2.双葉店長のイチオシメニュー

 眩い朝の光が、その目に強く焼き付いた。

 彼女は大きく伸びをし、胸いっぱいに新鮮な空気を取り込んだ。まだ寒さは残るが、ほんのり暖かさを纏って吹く風が心地いい。清々しい気分になったが、彼女はつい、こう口走る。

「……ここが墓場じゃなかったらね」

 春星(はるぼし)双葉(ふたば)は、墓石の前に置いてある看板に手をかけた。裏返しに置かれていた看板を元のように戻すと、そこには『春夏冬中』と書かれている。

「今日も頑張るぞ!」

 双葉は一人そう意気込んで、墓石をずらし、また中へと降りて行った。

 階段を降りて行った先にある扉を開けると、その向こうに広がっているのは、暖色の灯りに彩られた小さなカフェ。カウンターには椅子が五脚並べられ、ボックス席が一つ。グランドピアノが部屋の一角を陣取っているが、もう壊れて歪んだ音しか鳴らさない。不法投棄されていたものを、雰囲気作りのために勝手に持ち込んだのだ。

 双葉がカウンターに入った直後、扉の上に点けられたベルが、軽やかにその音を響かせた。双葉ははっと顔を上げて、元気よく言った。

「いらっしゃいませ!」

 ぴんっと勢いよく伸びた彼女の背筋は、次の瞬間には溜息と共に、しゅんと力を失った。

「……また来たの、一」

「またとは何さ? きっと閑古鳥が鳴いてるだろうと思って来たのに」

 一がくだけた表情でカウンターに座る。双葉の顔を見上げると、恩着せがましい台詞と思われたのか、むっとした彼女の視線と衝突する。一はちょっと慌てた様子で、頭を掻いた。

