これ以上はご遠慮ください

🍻


 殺風景な病室、藤野真澄こと鵜口雅夫が横たわるベッドのそばで、白野紅珠朗と鵜口斗真は手紙を読み返していた。先日送った返信のコピーである。


「……やっぱり酷いな」

「我が父親ながら情けない」

「僕が言うのもなんだけど、かなりのクズ」


「「って、なんでお前(あんた)がいるんだよ(です)?!」」


 二人が振り返ると、両腕に包帯を巻いた鳴瀬 寛一が手紙を覗き込んでいた。少し前に白野が手紙を代筆した、両腕骨折でこの病院に入院中の元顧客である。


「だって暇なんだもん。いいじゃん、トーマスに代筆屋紹介したの、僕よ?」

「俺は斗真だ。トーマスって言うな」


 くらくらする頭を押さえながら、白野は一応怪我人である鳴瀬に椅子を譲った。


「あー……お二人は学生時代のお知り合い、ということでしたね?」

「そうっす。バンド組んでて、僕がボーカルでルナ。こいつがキーボードでトーマス」

「学祭だけのなんちゃってバンドだろ。いつまで言ってんだよ」

「いいじゃ〜ん。モテモテで楽しかったじゃ〜ん」


 鳴瀬は椅子の上で身を捩り、うんざり顔の斗真に繰り返し肩をぶつけている。楽しそうで結構だが、腕は痛くないんだろうか。


「鵜口さん、そろそろお見えになる時間では?」


 新たな椅子を並べながら白野が促すと、斗真はハッとした表情で腰を浮かせた。

 高瀬奏が会いに来るのだ。雅夫の手紙を代筆した手前、白野も立ち会うことになっている。


「そうだよ。鳴瀬、ちょっと出てって」

「えー、やだ。僕も参加する。例の手紙の主が来るんだろ? 面白そうジャン」


 この男、完全に修羅場を期待した目をしている。下世話が服を着て立っているようだ。


「家族のお話ですから。出ましょう、鳴瀬さん」

「でもさー、クズの気持ちはクズにしか代弁できんよ? オヤジさん、色々嘘ついてウブめな女子に手ェ出したんでしょ? しかも地方に呼び出してまでさ」


 斗真が冷たい視線を向ける。


「へえ。鳴瀬、お前自分がクズだっていう自覚あったんだ」

「まぁね。でも僕は彼女や奥さんの存在を隠したことはないから、ちょっと綺麗めなクズ。もうすぐ別れるつもり、とかは言ったけど」

「大して違わねえよ」


「……」


 鳴瀬の肩を持つわけではないが、目の前に横たわる老人のクズさ加減は彼の比ではないと思う。

 病気のせいで喋れなくなったこの男から、異能の力で話を聞き出し手紙を代筆した白野には、それがよくわかるのだ。

 あの手紙の文面は、だいぶ表現を和らげたものだ。実際には、彼は千重子さんのことを憶えてすらいなかった。どころか、同時進行で幾人もの女性に手を出していたのである。そりゃ、劇団を追放されるわけだ。

 それは、当時の彼の妻が遺した恨みつらみを綴った日記をひっくり返して判明した。斗真と一緒に家探しして、やっと見つけたものだ。その日記を彼の耳元で読み上げて、漸く千重子さんを思い出す始末。

 しかも彼は、千重子さんとの思い出をまるで武勇伝のように語った。その語り口は聞いていて気分が悪くなったほど。

 普段は決してしないことだったが、白野は全くの嘘にならない程度に脚色を加えた。千重子さんと、返信を読む奏さんがあまりにも不憫に思えたからだ。

 まあ、それでも滲み出るこの男の身勝手さは隠しようもなかったが。



「あの……」

 細く開いた扉の隙間から、男が覗いていた。少し長めの癖毛が優しげな顔立ちを彩っている。

 ルナとトーマス、いや、鳴瀬と斗真が押し問答しているうちに、高瀬奏さんが到着してしまったのだ。白野は急いで駆け寄り、扉を開けてやる。


「代筆屋の白野です。どうぞ、中へ」



 ✉️



 挨拶を交わしお悔やみの言葉を一通り受けると、奏はベッドへ近づき、横たわる老人を見下ろした。干からびた姿でほとんど寝息も立てずに眠っているその老人は、それでも若い頃の美貌を僅かに偲ばせた。

 硬い表情で老人を見下ろし続ける奏に、斗真が深々と頭を下げる。


「うちの父が、申し訳ありませんでした」


 沈黙が流れた。さすがの鳴瀬もおとなしく気配を消して立っている。



「……似ていませんね」

 微かなため息と共に、奏が呟いた。

 驚いて顔を上げた斗真に、ぎこちなく笑いかける。


「この人と、僕。それと、あなたにも」


 奏は両手をあげて顔を擦った。何度も手を上下させて顔を擦り、最後に前髪をかき上げ、一度だけぎゅっと目を閉じた。両手を下ろして肩の力を抜き、斗真に向き直る。


「僕、今年で三十になるんです。だから本当は、ここに来るのが怖かった…」


「……この人が奏くんの、父親じゃないかと思ってたってこと?」


(鳴瀬ぇ! お前また、繊細なところをズケズケと! これだからミュージシャン崩れは……)

 白野が思い切り睨みつけるが、鳴瀬は蛙の面に水といったところだ。


 問いには答えず、奏は静かに続けた。


「あの返信を読んで、本当に腹が立ちました。思わずぐしゃぐしゃに握りつぶして、破り捨てても足りずに焼き払いましたよ。なんて不実な男だ、って」


「本当に、すみません」

 再び頭を下げる斗真に、奏は首を振る。


「あなたが謝ることじゃないです。頭を上げてください」


 白野は奏に椅子をすすめた。飲み物でも出そうと冷蔵庫に手を伸ばした時、鳴瀬がちゃっかり腰掛けるのが見えた。なんでお前が最初に座る!



