八通目 母の過去を辿る手紙

高瀬 奏からの手紙

藤野 真澄様


 突然のお手紙失礼いたします。

 私は高瀬 千重子の息子で、高瀬 奏と申します。

 三十年以上も前のことになりますので、覚えていらっしゃらないかもしれませんが、先日亡くなりました母、千重子がお借りしたまま返せなかった『茶掛ちゃがけ』を、貴方様に返却して欲しいと言い遺しましたので、大変不躾ではございますがご連絡させていただきました。


和顔愛語わげんあいご』と書かれた掛け軸は、私が幼き頃より、我が家の玄関に掛けられておりました。毎朝、目の端に捉えつつも、茶道や禅語に疎い私は興味を持つことはなく、母にその真意を尋ねることもありませんでしたし、母も語ることはありませんでした。

 

 ですから、どのような事情で母がこの掛け軸をお借りし、なぜ今になって私に返却を託したのか。一切わからぬままに、貴方様に文をしたためることが果たして良いのかどうか、とても迷いました。

 ただ、母一人子一人、肩寄せ合って生きてきたなかで母が私に頼み事をしたのは、後にも先にも今回が初めてでした。そんな母の願いを無下にもできず、甚だご迷惑なことと思いつつ、こうしてお尋ね申し上げた次第です。


 もし差し支えなければ、経緯などをお教えいただけたら幸いです。

 でももし、そのままにして欲しいとお望みでしたら、この掛け軸は私の方で大切に保管させていただきます。

 お手数をおかけして申し訳ございませんが、どうぞよろしくお願いいたします。


          高瀬 奏

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