「いや、冗談だよ。そんなつもりで来たんじゃないさ」

「じゃあ何?」

「モーニングセット! 爽やかな朝の一日のスタートに相応しい朝食を頂こうと思ってね」

 相変わらず調子のいい一に、双葉は呆れた表情を浮かべるも、黙ってコーヒーを淹れ始めた。

 くつくつと燻ぶるコーヒーの音、トースターのネジが、じりじりと静かに響く。手際のよい彼女の様子を、頬杖をついて眺める一は、次第にうとうとし始めていた。

「こんなところでのんびりしている場合なの、名探偵?」

 一の奔放な様子に、双葉が言った。

「先に片付ける事件があるんじゃないの?」


「キンダイチ先生……ちょっと、気になることが」

 昨日、探偵事務所にやってきた青年の幽霊の相談は、最近この桂田霊園を頻繁にうろついている子どもたちがいるということだった。

「探検気分で来てるだけなんじゃないかな」

「それならいいんですが……」

「と言うと?」

「なんだか、僕たちのことを探っているみたいなんです」

 青年は、子どもたちの話をたまたま耳にしたらしい。


「ゲンさんには、やっぱり落ち武者のお化けが取り憑いてた! あたし、見たもん!」

「お化けなんて、俺たちでやっつけてやろうぜ!」

「時々、この墓地に、色んなお化けがいるのを見かけるの」

「そいつらが関係してるんじゃねーのか?」

「そう! それでさ、実は前に、ここの墓地から出てきたお爺さんのお化けが、落ち武者の祠に行くとこを見たんだ! ついてったら、落ち武者と仲良くしてて……」

「それじゃあ、そのじーさんってのが怪しいな! 見つけて話を聞き出そうぜ!」


 一と旭は、顔を見合わせ、それから同時にある方向を振り返った。

「……なんだ」

「それって、吾郎さんのことでしょ?」

「そうだろうな」

 二人の視線を避けるように、ソファにふんぞり返る吾郎は、また金を数え始めた。旭にいじられないように、アタッシュケースは膝の上にしっかり置かれている。

 青年は続けた。

「子どもって何するか分かりませんから……それを、ここの向かいのカフェの双葉さんに、相談したんです。僕、常連なんですよ。そしたら、キンダイチ先生を紹介されて」

「分かりました! 僕たちがなんとかしましょう!」


「なんとかするって、考えはあるの?」

 双葉は心配そうに尋ねたが、一は自信ありげな表情で頷いた。

「もっちろん! 作戦はあるよ!」

「へえ、どんな?」

「名付けて、『作戦なし作戦』!」

「聞いて損した」

「だって、吾郎さんはこの話のメインだろ」

「原因ね」

「オブラートにしたんじゃないか」

「あのお医者さんはどうなの?」

「万ちゃんは、あんまり幽霊側にはつきたくないんじゃないかなあ」

 一はコーヒーを置くと、双葉の顔を見上げた。

「双葉、このコーヒーさ」

「何?」

「ちょっと苦いなあ」

「朝はそれくらいがちょうどいいのよ、目が覚めるでしょ?」

「お冷貰えるかな」

「あのね、ここ居酒屋じゃないんだけど」


 一方、万吉の診療所には、小さなお客さんがやって来ていた。

「こ、こんにちわ……」

 挨拶をされたが、万吉は唖然として返事ができなかった。

 診察室にやって来たのは、恭四郎だった。具合が悪くてやってきたようではないようだった。なんの用件で来たのかは、万吉にも察しがついた。恭四郎の細い腕に抱えられているのは、お化け大百科だ。

「あの、先生……先生も、お化けが見えるんですよね?」

「……なんのことかな」

「こないだ、僕ん家に来たとき、お化けと一緒に来ましたよね?」

「君のお爺ちゃんの腰の具合を見るためにお邪魔したときのこと? あのときは僕一人で行ったけどな?」

 溜息をつきたくなるのをこらえて、万吉は丁寧に言った。淡々と話す万吉の様子に、恭四郎は分かりやすく狼狽えた。

「え……で、でも、先生の後ろに、お化けが三人いたんです」

「君は想像力が豊かなだけさ」

「想像力?」

 万吉は頷いて続けた。

「そういった本ばかり読んでるとね、何かの影が怖いものに見えたり、物音に敏感になったりするんだ」

「でも、僕……」

「そういうことばかり考えてると、気持ちが疲れちゃうよ。今日の用事はそれだけかな?」

 恭四郎は、唇を引っ込めて俯いた。それを諦めと取った万吉は椅子から立ち上がると、恭四郎の肩を掴んで、ふいっと後ろを向かせた。

「それじゃあ、先生は病気の患者さんの診察があるから、元気な子どもはお外で遊んでおいで」

 ぽんっと背中を押され、恭四郎は二、三歩よろめく。驚いて振り返ると、万吉はドアノブに手をかけ、こちらに微笑んでいた。恭四郎は戸惑った末、とぼとぼと診療所を後にした。


