1-4 秘密のパートナー契約

 由依ゆいは自身の持つ才能、一度見た人の名前と顔を絶対に忘れない能力について正直に話した。それとインターネットでマリア王女やジタヴァ王国の情報を色々と調べたことも。


 由依が話している間、一切の感情を見せない無表情で聞いていたマリア王女。

 聞き終えて一応は納得してくれたのか、先ほどよりも少し柔らかい口調で言う。


「なるほど、あなたの言い分は分かったわ。嘘をついている様子も無いし、信じて大丈夫そうね」


 ひとまずホッと一安心。

 でもまさか、由依の持つ人間に対する異常なまでの記憶能力をこんなにもすんなりと信じてくれるとは思わなかった。


 それからマリア王女は、膝立ち歩きでテーブルを回り込むと由依のそばに近づいてきた。

 至近距離で向かい合う状態になったと同時、彼女の右手が伸びてきて由依の頬に触れる。


「えっ、何……?」


 マリア王女のあまりに唐突な行動に、由依は全く動けなかった。

 無言のまま見下ろす、前髪の下のトパーズのような琥珀色の瞳が、淡く光る。


「だけど、水瀬みなせさんが私の正体を見破ってしまったことには変わらない。このまま帰す訳にはいかないわ」

「いやいや、じゃあどうしたらいいのさ?」


 正体に気付いた理由も話したし、これ以上何をしろというのか。

 もしかして、私ここで殺される……?

 投げかけられた脅しの言葉はもちろん、頬に手を当てられているのが、何よりも恐怖心を煽った。


 怯えた眼差しで見上げる由依に、マリア王女が形の良い唇を吊り上げる。

 不気味な魔女の微笑み。


 彼女は更に顔を近づけて、ゆっくりと口を開く。


「水瀬さん、私のパートナーになってくれない?」

「……パ、パートナー?」


 予想の斜め上の答えが返ってきて、頓狂な声を出してしまった。

 パートナーとは、どういう意味だ?


「要するに、私の協力者になってほしいのよ。主従関係じゃなく、あくまで対等な関係の」

「協力って、具体的には……?」

「そうね。今はちょっと思いつかないけれど。少なくともそんな難しいことや危ないことを頼むつもりはないから安心なさいな」

「まあ、それだったらいいけど……」


 というかどのみち、最初から由依に拒否権など無かったのだろうが。


「よし、契約成立ね。水瀬さん、これからよろしく。まずは友達から始めていきましょう」


 マリア王女は満足そうに頷くと、由依の頬に触れていた右手を離してそのままこちらへ差し出した。

 由依もおずおずと右手を出して、そっと握手を交わす。


「何が何だかよく分からないけど。よ、よろしく」


 こうして、由依とマリア王女の『友達』という名の誰にも言えない秘密の関係が始まった。もとい、始まってしまった。



 あのあと帰り際に、お互いのチャットアプリのIDの交換をしていた時。

 由依ゆいはついでに気になっていたことを質問した。


「あのさ、マリア王女。ん、照日てるひさんか? 一個訊いてもいい?」

「友達になったのだから、別に茉莉亜まりあでいいわよ。構わないけれど、訊きたいことって?」

「うん。……茉莉亜ってさ、魔法使えるの?」


 ジタヴァ王国の王族は魔法が使える。インターネット百科事典に書かれていたそんな都市伝説にも近い情報は、果たして真実なのか。

 クーデターを起こした軍のお偉いさんが言っていた『魔女狩り』は、言葉通りの意味なのか。


 魔法なんてものが本気でこの世界に実在するとは思っていないが、一応念のため。

 でももしも、本当に魔法というものがあるのならば見てみたい気もする。


 という内心とは裏腹に然程興味も無さそうに問うた由依の顔を、友だち登録を完了させたマリア王女/茉莉亜が見返す。

 数秒の沈黙の後、彼女はにっこりと笑った。


「さあ? 由依はどう思う?」

「いや、質問に質問で返さないでよ……」


 完璧にはぐらかされた。

 結局この日は、茉莉亜が魔女なのかどうかは分からずじまいだった。



 そして翌日。

 朝起きたら茉莉亜から「一緒に登校しましょう」と早速メッセージが届いていて。だから今、由依は駅の近くにある区民センター前の広場にこうして突っ立っている。


「やっぱり、魔法なんてあるわけないよねぇ」


 昨日の会話を思い出しながら、ぽつりと呟く。

 あの時は冷静ではなかったからもしかしたらと思ってしまったが、考え直してみれば当然だ。

 茉莉亜は意味深な感じで誤魔化していたけれど、魔法など使えるはずがない。魔女であるはずがないのだ。


「にしても遅いな……」


 メッセージに書かれていた約束の時間を過ぎても一向に現れない茉莉亜。


 そろそろ電車に乗らないと遅刻するぞ?

