2-5 取り持ちミッション

 週が明けて、月曜日。

 あんは学校に来なかった。


「あの後、土屋つちやさんと冥賀みょうがさんは何話してたんだろ?」

「さあ何かしらね。でも少なくとも、土屋さんは不登校になった理由を、冥賀さんは自分の気持ちを、きちんと伝えたはずよ」


 由依ゆいたちが部屋を追い出された後、二人がどんな会話を交わしていたのか。由依たちは知らない。

 だからあの時、とぼとぼと階段を下りてきた杏が見せた失望した表情の理由も、当然分からずにいた。


「駄目ですね。メッセージを送っても既読になりません」


 心配した様子でスマホを見つめていた瑞穂みずほが言う。


 学校に来ない、連絡もつかない。

 それほど、杏にとってはショックな出来事があったのだろう。


「もしかして喧嘩でもしちゃったのかな?」


 由依の呟きに、瑞穂が「う〜ん」と唸る。


理緒りおちゃんが杏ちゃんに、そんなひどいことを言うとは思えないのですが……」


 続けて茉莉亜まりあも、瑞穂に同調するように頷いてから由依の考えを否定した。


「それにもし冥賀さんと土屋さんが言い争いになっていたのなら、声が聞こえてきてもいいはずよ。聞こえてこなかったということは、その線は薄いんじゃないかしら」

「まあ、それは確かに?」


 いくら由依たちが一階のリビングに居たとはいえ、二階の部屋の喧嘩の声が聞こえないことはないはず。

 茉莉亜の意見の説得力に、由依は納得する。


「杏ちゃんは、人一倍繊細な子ですからね。理緒ちゃんのちょっとした言葉が、深く刺さってしまったのかもしれません」


 理緒と杏の性格を考えると、その可能性は大いにあり得る。


「ともあれ、冥賀さんまで学校に来なくなってしまったのはどうにかしないといけないわね」

天王寺てんのうじさん、説得しなきゃいけない人が増えちゃったね。……って、痛った」


 励ましの意味も込めて、冗談交じりに笑いながら瑞穂に声を掛けた由依。

 するとなぜか、茉莉亜に肘で脇腹を小突かれてしまった。



 帰りのホームルームが終わって、放課後。

 険しい表情でスマホを操作していた瑞穂に、茉莉亜が歩み寄る。


「天王寺さん。冥賀さんから返事はあった?」


 茉莉亜の問いかけに、瑞穂はびくっとして顔を向ける。

 それからすぐに取り繕うように笑顔を作ると、小さく首を横に振った。


「いえ。来ていませんでした。既読も付いていませんし、状況は変わらずですね……」

「そう。何事も無いとは思うけれど、少し心配になるわね」


 恐らくはスマホを見ていないだけだとは思うが、幼馴染からのメッセージにすら反応しないとなると、万が一のことが無いとも言えない。


「天王寺さんはこの後どうするの? もし冥賀さんの家に行くのだったら、私たちも付いていきたいのだけれど」

「あ〜、えっと……。すみません。わたしはちょっと、外せない用事がありまして。杏ちゃんのお家に寄る時間は……」

「それなら、冥賀さんの住所を教えてもらえる? 二人のことは、私たちでどうにかするわ」

「……そうですね。では、お願いしてもいいでしょうか? 杏ちゃんの住所、今送りますね」

「ありがとう。今日中に解決してみせるから、天王寺さんは心配しないで」


 いや、なんか勝手に話進めてるけど、私また巻き込まれてない?