 公園に入ると、ブランコに乗っていた女の子が途端飛び降りて、恭四郎のもとへ駆け寄って来た。

「どーだった?」

 待っていた少女――今藤(こんどう)澪(みお)は、開口一番そう尋ねた。

「……先生は、お化けは見えないって」

「なんだあ、せっかく大人が味方にできると思ったのにい」

「ごめん……」

「やっぱ、俺たちでどーにかするしかねーみてーだな!」

と、小太りの少年が、真ん丸に握った右手の拳を左手の手のひらで受け止め、ぱんっと心地良い音を鳴らした。

「俺に任せとけ! 父ちゃんに柔道仕込んでもらってる俺なら、お化けの一人や二人、投げ飛ばしてやるよ!」

 彼は東海林 幸仁(ゆきひと)。谷ヶ崎の町長、仁の息子だ。

 彼ら三人は、同じ学校に通う同級生。暇さえあればいつも集まって遊んでいる。しかし、今回は遊びではない。

「恭四郎! ゲンお爺ちゃんのこと、絶対助けてあげようね! 三人でお化けなんかやっつけよう!」

 三人は、桂田霊園と向かう計画を立てていた。澪が見たという、お爺さんの幽霊――つまり、吾郎を探すためだ。

「ねえ、澪ちゃん……やっぱりやめない?」

「駄目だよ! 今いなくなったからって、また戻ってくるかもしれないじゃん!」

恭四郎の弱音は、澪の甲高い声に掻き消された。幸仁も後に続く。

「甘えた考えじゃ駄目だぞ! 恭四郎!」

「で、でも……他の幽霊まで怒らせちゃったら、どうするんだよう」

「だから、俺が投げ飛ばしてやるっつーの!」

「そんなの無理に決まってるじゃん……」

「なんだと!」

「……分かったよう」

 恭四郎は文字通り閉口した。

 お化けはみんな、生きている人間をおどかす。幸仁と澪はそう思っている。恭四郎も、そう思っていた。ついこの間までは。

「……本当に、悪いお化けだったのかなあ」

「まだ言うのかよお」

公園から出ようとしていた幸仁が足を止め、大きな溜息と共に言った。

「ゲンのじーさんの腰が痛くなったのは、落ち武者のせいじゃねーか!」

「そ、そうなんだけど、落ち武者さん、寂しかっただけなんだと思う……」

「なんでそう思うの?」

 澪に尋ねられ、恭四郎は、落ち武者が元則のもとを離れたときのことと、一たちが自分の家へやって来たときのことを打ち明けた。

「その、カネダハジメって人も、優しい顔してたんだ。別に何もされなかったしさ……」

「ふーん」

と幸仁は鼻を鳴らした後、恭四郎の言葉を一蹴するように、冷たく言い放った。

「そりゃあ、恭四郎、騙されてんな」

「えっ?」

「ゲンのじーさんに憑りついてたのが、宇津美先生の所へ診察に行くまでになっちまって、怖気づいたんだろ」

「どういうこと?」

「お化けを追い払うのは万吉先生には出来ないだろ? 万吉先生に治せないとなると、いよいよお化けのせいだってことになって、すっげー霊媒師とか連れて来られるかもしれないって、落ち武者が怖気づいたんだ」

「でも、霊媒師には払えないお化けかもしれないよ?」

「それだけの力はないから、逃げ出したんだろ」

「だ、だけど、カネダハジメって人は……」

「『僕たちは可哀想なお化けなんだよー』って言い訳するために来たんじゃねーか?」

「ええ……」

 とうとう、恭四郎は眉を顰めた。

「じゃあ、全部、嘘だったのかなあ……」

「だから、騙されてるって言ってんだろ」

 幸仁のとどめが胸を貫いて、恭四郎は項垂れた。

 霊園は妙な静けさに包まれ、昼間だというのに不気味な雰囲気を纏っていた。恭四郎は思わず雪穂との背中に隠れ込んだ。しかし、澪も幸仁も、その雰囲気をものともせず、ずんずんと進んでいく。

「どの辺で見たんだ、そのじーさんって?」

「確か、この辺りなんだけど……」

「あ、あの……もしかして、あの祠のほうにいるんじゃないかな……?」

 恭四郎は、早くこの霊園から出たくて、そんなことを呟いた。確かに吾郎はそこへ出入りしていたのだし、落ち武者だってそこの幽霊なのだ。それに祠のほうへ行けば、工事中の元則と一緒にいられる。

 これには澪と幸仁も納得したようで、きょろきょろ辺りを見回すのをやめた。

 このまま彼らがこの場を去れば、吾郎さんもタスケくんも見つからずに済む……。

 木の陰から彼らの様子を窺っていた一は、ほっと胸を撫で下ろした。三人は何かを話し合うと、頷き合ってから、霊園の出口に向かって歩き始めたからだ。恭四郎の表情にも安堵が見えた。

 だから、次の瞬間、空気を裂いたその声に、一はぎょっとして飛び上がった。

「あっ!」

 何かの気配を察したのか、澪が突然振り返ったのだ。

 その視線の先には、茫然と佇む吾郎の姿があった。その場の空気はまるで止まったように、一瞬静まり返ってから、

「ああーっ!」

「うわあーっ!」

 と両者の叫び声が響き渡った。

 子どもたちに指を差され、吾郎は慌てて逃げ出す。その背中に、幸仁が叫んだ。

「待てえ! 逃がさねーぞ!」

と、背負っていたリュックから、何かを取り出した。それは、ティッシュで作られたボールのようだった。幸仁はそれを高々掲げてから、こう叫んで投げつけた。

「食らえ! 清めの塩爆弾!」

 幸仁の手を離れたボールは、吾郎の背中めがけて真っ直ぐ飛んでいった。大きな背中をとらえると、ティッシュは弾けて、中から大量の塩が飛び出した。

 塩を浴びた吾郎は悲鳴を上げ、激痛に悶えてその場に倒れ込んだ。すかさず幸仁がその上に馬乗りしようとしたが、吾郎はなんとか立ち上がり、往生際悪く逃走を図る。

「捕まって堪るか……!」

 追ってくる幸仁を撒いてしまおうと、吾郎は傍にあった木の陰に駆け込んだ。幸仁のばかり気にしていた吾郎には、次の瞬間行く手を阻む衝撃を予測することなどできなかった。

「うわっ!」

 何かにぶつかり、バランスを崩してうつ伏せに倒れる。その下で、小さな呻き声が聞こえた。

「うっ……ちょ、退いてください、吾郎さん……」

「なっ、何しとるんだ、キンダイチ!」

 ところが、その答えを聞くことはできなかった。電撃のような痛みに再び襲われ、途端身体に力が入らなくなったのだ。

 すっかり動けなくなった吾郎と一を、幸仁は塩爆弾を掲げて、勝ち誇った笑顔で見下ろしていた。

「言っただろ? 逃がさねーってな!」

 この霊園で普段は耳にすることのない子供の雄叫びが轟き、吾郎が大人げもなく叫び散らしていたにもかかわらず、霊園内の幽霊たちは誰一人として墓石から顔を覗かせることはしなかった。それが、青年が回したあの回覧板のおかげなのか、幸仁が塩爆弾を使うのを見たからなのかは分からないが、どちらにせよ、他の幽霊に危害が及ばなくて良かった、と一は呑気に考えていた。一方で、誰も助けに来てくれないなあ、とも考えていた。それくらいしか、今の彼にできることはなかったのだ。桜の木の幹に、吾郎と二人、縛り付けられている状態では。

