒を中心に落胆している姿が見られた。


「いやぁ、これは完全にしてやられたね。ハンド部の守護神もお手上げだよ」

「あの転校生、運動神経が良いとかの次元じゃないでしょ。何者?」

「C組の、しかも帰宅部に点取られるとか。なんかショックだわ……」


「ほらほら、こっからこっから。切り替えてこ!」

「ドンマイドンマイ! 私と藍奈にボール預けてくれたらなんとかするから!」


 そんな中でも気落ちした仲間を鼓舞し、ポジティブな声掛けをする藍奈とみや。


「おいC組、いつまで喜んでる? 遅延行為だぞ」


 柿沢先生に怒られて、茉莉亜を囲んでいたC組生徒たちが慌てて自陣に戻る。


 試合再開。2対1、なおもB組が一点のリード。


 由依が再び茉莉亜へとボールを渡す。

 茉莉亜は周囲を見回すと、フリーになっていた乃愛にパスを出した。


「おっとマジか」


 すると、どうやら自分のところにボールが来るとは思っていなかったらしい乃愛が、焦って力任せに蹴り返してしまった。


「ヤバっ、ゴメン!」


 高く上がったボールが右サイドのライン際に向かって飛んでいく。


「大丈夫よ」


 しかし、このボールがラインを割ることはなかった。

 スプリントしていた茉莉亜が、落ちてきたボールを胸トラップで受ける。

 そのまま更に持ち上がると、中を見てクロスを供給。


「天王寺さん!」

「あっ、はい!」


 茉莉亜に名前を呼ばれて反応した瑞穂がペナルティエリア内に走り込む。

 C組で一番背の高い瑞穂がヘディングで合わせると、ボールは相手キーパーの指先を掠めてゴールネットを揺らした。

 これで2対2、瞬く間に同点だ。


「わ、わたし、はじめてゴールしました……!」


 口元を押さえて喜ぶ瑞穂に、茉莉亜が声を掛ける。


「ナイスゴール、天王寺さん」


 その後、瑞穂の周りに再びC組の歓喜の輪が出来る。


「天王寺さんおめでとう!」

「ずほっちマジサイコー!」

「アンタもたまにはやるじゃん?」

「今の天王寺さん、すごく、かっこよかった……!」


「うふふ。皆さん、ありがとうございます。こういう時って、どんな反応をすればいいんでしょうか?」


 クラスメイトから一斉に褒められて、瑞穂は照れているようだった。


 その微笑ましい様子を遠巻きに見つめながらも、由依だけは恐怖に顔を歪めていた。

 だって、今の得点シーンは。


「私とみやの二点目……」


 呆然とした表情で隣で立ち尽くしていた藍奈がぽつりと呟く。


 そう。今のプレーも完全に、藍奈のクロスにみやが合わせたB組の二点目の模倣。

 つまり茉莉亜は二度、藍奈とみやのゴールを高い精度で真似してみせたのである。


「ねぇ藍奈。あの転校生、スペイン育ちとかじゃないよね?」

「うん、多分違うと思うけど。ごめん、分かんない……」


 この時点でサッカー部二人の心はぽっきりと折れてしまっていた。


 同点に追いつかれて以降のB組の攻撃は、明らかに精彩を欠いていて。

 全体の運動能力や実力が上の相手に対し、勢い付いたC組は互角に戦えていた。


 前半はこのまま2対2で終了。後半も膠着状態が続く。

 そして、試合が動いたのは終了間際の九十三分。


 右サイドをドリブルで駆け上がる茉莉亜。

 クロスを上げさせまいとディフェンスに来た相手をマルセイユルーレットで躱すと、自らカットインしてバイタルエリアに侵入。


「藍奈、ブロックブロック!」

「分かってる。あっ、しまっ……!」


 寄せてきた藍奈の動きを、茉莉亜は完璧に見切っていた。

 シュートを打つと見せかけて、ボールを軽く浮かせる。シュートフェイント。


 コースが空いた。

 茉莉亜はその瞬間を逃さず、ボールの落ち際に合わせて強烈なボレーシュートを放った。


「ハンド部の守護神でもこれは無理だよ〜!」


 ハンドボール部の相手キーパーが必死に手を伸ばすも、惜しくも届かず。

 弾丸ミドルが見事ネットに突き刺さり、C組がついに勝ち越しに成功。


 直後、柿沢先生のホイッスルが響いて試合終了。

 茉莉亜の後半アディショナルタイムのゴラッソが決勝点となった。



 授業終わり。グラウンドから教室へと戻る途中。


「ねぇ茉莉亜。最後のゴールって……」


 由依の質問に、茉莉亜は「あぁ気付いた?」と笑みを浮かべる。


「昨日の須坂すざか選手のゴールよ」

「だよね……」


 やっぱり、最後のミドルシュートも真似だったか。

 何なら直前のプレーも三園みその選手の真似だろう。


 欧州で活躍する男子プロサッカー選手の技をいとも簡単に再現するなんて、茉莉亜は一体どんな身体能力をしているのか。

 もしや、これも魔女の力なのか?


 由依が訝しんだ目を向けていると、不意に背後から誰かに呼び止められた。


「ちょっと、そこのキミ。黒髪ショートちゃん」


 黒髪ショートということは、茉莉亜に用があるらしい。

 一応由依も立ち止まり、後ろを振り向く。


 すると、廊下を早足で歩いてきたのは三年生の女子生徒。つまり先輩だった。


 先輩は茉莉亜の両肩に手を置くと、ずずいと顔を近づける。

 目をキラキラとさせながら、興奮した様子で一言。


「キミ、今週末の試合に出てよ!」

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