2-3 いじわるデイトレーダー

 迎えた土曜日。

 区民センター前の広場で待つ由依ゆいの元へ、約束の時間通りに茉莉亜まりあがやって来た。


「お待たせ、由依」

「あっ、うん。おはよう、茉莉亜」


 今日の茉莉亜は当然ながら私服だ。

 学校での制服姿と、数ヶ月前に画面越しに見たドレス姿しか由依は見たことが無かったので、どうも見慣れないというか新鮮な感じがする。

 だからついつい、上から下までじっくりと眺めてしまう。


 オーバーサイズの白いスエットに黒のワイドパンツ。その上に黒のコートを羽織ったモノトーンコーデ。

 茉莉亜の雰囲気によく似合った、洗練されたクールな着こなしである。


 由依がじろじろと上下に視線を動かしていると、茉莉亜がきょとんと首を傾けた。


「私の恰好、どこかおかしい?」

「いや。ううん、全然。制服じゃない茉莉亜を見るの、初めてだったからさ」

「ああ、そういうこと。でも、それを言ったら私も、由依の私服を見るのは初めてなのだけれど」

「あ〜、そう言われるとなんか恥ずかしい……」


 普段休日にほとんど外出することのない出不精な由依は、お出かけ用の洋服をあまり持っていない。

 だから今日もクローゼットの中から適当に選んで組み合わせただけの、白のTシャツとデニムのショートパンツ、紺色シースルーのアウターという服装で。深く突っ込まれるのは少し嫌だなと思った。


「ほら、早く行こ」


 もうこの話は終わりにしようと、顔を背けた由依は駅に向かって移動を開始する。

 だが、後から追いかけて来た茉莉亜は、由依の横に並ぶと最後にぽつりと囁いた。


「すごく似合ってる。可愛いわよ」

「ど、どうも…………」


 いきなり何? どういうつもり?

 不意に甘い声で褒められて、由依はどう返していいのか分からず、赤くなった顔をただ俯けることしか出来なかった。



 京王けいおう稲田堤いなだづつみ駅に着くと、瑞穂みずほあんが既に改札の前で待っていた。

 合流し、四人で再び理緒りおの家へと向かう。


「土屋さん、起きてるかな?」

「さあどうでしょう。理緒ちゃんは朝に弱いですからね」


 言いながら、瑞穂がインターホンを鳴らす。


 今回は突然押しかけたわけではなく、事前に約束をしている。しかも時刻ももう十一時近い。いくら朝が弱かろうが、寝ているなんてことは無いと思うが。


 しかし、いつまで待っても応答は返ってこなかった。


「う〜ん、反応ありませんね」

「まだ寝てる……?」


 困り顔で二階の窓を見上げる瑞穂と、玄関を見つめたまま小首を傾げる杏。


 どうしたものかねぇ。

 突っ立っていても仕方がないので、由依はスマホを取り出してSNSを眺めることに。


 するとその様子を見ていた茉莉亜が、何か思いついたのか瑞穂に話しかけた。


「そうだ。天王寺さん、土屋さんの連絡先を知っているわよね?」

「はい。もちろん友だち登録はしていますよ」

「それならいっそ、電話してしまった方が早いんじゃないかしら」

「あっ、それもそうですね。インターホンよりも気付いてくれる可能性は高そうです。電話してみます」


 理緒の家の構造は分からないが、一般的にリビングの近くに設置されているインターホンでは、二階の部屋までは音が届きにくい。深く眠っていたならば、まず気が付かないだろう。

 それに比べて電話であれば、スマホは枕元に置くことが多いので着信音なりバイブレーションなりできっと目が覚めるはず。


 茉莉亜の妙案に早速瑞穂がスマホを操作し始める。

 チャットアプリの友だちリストから理緒の名前を選んで、音声通話ボタンをタップした。


 スマホを耳に当ててから数秒。瑞穂が口を開く。


「もしもし、理緒ちゃん? わたしたち、もう理緒ちゃんの家の前に着いているのですが……。えっ、当たり前じゃないですか。わたしと杏ちゃんも一緒ですよ。……ええ、はい、それでは待ってますね」


