1-2 疑られランチタイム

 昨日転校してきたばかりの照日てるひ茉莉亜まりあことマリア王女は、たった一日ですっかりクラスに溶け込んでいた。

 由依ゆいが登校した時には彼女はすでに教室にいて、今はクラスメイトと楽しそうに談笑している。


 相手は鶴崎つるさき智仁ともひと鯨井くじらい博之ひろゆき大熊おおくま克則かつのりの男子生徒三人組。

 この三人は趣味が合うらしく入学早々に仲良くなっていた印象だが、果たしてマリア王女と彼らに共有できる話題があるのだろうか?

 由依は自分の机に鞄を置きながら聞き耳を立てる。


「照日さんは今期何観てるの?」

「そうね。バタバタしてたからまだ一話で止まっているけれど、『魔法災害隊』三期はずっと楽しみにしていたわ」

「おおっ、『魔災隊まさいたい』かぁ! 俺もめっちゃ好きだぜ! この前の映画も特典欲しさに五回観に行ったし」

「博之お前本当これ好きよな。まあ俺も観たし面白かったけどさ」

「ちなみに鯨井君はお気に入りの子とかいる? 私は雪乃ゆきのが嫁よ」

「俺はもう桜木さくらぎ芽生めいちゃん一択だな。ツインテでツンデレはマジ反則」


 半分以上何言ってるか分からん。それは日本語か?

 あの男子グループはかなりのオタクで、毎日のように深夜アニメや漫画、キャラクターなどの話を謎の専門用語満載で交わしている。


 由依はそんな彼らの高度なアニメトークに、マリア王女がついていけるはずがないと思っていた。流石にドン引きすることはないにしても、ただ苦笑いを浮かべて相槌を打つのがやっとなのではないか、と。


 しかし蓋を開けてみれば意外や意外。マリア王女はコアな話題にも完璧に対応している、というかむしろ積極的にリードしているではないか。

 登場人物を嫁とか言っちゃってるし。


 マリア王女ってそっち側の人間だったんだ……。

 ヨーロッパの王族の高貴なイメージが、由依の中で静かに崩れ去る。


「おはよ〜」

「おはようございます」


 と、由依が勝手に幻滅していたところ、明るく可愛らしい挨拶とおっとりとした優しい挨拶が同時に教室に響いた。

 一年C組女子の中心的存在、木崎きざき双葉ふたば天王寺てんのうじ瑞穂みずほが登校してきたのだ。


「おはよう。木崎さん、天王寺さん」


 マリア王女が挨拶を返すと、双葉が笑顔で手を振る。


「うん、おはよう」

「茉莉亜ちゃん、早速お友達が出来たんですね?」


 続けて瑞穂がそう声を掛ける。

 瑞穂はこのクラスのまとめ役で、常にクラスメイトのことを気にかけている。だからきっと、転校してきたばかりの彼女がクラスや学校に馴染めるかどうかも心配していたのだろう。


 問われたマリア王女は、オタク男子三人との会話を打ち切ると、瑞穂の方へ寄って行って答える。


「ええ、お陰様で」

「それは良かったです。安心しました。でも茉莉亜ちゃんはまだうちの学校に来たばかりで慣れないことも多いでしょうし、もし何か困ったことがあったら私のことも頼ってくださいね。私はいつだってみんなの味方ですから」


 みんなの味方。瑞穂はよくこの言葉を口にする。

 恐らくは瑞穂の信念とか信条みたいなものと思われる。


 無事にクラスに馴染めたようで何よりと穏やかな笑みを浮かべる瑞穂に、マリア王女はこくりと頷いた。


「ありがとう。天王寺さんは本当に天使みたいな人ね」

「私が天使、ですか……? やだなぁもう、茉莉亜ちゃんったら」


 マリア王女に急に褒められた瑞穂は、頬に左手を当てて右手で叩くような仕草を見せる。

 完全にお母さんの反応だ。


「なになに? 何の話してたの?」

「いやぁ、それがですね」

「天王寺さんはまるで天使よねって話よ」


 それからマリア王女と瑞穂のもとに双葉がやって来て、チャイムが鳴るまではその三人で会話を楽しんでいた。



 午前の授業が終わった、お昼休み。

 通学途中にコンビニで買ったおにぎりを自席で一人で食べながら、由依は思案する。


 マリア王女は朝のホームルーム前だけでなく、授業の合間の五分休みでもクラスメイトと雑談をしていた。

 だが話す相手は毎回バラバラで、由依の記憶が確かなら午前中だけで由依以外のC組の出席している生徒全員と一言は交わしているはず。


 たった一日でほとんどのクラスメイトと友達になるなんて。

 マリア王女の人心掌握術、凄すぎないか?