「じゃ! 早速取り調べといきますか!」

 身動きの取れない幽霊二人を前にし、澪は満面の笑みで言った。幸仁もその隣で、塩爆弾を片手に、にたにた笑っている。

「さあ! 早く答えろよ! 落ち武者はどこにいるんだ!」

「どうして居場所が知りたいんだい?」

 口をむんずと結んだ吾郎に代わって、一が言った。間髪入れずに幸仁は怒鳴る。

「決まってんだろ! ゲンのじーさんに憑りついて悪さしてたから、俺たちがセーバイするんだ!」

「それを聞いて、僕たちが教えると思う?」

「なら力づくで聞くまで!」

と幸仁は塩爆弾を掲げた。一は怯むことなく、真っ直ぐに幸仁の瞳を見つめる。

「信じてもらえないかもしれないけど、落ち武者さんに悪気があったわけじゃないんだ。それは昨日、恭四郎くんにも説明したよ」

 一の視線は、少し離れたところで立ち竦む恭四郎へ向いた。恭四郎はびくっと身体を震わせて、澪の背中に隠れ込んだ。

「その話は聞いた。でも残念だったな。そんなのを鵜吞みにするほど、俺たちは馬鹿じゃねーんだ!」

 ティッシュの膜に太い指は食い込んで、今にも弾けんばかりだ。高々と持ち上げられたその手の向こうに鋭い日光が重なって、一は瞼を歪ませた。

「痛い目見ないと分かんねーようなら——!」

 その時だった。野太い声が、幸仁の動きを制した。

「知らないっ!」

「えっ?」

 素っ頓狂な声を上げた幸仁の視線は、眉間に皺を深く刻んだ吾郎の瞳とぶつかった。それから少し沈黙があって、幸仁は澪の方を振り返った。

「知らないって、どうする?」

「でもあたし、そのお爺さんが落ち武者と会ってるとこ、見たもん!」

「見たって言ってるぞ!」

「ふん! 確かに会ったがな、あれは前の話だ! 今は工事が始まって祠が壊されたせいで、どこにいるか私は知らない!」

 その言葉に、幸仁と澪はぽかんとして、互いに顔を見合わせた。暫くすると、木の傍から少し離れ、こそこそと話し合い始める。

「お見事」

と一が呟くと、吾郎はまた鼻を鳴らした。

「どうだ……大の大人が言えば、子供なんてなんでも信用するんだよ」

「これなら、あの子たちも見当違いだったと踏んで、解放してくれるでしょうね」

「ああ。そしたら、どうしてくれようか……」

「駄目ですよ。ここで乱暴したら、それこそまた……」

 そこまで言いかけた時、小さな影が目の前に落ちてきて、二人は慌てて口を噤んだ。

「ごめんなさい」

 澪はそう言って、深々と頭を下げた。

「そうだよね……お爺さん、知らなかったよね」

「良いんだよ。誰だって、早とちりすることはあるさ……」

と、一が優しく窘めたのも束の間だった。俯き加減だった彼女の顔が、ぱっと勢いよく上がった。その表情は、自信ありげな満面の笑顔だった。

「でも、落ち武者と仲良しだったなら、落ち武者はお爺さんに会いに来るよね? だから、そのままここで待っててもらうね!」

「……は?」

「だって、このまま待っていれば、落ち武者だってお爺さんのこと、見つけやすくなるでしょ? お友達がこんなことになってたら、すぐに駆けつけるよ!」

 茫然とする一と吾郎の前に、今度は幸仁が仁王立ちした。にやりと怪しく微笑む彼の手には、太いマジックが握られていた。

「じゃ、それまで俺と遊ぼうぜー」


 金属同士が引っ掻く耳障りな音に、万吉は転寝から目を覚ました。

 結局、今日診療所に来たのは、花屋のおばさんだけだった。彼女は他に患者がいないことをいいことに、どうでもいい世間話を万吉にたっぷり聞かせたのだ。万吉が来たばかりで、この町のことをよく知らないだろうから、という理由だったらしいが、老人会で集まる将棋大会で誰が強いのだの、敬老種目で小学校の運動会に参加した時の話だのが、万吉の身になるはずがなかった。

