3-3 きらきら夢世界

「広っ……!」


 それが由依ゆいの抱いた第一印象だった。


 池袋いけぶくろ駅から歩くこと三分。

 お洒落な外観の建物に入って、入口すぐのところにあるエスカレーターを上った先。


 そこに広がっていたのは書店のような空間。

 しかし、普通の書店とはだいぶ趣が異なる。


 あちらこちらがアニメのポスターや萌え系美少女のイラストで埋め尽くされているのだ。

 そして、どこの棚を見ても美少女やイケメンの絵の表紙の本ばかり。


 そう。ここは日本最大級のアニメショップ、『アニメーニ池袋本店』である。


「これ、奥まで全部漫画なの……?」


 一番奥の棚が見渡せないほど広い店内。

 あまりの規模感に呆気にとられる由依に、ワクワクした様子の茉莉亜まりあが教えてくれる。


「いいえ。七割くらいは漫画だけれど、こっちの新刊の棚と、向こうの方はライトノベルよ。あとはイラストレーターの画集や、設定資料集なんかもあるわ」

「ら、ライトノベル?」

「あら知らない? まあ、ざっくり言うとアニメ系の小説ね。一般小説が実写ドラマになるのに対して、ライトノベルはアニメになるって感じ」

「ふ〜ん」


 知らない世界すぎて、理解するので精一杯である。


 博之ひろゆき克則かつのり梨花りかの三人は各々好きなコーナーに行ってしまったので、由依は茉莉亜にくっついて店の中を回る。


「茉莉亜はさ、ジタヴァ王国でも日本の漫画とかライトノベル? とか読んでたの?」

「ええ、そうね。子供の頃からアニメは好きだったから。その流れでね」

「そもそも、海外でもこういうのって手に入るの? 人気作ならともかく、マイナーな作品はなかなか売ってないでしょ?」

「確かに、紙媒体を手に入れようと思うと難しいのは事実ね。でも最近は電子書籍もあるから。私はずっと電子で読んでいたわ」

「あぁ、なるほど」


 電子書籍ならば日本での発売と同時に読めるし、二次元大好きの茉莉亜にはそちらの方がむしろ都合が良かったのかもしれない。


 しばらく棚を眺めていた茉莉亜が、ふと一冊本を手に取った。

 表紙を見ながら、にまにまと笑みを浮かべている。


「何か欲しいやつ見つけた?」


 由依が覗き込むと、そこにはピンク髪と茶髪の美少女二人が見つめ合っているようなイラストが描かれていた。

 タイトルは『仮想世界警備課 〜新米刑事と美少女廃ゲーマーの捜査日誌〜』。

 どんな作品なのだろうか?


 すると茉莉亜は、なぜか慌てた様子でそれを棚に戻した。


「ん? どうしたの? 買いたいなら買ったら?」

「い、いえ。大丈夫……」

「?」


 急にどうしたんだ?

 なんか顔赤いし。


 由依が困惑したままその本の前で立ち尽くしていると、ちょうど通りかかった博之と克則が声を掛けてきた。


「あれ? 水瀬さん、こんなコーナーでどうした?」

「もしかして内容が分からないから買うの迷ってる感じ? だったら俺、あらすじくらいなら説明できると思うけど」


「あぁ、えっと、そうじゃなくて。いや、まあ内容を知りたいっていうのは合ってる」


 茉莉亜が別の本に気を取られている今しか、訊くチャンスは無いかもしれない。

 由依は先ほど茉莉亜が手にしていた漫画を見せて、二人に質問する。


「これなんだけどさ。さっき茉莉亜が欲しそうにしててね。どういう作品なのかなって思って」


 博之と克則がタイトルと表紙を見て少考する。

 そして、「あ〜」と思い出したという反応をしてから、克則が答えを口にした。


「それはVRゲームとお仕事もののガワを被った百合漫画だな」

「ゆ、百合……?」

「要するに、女の子同士の恋を描いた話だ!」


 えっ!? 茉莉亜、そんな漫画が好きなの!?