 やはり王族の人間には生まれながらにしてそういう才能が備わっているものなのだろうか。

 目を向けると、今もマリア王女は瑞穂を含めた女子生徒達と机をくっつけてワイワイと食事をしている。


「…………」


 由依はその様子を無言で眺めつつ、おにぎりの最後の一欠片を口に放り込む。

 それと同時、いきなり横から声を掛けられた。


「あの、水瀬さん」

「えっ、私? ……ゴホゴホっ、ちょっと待って」


 突然話しかけられたことに驚いて、ご飯が上手く飲み込めなかった。

 咽せてしまい、慌ててペットボトルに手を伸ばす。


「わ、ごめんね水瀬さん! 大丈夫?」

「うん、平気」


 緑茶を飲んで落ち着いてから振り向くと、立っていたのは双葉だった。

 双葉の手には袋に入った焼きそばパンとミニサイズのボトルコーヒー。どちらも学校の一階にある自動販売機で売られている品だ。買いに行って今戻って来たところらしい。


「で、どうしたの木崎さん?」

「あのね。もし良かったら、お昼一緒にどうかなって思ったんだけど……。ひょっとしてすでに食べ終わっちゃった?」


 双葉はいつも誰かしらと共に食事をしている。瑞穂たちや他のグループに交ぜてもらっている時もあれば、一人で食べている子を自ら誘っている時もある。

 今日は後者のパターンで、由依がターゲットにされたようだ。


 しかし、由依は先ほどの一口で完食してしまっている。

 残っているのはミニペットボトルの緑茶が半分くらい。


「うん、ごめん」


 せっかく誘ってもらったのに、申し訳ない。

 謝る由依に対して、双葉は頭を振る。


「ううん、全然気にしないで。でもちょっとだけ、二人でお話ししない?」


「それは別に構わないけど……」と由依が受け入れると、早速双葉は前席の椅子の向きをこちら側に変えて座った。

 焼きそばパンの袋を開けながら、何気なく問いかける。


「転校生の照日さん、水瀬さんの隣の席だよね?」

「うん、そうだよ」

「仲良くなれそう?」


 パンを齧りながら由依を窺う双葉の視線が、ほんの僅かに鋭くなる。


 雑談だと思って気軽に応じてしまったけれど、この空気は違うな……?

 まるで取り調べのような緊張感が二人の間に漂う。


「なれると思う、よ」

「本当に?」

「もちろん」

「う〜ん、水瀬さんやっぱりなんか怪しい……」


 ジトっとした目で見つめられて、耐えられなくなった由依は目線を外す。


 まさか双葉も、照日茉莉亜の正体がマリア王女であると気付いたのか?