 腕時計に目を落としたと同時、背後から声を掛けられる。


「ごめんなさい、待ったわよね」

「おお、やっと来た」


 振り返るとそこには、ブレザー姿の茉莉亜がいた。

 しかし髪はボサボサで、微妙にリボンが曲がっている。明らかに寝起きといった風貌だ。


「まさか寝坊した?」


 由依が半笑いで言うと、茉莉亜は申し訳なさそうに頷いた。


「ええ、思いっきり寝坊したわ。無事に高校に馴染めたことで、少し気が緩んだのかもしれないわね」


 完璧に見える王女様でもそんなことあるんだ。

 こういう姿を見ると、茉莉亜も同じ人間なんだなと親近感が湧く。


「まぁ、日本での生活もまだ慣れてないだろうし、気を張っちゃうのも無理ないと思うよ」

「ありがとう由依、気遣ってくれて」


 そんな話をしながら歩いていると、すぐに千歳烏山ちとせからすやま駅が見えてきた。

 踏切の警報音がけたたましく響いていて、道路には長い車列が出来ている。


 こちら側から下り線のホームへ行くには線路を渡らなければならない。


「ここ開かずの踏切なんだよね。待ってても時間の無駄だから、地下通路から行った方がいいよ」


 生まれてからずっとこの街で暮らしていた由依からのちょっとしたアドバイス。

 それに対して茉莉亜は、「ふ〜ん」と薄い反応を示した。

 もう少しリアクションしてくれてもよくない? 


 一旦階段を降りて地下通路を抜け、南口改札からホームへ向かうと、ちょうど入線のアナウンスが流れた。


「まもなく一番線に区間急行橋本はしもと行きが十両編成で参ります。危ないですから黄色い線の内側までお下がりください」


 やがて電車が駅に滑り込んでくる。

 列に並んで電車に乗り込むと、偶然見知った顔と出くわした。


「あれ? 水瀬さんと照日さん?」

「あら。おはよう、木崎きざきさん」


 驚いた様子で声を掛けてきたのは、クラスメイトの木崎双葉ふたばだ。

 茉莉亜が先に挨拶をすると、双葉も笑顔で「おはよっ」と返す。


「木崎さん、いつもこの時間?」


 由依が問いかけると、双葉はこくりと首肯した。


「うん、そうだよ。大体いつもこの電車に乗ってるかな。水瀬さんは普段もっと早く登校してるのに、今日は珍しいね?」


 反対に訊かれて、由依は頬を掻きつつ答える。


「いやぁ、茉莉亜と待ち合わせしてたんだけど、茉莉亜が寝坊してきたからさ……」

「ちょっと由依……!」


 自らの失態をいきなり暴露されて動揺を見せる茉莉亜。

 だが双葉はそれ以上に気になったことがあったらしく、彼女の寝坊については全く触れずに一言。


「二人とも、すごい仲良くなったんだね」

「え?」


 どうしてそう感じたのだろうか?

 首を傾けた由依に、双葉が続ける。


「だってお互いに下の名前で呼び合ってるんだもん。昨日までは苗字にさん付けだったのに。急にそこまでの仲になるなんて、照日さんのお家で二人は何をお話ししたの?」


 なるほど、言われてみれば確かに。

 この呼び方の変化は疑問に思われて当然だ。


 茉莉亜の正体は絶対に明かせないので、パートナー契約についても秘密にしなければ。


「いや、特に大したことは話してないけど……」


 それから調布ちょうふ駅に着くまでの間、余計なことを喋らないように気を付けつつ、昨日の放課後のエピソードを双葉に語った。

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