第3話 消失

「どういうことなの、詳しく報告して」

 落下物を回収した前夜の興奮からかアレックス博士はその夜、なかなか寝付けなかった。ようやくうとうとし始めたのは、東の空が白み始めるころだったが、眠りに落ちてすぐにベッドサイドのスマートフォンの振動で叩き起こされる羽目になった。

 この朝、調査チームの科学者アンドリュースがラボに出勤したところ、隕石を収容した容器に無数の小さな穴が開いていたのを発見したとの報告だった。

「それで、容器はどんな状態なの?」

「はい、表面に無数の小さな穴、大きさは数ミリ程度のものですが、それが何十、いや何百と開いています」

 アレックス博士は寝ぼけた頭をかきむしった。まだ脳細胞は覚醒し切っていない。

「私が退去してからラボには誰も入っていないのよね」

「はい、それは間違いありません。入退室はIDカードで記録されていますから。確認しましたが、昨夜博士が部屋をでた午前2時28分から、今朝私が入室した午前5時43分まで誰もラボには入室していません。念のためログの改ざんも調べてみました。痕跡は見つけられませんでした」

「…」

 報告を寄せたアンドリュースは堅実な仕事ぶりで評価が高い男だ。報告に嘘はないだろう。アレックス博士は寝起き直後で未だはっきりしない脳細胞をフル回転させながら、この想定外の事態が発生した理由を分析したが、ベッドの上で結論がでるはずはない。

「レベル4のハザードに異常はない?」

「はい、それは問題ありません」

 博士はブランケットを跳ね除け、上半身を勢いよく起こした。少し眩暈がした。

「分かった。今すぐ行くから、ハザードだけは厳密に監視しておいて。それとヘイスティングス以外の誰もラボに入れちゃダメよ」

「承知しました」


 <コーヒーが飲みたい。とびきり濃い奴>

 アレックス博士は心の中でつぶやき、クローゼットに向かった。


「ハザードが破られました」

 次にアレックス博士がこの報告を受けたのは、ラボに向かう車中だった。最初の報告からわずか十数分しか経っていない。

「どうして? 機械の故障?」

 博士はハンドルを握る手に力を込めた。背筋に嫌な汗を感じた。

「センサーは正常に機能しています。隔離が破られたと考えるべきです」

 アンドリュースの声は緊張で若干震えていた。

「大佐に連絡してラボ棟自体をレベル5の警戒態勢で封鎖して。あなたもすぐに退避するのよ。急いでね」

「分かりました」

「ところで確認だけど、あなたは隔離室に入っていないわよね」

「…」

 一瞬の間で、アレックス博士は全てを悟った。

「すみません…、まさかこんな事態になっているとは…。滞室はほんの数十秒だと思うのですが」

「あなたもすぐに隔離されなければならない。隔離ゾーンには自分で向かえる?」

「はい」

「すぐに移動して。言うまでもないことだけど、誰とも接触しちゃだめよ」

 電話はすぐに切れた。アレックス博士は事の重大さに寒気を抑えることができなかった。

「一体何が起こったの」

 

 アレックス博士がラボのある実験棟の駐車場に車を停めると、すぐにヘイスティングス大佐が駆け寄ってきた。

「実験棟はレベル5で封鎖しました。アンドリュース博士の隔離も実施済みです」

 実験棟に向かって速足で進むアレックス博士は頷いた。

「ところで実験棟の内部はどんな感じなの」

「監視カメラで観察中ですが、ラボが…」

 博士は立ち止まって、ヘイスティングスに視線を向けた。

「ラボが…どうしたって言うの」

 大佐は口ごもったが、やがて気を取り直したように口を開いた。

「ボロボロです、博士」

「ボロボロ…」

 予想もしなかった大佐の言葉に、アレックス博士は眉をひそめた。

「そうです、博士。文字通りボロボロなんです」


 2人は実験棟の隣にある建物に入り、実験棟の監視カメラを確認できる警備室に急いだ。

「ご覧になってください」

 大佐が二つ、三つのスイッチを操作すると、壁一面に16ある画面が実験棟の内部の映像を映し出した。

「中央のものがラボです」

「何これ…」

 アレックス博士は言葉を失った。ほんの数時間前、ガラス越しにジョアンナが収容されている強化チタン製の容器を眺めていたはずだったのに、画面に映し出されているのは、ほとんど原型をとどめていない容器の残骸が床に散乱している姿だった。さらに驚くべきはラボの室内が、何十年も人の手が入っていない廃墟のように荒れ果てていたことだった。壁際に並んでいた分析機器類も残骸の山と化していた。

「どういうことなの」

 博士とともに画面を凝視していた大佐は、表情を変えずに言った。

「分かりません。ひとつ言えるのは、ありとあらゆる金属が腐食したかのように消え失せていることです」

「金属が…? ジョアンナ自体が金属なんだから、腐食性の物質があったならジョアンナはどうなったの」

 大佐が答えるまでもなく、その解は画面の中にあった。

「消えました。跡形もなく」

<そういえば…>

 アレックス博士は記憶を辿った。

<ジョアンナを収めた容器は、ステンレス製の台の上に置いてあったはず>

 しかし、画面の中にはその台すら見当たらない。四本あった脚の一部らしきものがわずかに確認できるだけだ。容器はほとんど消失し原型は伺うこともできないが、破片らしき金属が少しだけ残っているのは見て取れた。アンドリュースが報告してきた通り、小さな虫食い穴が多数あった。ラボの室内全体をみても、乱暴な引っ越しの後、もしくは徹底的な破壊の跡という様相だった。自分がラボを最後に目にしてから、まだ10時間も経っていない。

「どうしてこんなことが…」


 脳細胞をフル回転して事態の原因を探っていたアレックス博士を、さらなる悲劇的な報告が襲った。

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