 大きな欠伸を一つしてから、万吉は診察室から出た。その寝ぼけ眼は、入り口を目にした瞬間に見開かれた。

 開かれたままの自動ドアの前に立ち竦んでいたのは、旭だったのだ。

 万吉はすかさず診察室へ身を隠そうとしたが、ばたばたと騒々しい足音はこちらへ近づいてくる。

「待ってよ! 先生!」

 その言葉が聞こえると同時に、万吉は旭に飛びつかれた。

「先生! 大変なんだ! キンダイチと吾郎さんが!」

 やっぱりか! 万吉はそう叫びたくなった。どうせそんなことだろうと思った。一の奴、遂に何かやらかしたんだな!

「俺は何もしないぞ!」

「そんなあ!」

旭は悲鳴にも似た声を上げたが、万吉は構わず怒鳴る。

「一は墓場の名探偵だろう! 俺なんかいなくたって、解決できる!」

「その名探偵が捕まっちゃったんだ! 助けてよお!」

「ふうん? そうか。じゃ、少しは反省する意味でもいいんじゃないか?」

 一よ。今までいろいろなことに首を突っ込んで、どれだけ苦労してきたんだ。どれだけ酷い目に遭ってきたんだ。それなのに、死んでからも性懲りもなく探偵稼業とは、がっかりだぞ。

 もう誰かを救おうとするな。それでお前が傷付いているんじゃ、意味ないじゃないか。

「名探偵に伝えろ。死んだ後くらい安らかに——」

 その先の言葉が、喉の奥でせき止められたかのように、ぴたりと音を失った。

一瞬、景色がぐるんと回った気がした。ふらりとよろめいて、気が付くと、目の前にいたはずの、旭の姿がない。

「おっとっと……この身体、大っきくて動かしづらいんだよなあ」

 口から出たのは、自分の声色をまとった子供の言葉だった。

「ちょっと借りるね、先生。断るのが悪いんだよ」


 入り口を避け、草葉の陰を掻き分けて霊園に入る。木偶の坊な身体を墓石の陰になんとか隠して、幸仁たちの様子を窺う。

子どもたちは大木の周りを囲うように並んでいた。傍には塩爆弾もいくつか転がっている。

「大丈夫……僕は、万吉先生なんだから……!」

 言い聞かせるように、万吉——に憑りついた旭は呟く。墓石の合間を縫うようにして、木の傍まで近づくと、勢いよく飛び出して叫んだ。

「君たち! 何してるんだ!」

 白衣をはためかせ、腕を組み仁王立ちする万吉の姿を、振り返った子供たちは、見開かせた目で凝視した。

「その幽霊たちを放してやれ!」

 普段の自分では到底出すことのできない、威厳のある大声を出してみる。自然と胸を張っていた。

 木の傍にしゃがみこんでいた幸仁は、のそりと立ち上がって、ゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。