 いや、違う。双葉が疑っているのはマリア王女ではなく由依だ。


 だとすると、由依の態度や行動に違和感を抱かれているということか。

 いつも通りに振る舞っていたつもりだが、マリア王女に対しては無意識のうちにぎこちなくなっていたのかもしれない。


「気のせいだったらいいんだけどさ。ひょっとして水瀬さん、照日さんのこと避けてる?」


 ドキッ。急に核心を突かれた。


「さ、避けてないよ? 避けるわけないじゃん」

「嘘だよ。絶対に避けてる」


 気のせいとかひょっとしてとか言いながら、完璧に確信してるではないか。


「みんなには秘密にするから、私にだけは理由を教えてくれないかな?」

「いや、理由も何も。避けてないし……」


 理由を話せない以上、その事実を認めることは出来ない。


「私、絶対誰にも言わないよ? 私のこと、そんなに信用出来ない?」

「いやいや、信用とかそういう問題じゃないっていうか。だからその、本当に違うんだって」


 詰め寄ってくる双葉に、挙動不審になりながらもどうにか否定を続ける。

 しかし、流石にもう限界だった。双葉には完全に嘘だと見破られている。


 二人の間に気まずい沈黙が流れる。


「木崎さんに隠し事されたの、初めてだなぁ……」


 静かに焼きそばパンを食べ進めていた双葉が、悲しそうにぽつりと呟いた。

 その一言が、由依の心にチクリと刺さる。


 どうする? どうしたらいい?

 この状況を切り抜ける最善の策は何だ?

 考えを巡らせるも、妙案は浮かんでこない。


「……ごちそうさま」


 やがてパンを食べ終えた双葉は、ペットボトルのキャップを開けてコーヒーを口にする。


 このままだと、じきに双葉は席を立ってしまう。

 何か言わなければ。でも、何を言ったらいい? 分からない。


「…………」


 結局何も言えず、ただ黙って俯き続ける由依。

 するとその時、思わぬ助け舟が現れた。


「水瀬さんって、お家はどこだったかしら?」

「えっ?」


 唐突に投げかけられた質問に顔を上げると、双葉の隣にマリア王女が立っていた。

 宝石のような美しい琥珀色の瞳で、まっすぐに由依を見つめている。


「えっと、千歳烏山ちとせからすやまだけど」

「あら、そうだったの? 私も千歳烏山よ。意外と近所だったのね」


 そんな偶然あるんだ。


 って、そこは今はどうでもいい。

 今気にするべきは何故マリア王女が由依に住所を聞いてきたのか、その理由だ。


 由依が訝しむようにマリア王女を見返すと、彼女は仲の良い友達に向けるような微笑みを浮かべて言った。


「せっかく方向が同じなら一緒に帰らない? 何なら家に寄って行ってもいいわよ」


 マリア王女から家に誘われた?

 一瞬、マリア王女の発言の真意を測りかねる。

 だがすぐに理解した。


 マリア王女は敢えて親しげに由依と接することで、双葉が抱いている疑念を晴らそうとしてくれているのだと。


 昨日初対面の時に挨拶を交わして以降、全く会話もしていなかったクラスメイトのことを助けてくれる理由は分からない。単なる親切心なのか、はたまた何か裏の思惑があるのか。

 けれど、今の由依にはこの救いの手を頼らない選択肢は無かった。


「うん、いいよ。私も照日さんのお家、遊びに行きたい」


 乗り気な感じで、こくりと頷く。


「じゃあ決まりね。また放課後に声を掛けるわ」


 由依の返事を受けたマリア王女は、そう告げると手をひらひらと振ってこの場を立ち去った。


 廊下に出て行ったマリア王女の後ろ姿を見届けて、双葉が口を開く。


「ごめんね、水瀬さんのこと疑っちゃって。私の勘違いだったみたいだね」


 どうやら無事に切り抜けられたらしい。

 内心でホッと安堵しつつ応じる。


「ううん、全然気にしないで。照日さんとあんまり話せてないのは事実だったし」

「でも、水瀬さんと照日さんが最寄駅同じなのにはびっくりしちゃったよ」

「うん。それは私もびっくりした」

「照日さんってどんなお家に住んでるんだろうね? 遊びに行ったら明日教えて」

「分かった」


 と、そんな約束を交わしたと同時に予鈴が鳴って、双葉は慌てて椅子から立ち上がった。


「次の授業は確か現代文だったよね? 急いでゴミ捨ててこなくちゃ」



 そして迎えた放課後。

 本当に彼女の家にお邪魔するのかと半信半疑で帰り支度をしていた由依に、マリア王女が声を掛けてきた。


「水瀬さん。帰りましょうか」

「うん」


 きっとここで断ることも出来たはずだが、マリア王女の住む家にも多少の興味があった。

 好奇心に負けた由依は素直に一緒に帰ることを選んでしまう。


 それが取り返しのつかない運命の分岐点だったとも知らずに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る