第19話 モビーディック
アレックス博士は話題を変えた。
「ところで、どこかの国が核を使ったって耳にしたんだけど」
ヘイスティングス大佐は沈痛な声で答えた。
「はい、残念ながら…。アジアでは中国とパキスタン、インド。中東ではイスラエルとイラン、ロシアも使ったようです。いずれも自国領土内で小型の戦術核を使用した模様です」
「とんでもない悲劇ね」
「核を使っても多少時間が稼げるだけです。すぐにプローブが侵食してきます」
「分かっていても止められなかったのよ。打つ手がなくなったんだわ。悪あがきね」
「我が国も打つ手は現在のところありません。ですが、核は使用していません」
「ウォーレン大統領は賢明だと思う。自国の人口密集地に核ミサイルを撃ち込むなんて正気の沙汰じゃない。ほとんどの人はすでに死んでいるかもしれないけど、その中では少なからぬ人が息を潜めて生きていたはずよ。その人たちも一網打尽にしてしまったんだわ。たいした効果も期待できないのに」
博士らを乗せた科学者グループのヘリ3機は、約1時間後、太平洋上に浮上した原子力潜水艦に着艦した。
「私、閉所恐怖症なの。潜水艦は辛いわ」
アレックスは人ひとりがやっと通れる狭い入口から艦内に下りた。廊下の延長とでもいえるような質素なエントランスで、艦長以下、艦の幹部士官が、来客を出迎えた。
「ようこそ、モビーディックへ」
艦長のジョンストンは黒人にしては珍しく小柄な男性だった。親し気なあいさつだったが、表情は険しかった。
アレックス博士らが居住エリア―といっても二段ベッドのひとつが分け与えられたにすぎなかったが―に案内されている間に、モビーディックは潜航を始めた。
「当面は水深100メートル程度に留まります。通信が必要な際には浅海まで浮上してフロートアンテナを放出しますので、必要が生じた際には遠慮なく言ってください。博士の研究は最優先と伺っています。ラボは別室に用意してあります」
説明した水兵は、童顔で高校生くらいにもみえた。顔には少なからぬ緊張感が漂っている。
「ありがとう。この二段ベッドの上で研究するのかと思ったわ」
アレックスは博士のジョークに、水兵は少し頬を緩ませた。
「早速、ラボにパソコンをセットアップしたいのだけど」
「搬入した機器類のセットアップはお任せください。数時間後には案内できると思われます」
「そう、ありがとう。助かるわ」
博士の言葉に、水兵は小さく笑顔で応えた。
「ところで、君、名前は」
「マーティン少尉であります」
マーティンは海軍式の敬礼をした。
「少尉は、この問題が起こってから、ずっとこの艦に乗りっぱなしなの」
「はい、ここ7カ月ほどは上陸しておりません」
「家族は? どうしてるの。連絡は取れてる?」
マーティン少尉は表情を曇らせた。
「先月までは週に1回、安全を確認できていました。しかし、その後は…。インターネットがやられたと聞いています」
アレックスはマーティンの瞳をじっと見た。
「安否は分からないのね。それは心配よね」
「はい。ですが、いつか奴らを撃滅し、家族との日常を取り戻せる日が来ると信じています」
マーティンは気を取り直したように言って、瞳を輝かせた。アレックス博士はマーティンの真っ直ぐな視線から思わず目を逸らした。
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