「宇津美先生は、お化けが見えるのか?」

「ああ!」

「ふーん」

 すると幸仁は、万吉の身体をじろじろと見回し始めた。

「今すぐ解放しないと、幽霊たちの仕返しに遭うぞ!」

 力強く叫んだが、その声の先の恭四郎と澪は、きょとんとした表情でこちらを見つめている。

「なあ」と、幸仁が万吉を見上げた。

「仕返しなんか怖くねーよ。だから解放しない」

「そ、そんな……」

「幽霊なんかより、父ちゃんのほうがよっぽど怖えーからな!」

「で、でも、人を傷つけることは良くないだろ!」

「幽霊は人じゃねーもん!」

「一緒に決まってるだろ!」

「でも、皆には見えないぜ? 父ちゃんにはバレねーし!」

「なら、君のお父さんに、僕がこの話をしてやる!」

「宇津美先生は、俺の父ちゃんのことなんて知らねーだろ?」

「何言ってんだ、僕はお医者さんだぞ! 君のお父さんを知らなくたって、この町の人のことなんかすぐ——!」

 その言葉を遮って、幸仁は叫んだ。

「かかったなあ!」

 にやりと微笑んだ幸仁は、ポケットから塩爆弾を素早く取り出した。万吉が避ける間も与えずに、幸仁はそれを投げつけた。

 塩爆弾は万吉の胸で弾ける。身体を引き裂くような激痛に、さっきまで威勢の良かった声は、幼い悲鳴に変わった。

 目を覚ますと、万吉の目の前には、真っ青な空が広がっていた。

「せ、先生! 大丈夫ですか!」

 視界に飛びこんできた恭四郎の表情が認められるようになると、万吉はゆっくりと起き上がった。

「先生! ほら見ろよ! 先生に憑りついてたお化けを捕まえたぜ!」

 振り返ると、意気揚々と目を輝かせる幸仁と目が合った。

「うう……降りてよお」

そして旭は、うつ伏せに倒れたまま、幸仁に乗りかかられて動けないようだった。

「観念するんだな! 宇津美先生に憑りつくような悪いお化けは、俺がセーバイしてやるぜ!」

「ちくしょー、なんで分かったんだよお」

「残念だったな! 宇津美先生は、父ちゃんと知り合いなんだよ! だって、俺ん家に住んでんだからな!」

 万吉はゆっくりと、目の前に立つ恭四郎に、また目を戻した。

「恭四郎くん」

「は、はい」

「確かに僕は外で遊んでおいでって言ったけど、ここじゃあまずいな。罰が当たるよ」

「ええ……?」

 恭四郎は、今にも泣き出しそうな顔になって、立ち上がった万吉を見上げた。

「先生! あたしたち、遊んでるんじゃないよ!」

「悪いお化けをやっつけてんだよ! ほら!」

 追って澪と幸仁の声がしたが、万吉は平静を装って続ける。

「お化けなんて、そんなものはいないんだよ。君たちは少し想像力があるだけだ」

「想像じゃないよ! ほんとにいるもん!」

と、澪が木のほうを指差した。

「ほら、見てよ! あそこの木の所に、幸仁がお化けを捕まえたんだよ! 見えるでしょ!」

 見えないふりを決め込んで、万吉はその先を振り返る。

 そこには、木に縛り付けられた一と吾郎の姿がはっきり見えた。顔にはめちゃくちゃな落書きまでされた、彼らの情けない姿が。

「……ぶふっ」

 思わず吹き出して、慌てて口を手で覆ったが、それを子供たちは見逃さなかった。

「ほら! 先生にも見えてるんだろ!」

「見えてない。……ふふっ」

「笑ってんじゃん!」

 だって、これを笑わずにいられるか。真っ黒いマジックだけとは言え、鼻毛だの睫毛だのでっかい唇だの書かれて、おまけに額には、「魚」なんて書かれてるんだぞ。最早センスを感じる。

