第20話 本能

<静かね、とても静か>

 海の中は静寂が支配していた。そもそも潜水艦は「サイレント・サービス」と呼ばれるほど「沈黙」が重視される特殊な艦船だ。音は自分の存在を敵に知らせてしまう最も危険なものとされる。耳の良いソナーマンは、敵艦の中でスプーンが床に落ちた音さえも聞き分けるという。もっとも現在では、音のでるような床素材を使っている艦は皆無だが。

 今、モビーディックの周辺に、敵の潜水艦は恐らくいない。だが、サブマリナーたちはいつものように静かに行動している。それが彼ら、彼女らの通常行動なのだ。アレックス博士はラボで作業中に自分の呼吸音を久しぶりに意識するようになった。時折、パソコンが発するカリカリという音すらもラボ内に響き渡っているような気がした。


 深く思索にふけることの多くなった博士の頭の中に、ここしばらくこびりついている疑問があった。

<どうしてナノプローブは地球を見つけ、やって来たのだろうか>

 博士はナノプローブが地球製ではないと確信していた。宇宙人という響きは荒唐無稽に聞こえるし、存在の証拠がないだけに科学者としては迂闊に口に出しづらい言葉だ。しかし、このナノプローブの技術レベルは地球上のそれを遥かに超えている。ならばこいつらは地球外、即ち宇宙から飛来したものと推定するのが最も合理的だ。とすれば、この高度な機械は地球外知的生命体がつくったものなのだ。

<太陽系内ではあり得ない。ならどこからやって来たの。宇宙はとてつもなく広いのに、どうして天の川銀河の外れにある太陽系の、しかも地球を目指してきたの>

 博士の疑問は膨らむばかりだった。


 乗艦した日、アレックスは艦長室での夕食に招かれた。食事はレトルトの肉料理を中心とした粗末なものだったが、それでも食べられるだけマシだ。

「ごちそうでなくて申し訳ありません。でも、これが精いっぱいのもてなしなんです」

 ジョンストン艦長はこう弁解した。誠実な人柄が伺える口ぶりだった。

「いえ、艦長、感謝いたします。陸上では食事にありつけない人が何百万人もいます。こんな贅沢な食事に文句を言ったら罰せられます」

 博士が答えると、ジョンストンは微笑んだ。

「当艦にはゲストも含めて76人が乗船しています。食料は約3週間分確保しています。来週には補給が入る予定ですが…」

「それも不確定でしょうね」

「どこも機材と人手が不足しています。備蓄食料も底を尽きかけているようです。確かに約束はできません」

 食事はものの5分で終わった。腹八分目どころか、アフタヌーンの軽食にすら及ばない分量だった。

「反撃の方策を探り当てていない私が言うのも何なのですが、海に身を潜めるのも、いつまで続けられるか分からないですね」

 ジョンストン艦長は静かにフォークを置き、水が半分ほど入ったコップを口に運んだ。

「当艦には、通常魚雷が50発、SLBMこれは核ミサイルですが、それが20発搭載されています。しかし、それで反撃はできないのですね」

 アレックス博士は深く頷いた。

「奴らは単体だと小さすぎます。第二次世界大戦の前には戦艦が競って大砲を巨大化していたそうですね。でも、空母艦載機が攻撃の主力となったら、大鑑の巨砲はほとんど戦術的には無意味になったんですよね。今起こっている事態、あえてナノプローブを〝敵〟と呼ぶなら、敵は単体だとその艦載機の何千倍、何万倍も小さいのです。そこに大砲を撃ち込んでも壊滅できません。戦況は変えられないんです」

「その例えは良く分かります。では大砲でないとすると、何か対抗できる可能性があるのですか」

「それは…」

 博士の言葉は途切れた。答えたくてもその答えが見つかっていない。

「私は司令部からSLBMの発射命令が下されるのをずっと恐れていました。では、今回の事態に対抗する切り札はSLBMではないのですね」

「現時点では切り札にはならないでしょう。この期に及んで、ウォーレン大統領はその命令を下すことは決してないと思います」

「安心しました。軍人なので命令には従わなければなりません。ですが、自国にSLBMを撃ち込むのは、できれば避けたい。それにしても…」

 艦長はもう一口水を飲んだ。

「敵はかなり強力ですね」

「その通りです、艦長。プローブは単体だと5ナノメートルほどの大きさですが、それが数千集まると人間や動物の生命を奪うことができます。さらに億単位の塊になると、航空機のような高度な機械の機能も停止させられます。解体と再編成を繰り返しながら、それが今、猛烈な勢いで拡散し、地球上の文明社会を攻撃し続けているのです」

「軍隊のような組織なら、司令部を叩けば統率が乱れ、結果として部隊の動きは鈍ります。反撃の糸口はそこに見出せるでしょう。しかし、このナノプローブって奴は、どんなに分散しても、指揮命令系統がなくても、攻撃行動の統率に緩みがないようにみえます」

「おっしゃる通りです。その性質こそが、奴らが機械であることの証明です。定められた目的、目標に向かって、ひたすら行動するのみ。それしかない空っぽの存在です。コンピュータならソフトを書き換えれば動きを止められるのでしょうが、我々にはそのソフトが解明できていません。私はそれを『集合知』と表現しましたが、知性ですらないかもしれません」

「奴らの行動パターンはまるで動物の本能のようですね。誰が教えなくても、動物はきまった行動を取りますよね。それは知性ではありません」

 アレックス博士は艦長の言葉に目を輝かせた。

「本能を有した機械。まさにそれが奴らの本質を表しているかもしれませんね」

「本能にもちゃんとしたメカニズムがあると聞きました。例えば、サケが生まれた川に戻ってくるのにも科学的な理由があるんですよね。生まれた川の匂いとか」

「全てが解明されている訳ではありませんが、確かにその通りです」

「マシンの内部を探るのが難しいなら、奴らの行動からその本能的な行動の理由を探ってみてはどうでしょうか。そこに反撃の糸口があるかもしれません。科学者を前にして、こんな素人考えを披露するのは恥ずかしい限りですが」

 アレックスの瞳が輝きを増した。

「いえ、艦長、そのようなことはありません。今まで私は数少ない分析情報をかき集めて、奴らのメカニカルな弱点を探ることに終始していました。行動メカニズムの中から対処方法をみつけるというのは斬新な発想です」

 ジョンストン艦長は白い歯をみせて笑った。

「お役に立てたのなら光栄です。このまま逃げ回るのは性に合いません。奴らに一矢報いる方策をぜひ…」

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