 瑞穂が通話を終えると同時、杏が小声で問いかける。


「土屋さん、なんて?」

「え〜っと。『何でアンタらまでいるんだよ』って、なんか怒られちゃいました」


 言われてみれば確かに、茉莉亜が遊びに行くと約束しただけで、瑞穂と杏も一緒だとは誰も言っていない。理緒が怒るのも無理はなかった。


 やがて玄関の扉が開いて、この前と変わらないグレーのスウェット姿で理緒が姿を現した。髪の毛はボサボサで、目の下にはクマが目立っている。


「理緒ちゃん、おはようございます」


 真っ先に瑞穂が挨拶をすると、理緒は頭を掻きながらぶっきらぼうに応じた。


「アンタに来ていいっつった覚えは無いんだがな」


 その言葉を受けて、杏が恐る恐るといった様子で訊ねる。


「ごめんね、土屋さん。来ちゃダメ、だった……?」


 つぶらな瞳で見つめる杏に、理緒は慌てて首を横に振る。


「ああいや、杏はいいんだよ。どうせコイツに連れて来られただけだろ? 休みの日に付き合わされて大変だよなぁ?」

「あのっ、えっと……」


 理緒は杏の肩に手を置いて自分のそばに引き寄せると、瑞穂を軽くひと睨み。

 次いで茉莉亜と由依に視線を向けた。


「茉莉亜。それと水瀬みなせ、だったっけか? まあとりあえず上がってくれ。特にもてなしは出来んがな」

「ええ、お邪魔するわ」

「お、お邪魔しま〜す……」


 杏と茉莉亜以外にはあまり歓迎ムードではなかった理緒だったが、由依と瑞穂もどうにか家に上がらせてもらえた。



 玄関で靴を脱ぎ、階段を上がって二階へ。

 由依たち四人が通されたのは理緒の自室だった。


「茉莉亜と杏はその辺で適当にくつろいでくれ」

「わたしと由依ちゃんは?」

「アンタらはさっさと帰れ」

「え〜っ、ひどいです」


 理緒にしっしと追い払うような仕草をされて、瑞穂がぷくりと頬を膨らませる。


 どうも理緒に気に入られていない様子の由依と瑞穂。

 瑞穂は理緒と昔からの幼馴染だし、これがいつものノリだと言われればそうなのかもしれないが、なぜに由依まで……。


 茉莉亜と杏が床に座ったので、流れで由依もちゃっかりと座らせてもらう。

 それに続いて瑞穂も座ると、理緒はやれやれと大きなため息を吐いた。


「ったく、面倒くせぇなぁ」


 観念したらしい理緒は、キャスター付きのメッシュ素材のデスクチェアをくるりと回して、そこにどかりと腰を掛ける。


 由依たちを見下ろすようにして腕と足を組む姿は、もはや玉座で手下を睥睨する魔王のようですらある。

 と、そんなことを口にしたらぶん殴られるかもしれないので、この比喩表現は心の中に留めておこう。


 しばらくして、室内を見回していた茉莉亜が理緒に質問をした。


「ねぇ、そのパソコン。モニター何台あるの?」


 茉莉亜が目を付けたのは、理緒が腰掛けているデスクチェアの背後に設置された大量の液晶モニター。横向きや縦向き、細長いものなど、種類も様々だ。

 このシンプルな部屋の中では異様な存在感があり、一際目立っていた。


「ああこれか? 今は全部で八台だな。メインが二台で後はサブ」


 得意げに答える理緒に、由依は思わず呟く。


「えっ、何用?」


 そんなに画面があったところで、一体何に使うのだろうか。

 もしや悪いことをしているのでは……。


 訝しむ視線を送る由依に、理緒がわざとらしく口の端を吊り上げる。


「アタシはな、実は天才ホワイトハッカーなんだ。テロリストやスパイのサイバー攻撃から日本を守ってるんだぜ」

「ほ、ホワイト、ハッカー……。えっ?」


 そんな人、この世に実在したんだ。

 半ば信じられなくて、由依が目をパチクリとさせていると、杏がぶんぶんと首を横に振った。


「ちっ、違うよ……! 土屋さんは、ハッカー、じゃないよ」

「ん、違うの?」


 訳が分からない。

 混乱する由依の横で、平然と話を聞いていた茉莉亜が一言。


「デイトレーダー。合ってる?」


 その言葉に、理緒が頷く。


「正解だ。よく分かったな?」

「もう、理緒ちゃん。あんまり人をからかっちゃダメですよ」


 どうやら理緒は由依を騙したらしい。

 本当は天才ホワイトハッカーなどではなく、株取引を生業とするデイトレーダーだったようだ。


「二人ともすみません」と手を合わせて代わりに謝る瑞穂。

 茉莉亜はそれを「別に気にしていないわ」と表情だけで軽く応じて、再び理緒に話しかける。


「簡単な推理よ。まずはその椅子。ゲーミングチェアではない時点でゲーマーの線は除外される。しかも背もたれの角度を調整していないことから察するに、姿勢が前のめりになりがちってことよね。恐らくは秒単位のトレードで息つく暇もないというところかしら?」

「おう」

「で、次にそこの本棚。四季報とか経済誌が並んでる。普通の女子高生なら、手に取ることもないはずの本よ。これを見つけた瞬間、私は職業を確信したわ」


「さ、流石だな……」

「ほえ〜」


 見事な推理を披露した茉莉亜に、理緒と由依だけでなくこの場の全員が舌を巻く。

 もう十分すぎるほどの推理を聞かせてもらったが、茉莉亜は更にもう一つ付け足した。


「そしたらついでに、土屋さんの今日の睡眠時間も当ててあげるわ。ベッドに入ったのがニューヨーク市場が閉まった朝の五時で、起きたのは私たちが訪ねてきた十一時。つまりは計六時間。どうかしら?」

「アンタ、そこまでいくとちょっと怖ぇよ」


 理緒の反応を見るに、こちらもまた完璧に的中しているようだ。


「すごいですね、茉莉亜ちゃん」

「うん。名探偵、だね」


 瑞穂と杏が笑顔でパチパチと拍手を送る。


 しかし茉莉亜の正体を知る由依だけは、彼女の持つ魔女の力の片鱗を見てしまった気がして、人知れず畏怖の念を抱いていた。

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