「笑ってるんじゃない。鼻の中に虫が入ったから……」

 それに比べて、自分の言い訳のほうがセンスに欠けると、万吉は思った。

 万吉は、一たちをなんとか視界に入れないようにして、子供たちに向き直った。

「こんな所で遊んで、怪我でもしたらどうする? 考えてもみろ。ここにあるのは硬い石ばかりなんだ。転んだら無事じゃ済まないぞ」

 そう言って、万吉は自分の前髪をかき上げた。

「ほら、僕だってね、こないだ此処で転んで——」

「そんなこと聞いてない!」

 そのとき、澪が声を張り上げた。

「先生! お化けはいるの! 想像なんかじゃないの! 信じてよ!」

 作り笑顔を浮かべていた万吉は、その表情筋から力を抜いた。冷たい無表情になると、理解した上でそうした。

 万吉の表情に気付かないまま、澪と幸仁は捲し立てる。

「ゲンのじーさんの腰が痛くなったのは、落ち武者のせいなんだ!」

「祠を壊されたのを怒って、憑りついたんだよ!」

「……それを知ってて、よくこんなことができるな」

 深く、温度を感じさせない万吉の声に、漸く澪と幸仁の口が閉じた。

 万吉は鋭く彼らを見下ろすと、抑揚のない口調で言い放った。

「今すぐこんなことはやめるんだ。さもないと、君たちが傷付くことになる」

「……それって、憑りつかれるってこと?」

「それよりも、もっと辛くて悲しいことだ」

 すっかり固まった澪と幸仁から視線を移動させ、少し離れたところで立ち尽くす恭四郎に目をやる。

「分かったな? 恭四郎くん」

 しかし恭四郎は、万吉から目を逸らすように俯くだけで、うんともすんとも言わない。

「恭四郎くん」

 もう一度名前を呼ぶと、恭四郎は小さく身体を震わせてから、万吉を見据えた。

「ま、万吉先生……」

「なんだい」

「万吉先生は、幽霊のこと、なかったことにしようとしてるんですか?」

「……どういう意味かな」

「わ、分かんないけど……」

恭四郎は口ごもる。堪りかねて、万吉が声を荒らげた。

「何が言いたいんだ!」

「お、落ち武者さんには、悪気はなかったんですよね? だったら、なかったことにされたら、可哀想な気がして……」

 そのとき、恭四郎の小さな声を掻き消すように、何かを引きずる音が響いた。

「あらっ! 今日はお客さんがいっぱい来てるみたい!」

 次に響いた場違いな明るい声は、その場の雰囲気を一掃した。

 墓石を押し上げ、その下から顔を覗かせたのは、双葉だった。

 その異様な光景に、子供たちは絶句していた。怖さとかそんな感情以前に、墓石から人間が出現したことに、呆気に取られているようだった。

 そんな様子は微塵も気にせず、双葉はにこにこしたまま、墓から這い出してくる。

「はー、全く! 相変わらず出づらいお墓ね! もう少し改善されないのかしら?」

「な……なんなんだよ、今度はあ!」

 我に返った幸仁が叫んだ。双葉は相変わらずの笑顔で、ずんずんと子供たちに近づいてきた。

「こんにちは!」

「こ、こんにちわ……」

「恭四郎! 真面目に返すな! 相手はお化けだぞ!」

「私は春星双葉! ここのお墓でカフェをやってるの!」

「そんなことは聞いてねーんだよ!」

 咄嗟に、幸仁はポケットに手を突っ込んだ。それに気付いた一が声を上げる。

「ちょ、ちょっと待って! 双葉、早く逃げて!」

 すると、双葉は木の袂の一と吾郎を見るや否や、大きな笑い声を上げたのだ。

「何よー、その顔! 逆に『肉』って書かない辺り、センス感じるわ!」

 双葉は万吉が言えなかったことを、躊躇なく言い放った。万吉は心なしかすっきりした気がしたが、ふつふつと怒りを感じている男を目の端に確認し、とても一緒に笑うことはできなかった。

「他人事だと思って……!」

 両目の周りをぐりぐりと真っ黒に塗られた吾郎は、その目を吊り上げてこちらを睨みつけている。

「こら! お医者! 強がってないで早く助けろ!」

 吾郎の怒りの矛先は、とうとう万吉に向いた。

「なんで……俺が……」

 無意識にこぼれた言葉だった。

巻き込まれているのはこっちのほうだ。本当は落ち武者のことだってどうでも良かった。俺は一とは違う。

いつの間にか浅くなっていた呼吸に気が付いて、深く息を吸ったその瞬間だった。

「ご、吾郎さん!」

 タスケの声だ。見ると、双葉の墓の下から顔を覗かせる、タスケの姿があった。

「あー!」

と声を揃えたのは子どもたちだ。

「ゲンお爺ちゃんに憑りついてた落ち武者だ!」

「はい、そうです……」

「捕まえろっ!」

 幸仁と澪が、タスケのほうへ駆けてくる。タスケが墓の下へ身を隠そうとすると、その目の前を、しなやかな足が踏みしめた。

「相手の話を聞かないで喧嘩は駄目。ここにいるみんなで話し合えばいいのよ」

 子どもたちの前に立ち塞がって、双葉は言う。

「……話し合うって、どうやって?」

「だから、こう、みんなで向かい合って、ちゃんと座って話すの」

「どこでやるの?」

「そうねえ……」

 双葉は細い指を頬に添えて、わざとらしく考える素振りを見せてから、少しして、「あっ!」と高らかに声を上げた。

「じゃ、私のカフェでやろっか!」


 ランプを灯すと、一席、また一席と、テーブルやカウンターが薄暗がりに浮かび上がった。

 双葉に促され、子供たちは戸惑いながらも、そっとテーブル席に座った。それを確認すると、ポケットから注文票を取り出した。

「お飲み物はいかがなさいますか?」

「え?」

「お金は気にしなくていいから。ソフトドリンクは裏面ね」

と、細く長い指が、テーブルの上のメニュー表を指す。

「お、俺たち、お茶飲みに来たんじゃねーんだけど……」

「まあ、いいじゃない。折角来てくれたんだから!」

「それは、あんたに言われたからで……」

「じゃ、じゃあ、僕、オレンジジュース……」

「恭四郎!」

とは言ったものの、注文をしなければ双葉もここを離れてくれないような雰囲気である。澪もリンゴジュースを頼んだので、幸仁も同じものを頼んだ。

双葉は軽やかな足取りでカウンターに舞い戻った。

「今まで来てくれるお客さんも何人かいたんだけど、テーブル席に座ったのは、あなたたちが初めてなの!」

 足元のクーラーボックスからジュースのパックを取り出し、カウンターから顔を出した双葉の目は、ドアのほうへ向いた。

「ほら、先生もどうぞ」

 扉の前で呆然と立ち尽くしていた万吉は、双葉に手招かれた。ここまで来てはもう、幽霊が見えないなんて、そんなことは言っていられず、万吉は俯き加減に歩を進め、カウンターに腰かけた。

