第4話 助っ人ファンタジスタ
4-1 不機嫌キックオフ
七月のある日の放課後。
ドライヤーの途中だったらしく、まだ髪が少し湿っている。
「はい。買い物してきたよ」
「ありがとう、由依。助かったわ」
由依がビニール袋を手渡すと、茉莉亜はそれを受け取ってキッチンへと持って行った。
袋の中身を取り出して、ひとつひとつ冷蔵庫に入れていく。
「ほら、いつまでもそこで突っ立ってないで。早く上がりなさいな。適当にくつろいでいていいから」
「は〜い」
そんな茉莉亜の様子をじっと玄関で見守っていたら、さっさと上がれと促されてしまった。
由依は釈然としないまま、彼女の指示に従う。
今、由依はとても不機嫌である。何故か?
理由は単純。茉莉亜の代わりに近所の小型スーパーで買い物をさせられたからだ。
私の家のおつかいなら面倒でもやりますよ。でも、流石にクラスメイトにおつかいを頼まれるのは意味が分からない。
あなたの生活のことなんだからあなたが自分でしなさいよ。たとえ私が買い物をしなかったとしても、あなたが困るだけで私には関係無いんだから。
内心で文句を言いつつ、ムスッとした表情でリビングに座っていると、髪を乾かし終えた茉莉亜がさっぱりした顔で戻ってきた。
リモコンを手に取ると、テレビの電源を入れてチャンネルを変える。
「よし、間に合ったわね。さっき由依が買ってきてくれたお弁当を食べながら、一緒に見ましょうか」
時刻はちょうど夜の七時。
テレビに映し出されたのは、満員のサポーターの大歓声に包まれたサッカースタジアム。
「EAFA東アジアネーションズリーグ、初戦の日本対中華民主主義連邦共和国戦です。史上最強と謳われる青き侍が、ホームの
実況アナウンサーが現地の様子や選手紹介をしていくのを聞きながら、由依と茉莉亜は「いただきます」と弁当の蓋を開けた。
茉莉亜はサッカーの試合が始まる前に、やるべきことを済ませてしまいたかったようで。
由依におつかいを頼んだのも、全てはキックオフに間に合わせるのが目的。
せめて由依も関心を持てるものであれば、一緒に見るために協力するのもやぶさかでなかった。
けれど、サッカーは全くと言っていいほど興味が無い。
ルールは体育で習ったのでざっくり理解しているし、選手の顔と名前はニュースや新聞で取り上げられている人は全員記憶しているから、知らないという訳ではない。もちろん、日本人として日本代表に勝ってほしい気持ちもある。
ただ、リアルタイムでテレビ観戦するほどの熱が由依には無かったのだ。
「ちなみに、茉莉亜は好きな選手とか応援してる選手とかいるの?」
審判を先頭に両チームの選手が入場してきたタイミングで、ずっと無言なのもどうかと思ってなんとなく訊いてみた由依。
すると茉莉亜は、もぐもぐしながら「そうね……」と悩み、ごくんと飲み込んでから答えた。
「今映った、
「須坂……。ああ、フォワードの」
須坂倭人。オランダ1部リーグで活躍する、身長182センチのエースストライカー。
驚異的な跳躍力と裏への抜け出しが武器で、決定力も抜群。
おまけにイケメンで、近頃は女性からの人気も高い選手だ。既婚者だけど。
「ふ〜ん。茉莉亜って意外と面食い?」
軽く茶化すように問いかけると、茉莉亜はテレビに目を向けたまま言った。
「面食いかどうかは別として。私、男には興味が無いから。須坂選手をそういう目で見ることは絶対に無いわ」
ん? ちょっと待て。今、聞き捨てならない言葉を聞いた気がするぞ?
男には興味が無い。つまり、茉莉亜の恋愛対象は女性ってこと……?