 男女のラブコメ作品なら驚きは無いし、そうでなくともせめて男性同士のものだったら理解はできる。でも、女性同士の恋愛漫画というのはあまりに衝撃的だった。


 未だ茉莉亜の嗜好が飲み込めていない中、一人で楽しんでいた梨花がこちらに歩み寄ってきた。

 全員と合流しようと、我々がどこにいるのか探していたらしい。


「あの〜、みんな。そろそろ上の階に行かない? グッズも色々見たいな」


 梨花のその言葉に、茉莉亜が微笑みながら頷く。


「ん、そうね。四階と五階も回ってみましょうか」


 四階と五階はアニメやゲーム、Vtuberなどのキャラクターグッズ売り場。

 キーホルダーにアクリルスタンド、缶バッジにぬいぐるみ。とにかく多種多様なグッズが棚に所狭しと並べられている。


 ここでも由依は、茉莉亜に付いて回った。

 茉莉亜は再び集合するまでのほとんどの時間、Vtuberのコーナーで商品を吟味していた。


「あぁ、このアイドル衣装いかほちゃん可愛い。でもこっちのあざとい七星ななせ師匠も良いわね。う〜ん、どれにしようかしら……」


 茉莉亜は完全に自分だけの世界に行ってしまっていたので、由依は隣でただ静かに彼女の様子を見守っていただけだが。



 池袋のアニメショップを思う存分満喫したあとは、築地つきじ市場しじょうへ移動して少し遅めの昼食。

 マグロやウニ、イクラといった新鮮な海の幸を、贅沢に握り寿司や丼で味わった。


 そしてその後も東京の名所を巡り、だいぶ日が暮れてきた頃。

 由依が最後に梨花を案内したのは、誰もが知る定番観光スポットである東京タワー。


 展望台に上がると、夕焼けをバックにした高層ビル群が一望できた。

 この光景に、梨花が「うわぁ……!」と感嘆の声を漏らす。


 田舎に住んでいる梨花にとっては、こんなに高い所から街を見下ろすことも、この高さに匹敵するビルが建ち並んでいる景色を見るのも初めてだったのだろう。


 窓のそばに駆け寄ってキラキラした眼差しで外を眺める梨花の姿を見て、由依は連れてきてよかったなと思う。

 今日一日、案内役として梨花をそれなりに楽しませることが出来たのではなかろうか。

 ホッとしたと同時に、誰かの役に立てたという達成感や満足感が胸に込み上げてくる。


 大都会の夕景が、ゆっくりと夜景に変わっていく。


 ビルの窓から漏れ出す無数の光を見つめながら、梨花がぽつりと呟いた。


「東京は、やっぱりすごいね。どんな夢でも受け入れてくれる懐の広さを感じる……」


 微かに聞こえた独り言に、由依は梨花の顔を見上げる。

 すると、由依の視線に気付いたのか、梨花がこちらを振り向いた。


「あっ、聞こえちゃった?」


 そう言って笑みを浮かべる梨花の顔は、どこか淋しそう。


 でも、梨花の抱いている東京のイメージは、地方の人間が美化して描いた幻想だ。

 実際の東京は、そんな街ではない。


「それは梨花さんが東京に憧れてるから、そう見えるだけだと思いますよ」


 由依が柔らかく否定すると、梨花はふるふると首を横に振った。


「そうかな? 少なくともあたしの地元よりは、自由に生きても許される場所に見えた」

「だとしたら勘違いです。それは自由な人生を認める懐の広さじゃなくて、他人の人生に興味が無い冷たさです」

「別に、それでもいい。縛り付けられるよりは、ずっとマシ」


 確かに地方には、伝統や慣習を重んじる文化が根強い場所も多い。

 山奥や島などでは特に。


 もしかして梨花は、そのような土地で生まれ育って、ずっと息苦しさを感じてきたのだろうか。

 好きなことを、やりたいことを、諦めてきたのだろうか。


「……梨花さんは今、何か夢があるんですか? したいこととか、なりたいものとか」


 由依の問いに、梨花はわずかに逡巡した。


「笑わない……?」

「はい、笑いません」


 しばしの沈黙の後、梨花が意を決したように真っ直ぐな目をこちらに向けた。


「あたしね、Vtuberになりたいんだ。背も高いし、声も可愛くないし、柄じゃないってのは分かってるんだけど。でも、諦めきれなくて……」

「諦める必要なくないですか? 事務所のオーディションに応募するだけならタダですし、やるだけやってみたらいいんじゃ」

「無理だよ。あたしの地元じゃVtuberって存在自体を誰も知らない。だから目指そうとすると周りから変な目で見られる。親からも『そんな訳分からないものは仕事じゃない、ちゃんとした職業に就け』って怒られる。そういう環境で、受かる確率の低いオーディションに応募し続けるなんて、自分が苦しくなるだけでしょ?」


 なるほど。だから梨花は今、夢を追いかけたくても追いかけられずに悩んでいる。

 東京への憧れを抱いたのも、それが理由。


「…………」


 由依がどう返答しようか迷っていると、近くで会話を聞いていたらしい茉莉亜が口を挟んだ。


「なら、個人勢こじんぜいで活動して、自分で実績を作ってしまえばいいんじゃない?」


「えっ、こじんぜい……?」


 どういう字を書くのかも分からずに小首を傾げる由依をよそに、梨花がため息まじりに言う。


「もちろん、個人でやってみようかと考えたことはあるよ。でもあたしにはLiveライブ2Dのイラストも3Dアバターも用意出来ないし、機材の知識も配信の経験も無い。それに個人勢で稼げている人なんて、元から有名なイラストレーターだったり、ロケット工学とか犯罪学とか狭いジャンルに特化した人だったりで、何の取り柄もないあたしが上手くいくとは思えない。照日さんが考えているほど、簡単な話じゃないんだよ」


 梨花の諭すような口調の反論に、茉莉亜はそんなことは百も承知だと頷く。


「そうね、簡単ではないわよね。それに全てを一人でやるというのも大変でしょう。だけど……」


 茉莉亜はそこで一度言葉を止め、由依、そして博之と克則を見回した。

 それから再び梨花に向き直って、続ける。


「あなたには私たちがいる。チームでなら、どうにか出来そうじゃないかしら?」


 そう問いかけた茉莉亜の表情は、自信に満ち溢れていて。

 夢を諦めかけていた梨花は、縋るように茉莉亜を見つめた。


「……あたしでも、なれるかな? Vtuberに」

「ええ、絶対になれるわ。それも無名の個人Vじゃなくて、大手事務所所属に勝てるくらいの人気者にね」

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