「さて、行きましょうか。私は土屋さんの家に行くから、冥賀さんはあなたが担当ね」


 こちらを一瞥し、鞄を肩に掛けながら教室を出ようとする茉莉亜を、由依は慌てて追いかける。


「待って待って。担当って、私何すればいいの?」

「細かいことは駅に向かう道中で伝えるわ」

「っていうかそもそも、私まだ協力するとか一言も言ってないんだけど……」


 こうして由依は、またしても強引に茉莉亜の手伝いをさせられることとなった。

 対等なパートナーとは一体……。



 京王けいおう稲田堤いなだづつみ駅に着いた由依と茉莉亜は、早速二手に分かれて行動を開始した。


 由依は杏の家へ、茉莉亜は理緒の家へ向かい、午後五時までにお互いに杏と理緒を連れて近くの稲田いなだ公園で合流する手筈となっている。


「ここか……。なんか細くない?」


 地図アプリで検索した住所に到着。

 そこには狭い土地を有効に使って建てられた、三階建ての家があった。

 いわゆる狭小住宅と呼ばれるものか。


 表札には冥賀の文字。

 良かった、杏の家で合っている。


 意を決して由依がポチッとインターホンを押すと、数秒で応答が返ってきた。


『はーい』


 しかし、応じた声は杏本人ではなさそうだった。


「あの、きらほし学園高校一年C組の水瀬みなせです。冥賀杏さんはいますか?」

『あっ、お姉ちゃんのお友達ですか? 今開けますね』


 しばらくして、玄関のドアが開く。


「どうぞ」


 出て来たのは、杏と見た目が似ている小学生くらいの女の子。

 だが、性格は杏とはだいぶ違うようで、初対面かつ年上の由依にも緊張や人見知りをせずに対応している。


「こんにちは。冥賀さんの妹さん、かな?」


 腰を屈めて目線を合わせて挨拶すると、女の子は礼儀正しくお辞儀をした。


「はい。初めまして。冥賀小梅こうめです。いつもお姉ちゃんがお世話になってます」

「いえいえ、こちらこそ」


 めちゃくちゃしっかりした子だ。

 小梅につられて、由依まで畏まってしまう。


「水瀬さん、上がってください。お姉ちゃんならリビングにいますよ」

「うん、ありがと。お邪魔します」


 玄関で靴を脱いで、小梅の案内のもと階段を上がって二階のリビングへ。


「ほら、お姉ちゃん。ずる休みなんかするから、お友達が心配してわざわざ来てくれたよ」


 階段を上りきるなり、小梅がやや怒りを含んだ声音で言う。

 すると、ソファの上で膝を抱えて体育座りをしていたパジャマ姿の杏が、静かにこちらを振り向いた。


 目が合う。

 杏は小首を傾げたまま、ただただじっと由依を見つめている。


 き、気まずい……。


「ど、どうも〜」


 苦笑いしつつ由依が小さく右手を振ると、杏がようやく反応を示してくれた。


「……水瀬、さん?」

「ごめんね冥賀さん、いきなり家まで来ちゃって。驚いたよね?」

「うん。びっくり、した……」


 そんな様子でぎこちなく会話をしていると、小梅が姉の態度に苛立ちを募らせたらしく口を挟む。


「もう、お姉ちゃん。水瀬さんはお友達なんでしょ? お友達に対してならさ、もっとこう、色々あるじゃん!」


 小梅の言いたいことは十分理解できる。

 確かに今の由依と杏の距離感は、友達と呼べるようなものではない。


 ただ、実際問題。


「あのね、うめちゃん。水瀬さんは、友達っていうより……」

「友達の友達? くらいな関係性、なんだよね」


 由依と杏はまだ、それほど親しくない。

 茉莉亜経由で数回関わった程度の間柄なのである。


「? 同じクラスなら、友達じゃないんですか?」


 しかし、小梅にはその感覚がいまいち掴めないようで。首を傾けて困った顔をしている。


 うーむ、説明が難しい。

 時間も惜しいし、申し訳ないがこの話はまた今度にさせてもらおう。


「う〜ん、とりあえず小梅ちゃん。一旦私とお姉ちゃんの二人だけで話させてくれないかな?」


 由依の言葉を聞いて、小梅は慌てて頭を下げた。


「ああっ、ごめんなさい。私お邪魔でしたね。三階に行ってます」

「いや、邪魔とかじゃないんだけどね。ごめん、ありがとう」


 謝るなりすぐさま踵を返して階段を駆け上っていった小梅を見送って、由依は話を戻す。


「えっと、とりあえず私が来た経緯を説明するとね。まず天王寺さんは用事があるみたいで来られなくて、だから代わりに茉莉亜が様子を見に行くって言ったんだけど。茉莉亜はなぜか土屋さんのところに行くって言い出して、冥賀さんは私が担当することになったっていう……。いや、よく分からないよね?」