でも、本当にそういう意味で合っているのか。
判断するには情報が足りなくて、由依が確かめようとしたのと同時。
ピーッと主審の笛が鳴り響いた。
「さあ試合開始です。前半は中華国ボールのキックオフ。中華国は一度ボールを後ろに下げて、センターバックのジャンにボールが渡りました。っと、ここに猛然とプレスをかけていったのは右ウイングの
試合が始まってしまった。
茉莉亜は画面に釘付けで、邪魔をするのは憚られる。
気にはなるが仕方がない。
夢中で観戦している茉莉亜の横で、由依は冷え切った弁当を静かに食べ進めた。
試合は序盤から日本が優勢。二点リード、無失点の状態で後半に突入する。
「今日はここまで、須坂にはまだゴールがありません」
「う〜ん。ポストプレーで存在感は発揮してるんだけどねぇ。もっと自分が自分がって行ってもいいんじゃないかな。彼は裏抜けとかも得意なんだから」
「なるほど。ですが今の場面も動き出しはしていました」
「うん、今のは良かったね。こういうタイミングでぽーんとパスが出ればチャンスになるんだけど。
日本のパス回しを見ながら、実況と解説がそんなやり取りを行う。
前半のうちに夕食を終えた茉莉亜は、今は前のめりでテレビをじっと見つめている。
時折「行け!」や「惜しい」などぼそぼそと独り言が聞こえてくるが、由依はそれには何も反応しない。
サッカーに興味の無い由依にとっては、後ろでパスを回しているだけの状況は退屈でしかなく。芝生の緑色多めの画面を見ていたら段々と眠たくなってきて、「ふわぁ……」と大きなあくびをしてしまう。
と、その時だった。
「日本のカウンター発動! ボールを持って左サイドを駆け上がるのは
「おおっ、マルセイユルーレット!」
「ドリブルで中に切り込んでからマイナスのクロス。ここで待っていたのは須坂! ダイレクトでボレーシュートを打ちましたがどうだ? 決まった〜! 日本、須坂のゴールで三点目!」
「いよっしゃ〜っ! 最高だね!」
「エースストライカー須坂のミドルレンジからの豪快なゴラッソが決まり、中華国をさらに突き放します!」
再び試合が動き、実況と解説が大きく盛り上がった。
しかし、それを上回る喜びを表したのは隣の茉莉亜だ。
「流石は須坂選手! 見事なダイレクトボレーだったわ!」
そう賞賛の言葉を述べるとともに、何度も頷きながらパチパチと拍手を送っている。
確かに、今のシュートは凄かった。
高い技術や類い稀なるセンスが必要なことは素人でも分かる。まさにスーパープレー。
「うん、これは私もちょっとテンション上がった」
由依はここまで無感情で画面を眺めていただけだったが、少しだけサッカーに興味が湧いてくる。
サッカー観戦、意外と面白いかも?
「あら? もしかしてVtuberよりサッカーの方がハマる可能性がありそうかしら?」
「まあ、かもしれない」
「なら、この絶好機を逃すわけにはいかないわね。明日の体育、確かサッカーだったわよね? そこであなたを、サッカーの虜にしてみせるわ。テレビで『見る』のと目の前で実際に『観る』のとでは、迫力が全然違うんだから」
自信満々に言って、不敵に笑う茉莉亜。
ただ。
画面越しよりも、生で観戦した方が魅力が伝わるというのは理解できる。
けれどそれはプロ選手のトップレベルのプレーの話であって、女子高生が体育の授業でやるサッカーとは次元が遠く及ばない。
虜にするって、一体どうやって……。
「日本と中華国のゲームはここまで3対0。残りは十五分とプラスアディショナルタイムです」
「まだ時間あるし、もう一点欲しいねぇ。はっはっ」
「はい。今大会、勝ち点の次に重要になってくるのは得失点差ですから、無失点で終えることはもちろんですが追加点も狙っていきたいところではあります」
「こうなったら三園にも決めて欲しいわね」
困惑の表情を浮かべる由依の顔を、茉莉亜はもう見てはいなかった。
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