 ✉️



 麦茶のグラスを手に、奏は今では穏やかな顔をしていた。


「母が彼のことを待っていたとは思わない。でも、若き日の思い出として大切に胸にしまっていて、それでも最期に自分のことを思い出して欲しかったんでしょう。母はあの男の正体を知らずに逝きました。それで良かったと、今は思ってます」


 そう言いながらも、あれから奏は一度もベッドの方へ視線を向けない。


「もしかしたら、あの茶掛を返すよう頼んだのは、僕と父親を引き合わせるためなんじゃないかって思ってたんです。でも、そうじゃなかったみたいだ。結局、僕は自分の父親が誰だかわからないままですが……母が言いたくなかったのなら、もうそれでいい」


 麦茶を一口飲んで、彼はグラスをテーブルに置いた。そして足元のカバンの中から巻物を取り出した。


「これ、お返しします。あの、斗真さんがご不快だったら申し訳ないんですが……あんな手紙を読んでしまった後では、持っていたくない。かといって自分で捨てるのも辛くて」

「あ、いえ。こちらで…」


 斗真が両手を差し出すのを遮り、声をかける。


「あの、それ私が引き取りましょうか? 知り合いのところで供養してもらいます」


 二人は目を見交わし、同時に頷いた。奏の手から巻物を受け取り、手早く鞄にしまう。すると奏は、肩の荷を下ろしたように明るい顔つきになって、一つ息を吐いた。


「……ほんとは、ちょっとだけ期待もしてたんです。腹違いとはいえ、兄弟ができるのかもって。僕、一人っ子だったし、未婚で僕を身籠った母は親から絶縁されて親類もいないので」

「いや……一人っ子、羨ましいです。俺は上に異母兄弟が8人いるんですよ。俺、4人目の妻の子供で」

「「「4人?!」」」


 思わず白野も突っ込んでしまった。それは初耳だ。


「でも、誰も見舞いにも来やしない。俺だって、親父が死んだら無縁仏にしてやろうと思ってます。俺も母も色々苦労させられましたから……」


 渋い顔で吐き捨てるようにそう言って、斗真は膝の上で拳を握った。室内の空気が一気に重くなる。


「でもさぁ……」


 空気を一切読まない鳴瀬がとぼけた口調で呟いた。

「斗真の親父さん、確かにクズだけど、その時その時はそれぞれに本気だったんじゃないかなぁ」


 鳴瀬……この先一生とは言わない。ただ、あと4〜50年は黙っていてくれないか。そう願いながら、白野は目を閉じる。 


「だって僕もそうだもん。いつだって目の前の女の子に本気で夢中なんだよ」

「黙れクズ」

「鳴瀬さん、それ今言うことじゃ…」

「そもそもあなた、普通に居ますけどどなたですか?」


 尤もな疑問が放たれた。おそらく鳴瀬があまりにも当然のように同席していたので、奏も聞けなかったのだろう。


「僕はトーマスの親友で白野っちのマブ。ルナでいいよ」

「誰が親友だ。あとトーマスやめろ」

「私もマブではありません。決して」


 全く怯まない鳴瀬は、両腕を差し上げてみせた。


「僕、これで入院してるんだけどさ、トーマスパパが担ぎ込まれたってんでちょいちょい遊びに来てんのよ。暇つぶしにね」

「暇つぶし……」

「ねえねえ奏っち。名前からすると、なんか楽器やってない?」

「……は、母が書道の他に琴と三味線も教えていたので、その辺は」

「んじゃ、バンド組もーよ。トーマスも、もっかいさ」

「やだよ」

「お断りします」

「作詞は僕に任せて」

「それはやめた方が…」

「本当にやめろ。お前に文才はない」

「白野っちはドラムね」

「やりません。それよりいい加減人の話を聞いてください(これだからミュージシャン崩れは!)」



 最後は妙な展開になってしまったが、おかげで重い雰囲気が払拭されたのは確かだ。病院の玄関口で奏さんを見送る頃には、なぜか鳴瀬が彼の連絡先を入手していた。変なやつ。

 白野も彼らにいとまを告げ、駐車場へと向かう。鞄の中には、悲しみを纏った巻物が入っている。帰りに寺に寄って預けよう。


 千重子さんが亡くなったのと鵜口雅夫が脳卒中で倒れたのは、同じ時期だった。これが偶然とは思えない。茶掛を受け取った時、白野はそれを確信した。

 奏さんは「母は何も知らずに逝った」と言っていたが、おそらくそうではない。亡くなった彼女は生身の身体を離れ、魂となって、初めて雅夫の本性を知ったのだ。

 霊能力を持たない白野には詳しいことはわからない。が、巻物に染みついた想いなら感じ取れる。そこに書かれた言葉とは裏腹な感情が、なんとも物哀しい。

 そして白野は気づいていた。奏は「似ていない」と言っていたが、髪をかき上げた時に見えた耳の形が、鵜口雅夫にそっくりだったのを。もちろん息子の斗真にも。

 

 千重子さんがこれ以上雅夫を呪わぬよう、この茶掛も手厚く弔ってもらわねば。

 どうか安らかに眠ってほしい。千重子自身はもちろん、クズ男の血を引きながらも真っ当に育った斗真と奏のために、白野はそう願った。




〜 八通目 母の過去を辿る手紙・完 〜


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