 無言でこくりと頷いた杏に、由依も「だよねぇ」と苦笑いを浮かべる。

 今の説明がここに至るまでの流れなのは間違いないのだが、どうしてか自分でも何を言っているのか途中で分からなくなった。


 しかし、これ以上の説明をしろと言われても、由依はただ指示に従っているだけなので説明のしようがない。

 この後のゴールだって見えていないのだから。


 全ては茉莉亜が考えていることをきちんと教えてくれないのが原因だ。


「で、いきなりで悪いんだけどさ。今から出かける準備ってできるかな? 五時に茉莉亜が土屋さんを稲田公園に連れてくるって言ってて。私も冥賀さんを連れて行かなきゃいけないんだけど……」


 自分で言っておいてなんだが、かなり無茶なお願いである。


「まぁ無理だよねぇ」と半ば諦めつつも窺うように視線を向けると、杏はこちらをまじまじと見つめてから一言。


「……大丈夫。準備、するね」


 返事はまさかのオッケー。

 無理させてるんじゃないかと心配になって、由依は思わず確認してしまう。


「えっ、本当に来てくれるの? 私のことなら全然気にしなくていいんだよ?」

「水瀬さんのことを、気にしたわけじゃ、ないよ。私が土屋さんと、話したいから、行くの」

「そっか、ならいいんだけど」


 ひとまず、杏が無理をしている様子は無さそう。


「じゃあ、えっと。着替えてくるから、待ってて」

「うん。急がなくていいからね」


 そして午後五時。

 杏と共に稲田公園へ向かうと、茉莉亜と理緒はすでに到着していた。


 由依に気付いた茉莉亜が手を上げる。


「連れて来たわね?」

「連れて来たというか、冥賀さんが土屋さんに会いたいって」


 とりあえず無事に、約束の時刻に四人で集合できた。

 で、ここからどうするのだろうか?


 目を向けると、茉莉亜は理緒の背中を押して杏の前に突き出した。


「あとは二人でごゆっくり」


 なるほど、まずは直接話をさせるのか。

 それなら由依は、少し離れた場所から様子を見守ることにしよう。


 そう思って、近くにあったベンチに移動しようとしたら、突然茉莉亜に腕を引っ張られた。


「ほら由依、帰るわよ」

「えっ、ちょっ、帰るの!?」

「だって、この先はもう私たちに出来ることはないもの。居るだけ邪魔よ」

「ちゃんと仲直りできるか、見守らなくていいの?」

「子供の喧嘩じゃないんだから、そこまでの心配は不要でしょう。二人を信じてあげなさいな」


 たとえ二人が仲直りできたところで諸々の問題が解決するのかも分からないのに、このまま帰ってしまって良いのだろうか。

 由依は最後まで迷ったが、茉莉亜の「二人を信じてあげて」という言葉に反対する気にはなれなかった。


 そうしてこの日は結局、結末を見届けることなく由依は帰宅した。



 翌日、火曜日。

 由依と茉莉亜が教室に入ると、窓際の前から三列目の席のそばに杏が立っていた。


「良かった、冥賀さん来てる」


 ほっとして呟いた由依の肩を、茉莉亜がぽんぽんと叩く。


「ほら、よく見なさい。冥賀さんだけじゃないわよ」

「えっ?」


 あれ? そういえば、あの席って……。

 近づいていくと、なんとびっくり。杏の陰に隠れて見えなかったその席に、制服姿の理緒が座っていた。


「よう、驚いたか?」

「ええっ!? なんで土屋さんが!?」

「なんでって。ここ、アタシの席だろ? アタシの席にアタシが座ってて何がおかしい」

「そりゃそうだけど、だって……」


 ずっと不登校だった理緒が、どうして今日は学校に?

 一体どういう風の吹き回しだろうか。


 呆然としたまま固まる由依に、理緒はわざとらしく口の端を吊り上げて答える。


「ま、ただの気まぐれだよ。深い意味はねぇ。明日からはまた休むかもな」

「えっ? 休んだら、今度こそ許さない、からね?」

「わあってるわあってる。冗談だよ冗談」


 今の杏とのやり取りの雰囲気からして、恐らくは明日も登校するつもりらしい。


 理緒が急に毎日学校に来る気になるなんておかしい。

 昨日の間に、理緒の心境に大きな変化があったことは明らかだ。


 もしかして茉莉亜、何かした?

 由依は後ろを振り返り、鞄から筆箱を取り出して自分の机に置いていた茉莉亜を見遣る。


 すると亡国の魔女は、素知らぬ様子で「さぁ、何のこと?」と笑みを浮かべた。

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