藤野真澄からの返信
高瀬 奏 様
私は藤野 真澄の息子、
父に代わりお返事を差し上げる無礼をお許しください。
実は藤野真澄というのは父の舞台役者時代の芸名で、本名は鵜口雅夫(うのぐち まさお)と言います。
三十年ほど前に役者を辞め、しばらく経って家業を継ぎましたが、今は引退して隠居の身です。少し前に脳卒中で倒れて以来会話もままならず、現在ではほぼ寝たきりなのです。
そんな父に高瀬様からの手紙を読み聞かせたところ、話せないながらもしきりに反応を見せたばかりか、涙を流しました。父の涙を見たのはそれが初めてでしたから、私はなんとか父の言葉を汲み取り、父に代わって手紙をしたためた次第です。
そういうわけで、返信に時間がかかってしまい申し訳ありません。
以下に、父の言葉を綴ります。
末筆になりますが、ご母堂様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
高瀬 千重子さん。
懐かしい名を耳にし、涙を禁じ得ません。若い頃、私は何度その名を思い浮かべ、その面影を瞼の裏に描いたことでしょう。
彼女との出会いは、芝居の稽古の場でした。と言っても劇場ではなく、彼女が教えていた書道教室へ私が出向いた形です。彼女には芝居の小道具の作成をお願いしておりました。また、書道家の役を演じる私に、書道はもちろん、和服での所作などを指導していただいたのです。
彼女の元に通ううち、私たちは心を通わせました。
全国公演が始まってからも、彼女は地方まで観に来てくれ、恋仲になるのに時間はかかりませんでした。
しかし幸せな時はすぐに終焉を迎えます。恥ずかしながら、私は当時妻帯しておりました。巡業先での度重なる逢瀬が発覚し、私は劇団を追われました。
私達の仲が引き裂かれるその時、彼女は私に、
そうしてお渡ししたのが、その茶掛です。芝居の小道具として彼女が幾つかしたためた作品のひとつ、『和顔愛語』の書でした。
この言葉は、まさに彼女を体現するものでした。柔らかな笑顔で愛に満ちた話し方。私は特にこの作品を気に入っており、彼女に「君にぴったりの言葉だね」とよく言っていたものです。
「これを私と思って預かっていてくれ。いつかきっと迎えに行くから」
私は彼女にそう伝えました。その時は本気でそう思っていたのです。
しかし、妻ある身の私に何が出来たでしょう。私は本当の名前すら明かせぬまま彼女と密やかに愛を育み、いざ事が露見すれば泣く泣く別れるしかなかったのです。
それでも、私の彼女への思いは本物でした。
お手元の茶掛はどうぞご自由になさってください。
先の短いこの
ただひとつ。どうかこの命尽きるまで、千重子さんのご冥福を祈ることだけはお許しください。
藤野 真澄 改め 鵜口 雅夫
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