「お飲み物は?」

「コーヒーで……」

「お砂糖とミルクは?」

「要らないです……」

「はーい」

 静まり返った店内に、パンプスの踵が鳴らす高い音だけが忙しなく響き始めた。

「あの……」

「はい!」

 静寂が落ち着かず、声をかけるか迷って、聞こえなければそれでいいと思ってかけた声だったが、双葉は敏感に反応した。

「軽食もつける?」

「いえ、そうじゃなくて……あの、一とは知り合いなんですか」

 すると、双葉は悪戯っぽく微笑んでから言った。

「あの人は私の、カ・レ・シ」

「え?」


「いやあ、お待たせいたしましたあ」

 暫くして、店の奥から一が姿を現した。まだ少し湿っている顔をタオルで拭きながら、テーブル席の幽霊サイドに腰かける。そちら側はぎゅうぎゅうだ。

「それで……どこから話そうか」

 出されたオレンジジュースをあっという間に飲み干して、手の中でグラスをころころさせている旭はさておき、肩をすくめ俯いているタスケと、腕を組み子供たちを睨みつける吾郎を前に、子供たちはすっかり黙りこくってしまっている。

「あのう……」

 このままでは沈黙のまま、いつまでも時間が過ぎてしまうと思ったのか、タスケが口火を切った。

「その……あっしが君のお爺さんに憑りついていたから、それを嫌がってやっつけに来たってことですよね?」

 恭四郎は、タスケに目を合わせられそうになったのに驚いた様子で、咄嗟に視線を逸らした。戸惑いつつも頷いたのは、澪と幸仁だ。

「だって……ゲンさん、腰が痛いって言うから」

「どう考えてもその落ち武者のせいだと思ったんだ」

「その辺り、どうなの?」

 双葉に尋ねられると、タスケも申し訳なさそうに言った。

「はあ……確かに、あっしのせいだと思います。でも、分かってほしいのは、別に君のお爺さんを恨んでというわけではなくて」

「じゃあなんで……」

「人恋しかったんだよ」

 どんよりと渦巻いていた空気を切り裂くように、吾郎が声を放った。

 一同の目は彼に移った。もう顔を洗ったので、あのパンダのような間抜けな顔ではない。

「何百年も人と会わなかったんだ。お前たち、想像できるか? その間、ずっとあの祠から離れられなくて、森の奥でずーっと一人ぼっちなんだぞ」

 吾郎の強い口調から、その光景を想像してしまったのか、子供たちは一斉に俯いて黙りこくった。

「でも離れたんだ。人恋しくてついて行ったが、お前の爺さんに迷惑だと思って、自分から離れた。これ以上に何を求めるんだ」

「まあまあ、吾郎さん、その辺で……」

 子どもたちの様子に居たたまれなくなった一が、吾郎を嗜める。吾郎の眉間には深い谷ができたままだったが、その口はむんずと閉じられた。その隣に座るタスケは、身体を一回り小さくしている。

一は、すっかり青菜に塩な子供たちのほうを向き直った。

「タスケくんも反省してるし、同じことはもうしないよ。お互いこれっきりにしよう。やっぱり……生きている君たちと、死んでいる僕たちじゃ、一緒にはいられないからね」

 どきっとしたのは、彼らの話を背中で聞いていた万吉だった。そっと置こうとしたコーヒーカップは、かちゃん、とけたたましい音を響かせた。


「はいっ、どうぞ!」

 重い沈黙を破ったのは、双葉の高らかな声だった。

 テーブルの中央に、大きな皿が置かれる。ふわっと甘い香りが、その場にいた全員の花をくすぐった。俯いていた子どもたちも、思わず顔を上げる。

「双葉店長特製、フルーツピザになりまーす!」

 ランプの光を反射して、小さなふくらみを輝かせるみかん、整然と並べられたいちごの隙間を縫うように撒かれたブルーベリー、薄切りのキウイもまた、鮮やかな緑色を放っていた。それらを囲うように、生クリームが綺麗な波を作っていた。

「かかってるのは、りんごのソース! 甘すぎずに、りんごの風味を残しつつに煮込むの、ほんとに大変だったんだから!」

 ごくり、と誰かが喉を鳴らした。しかし誰も、ピザへ手を伸ばさなかった。そうしている間も、誘うように香りは漂う。沈黙と甘い香りと、妙な空間ができあがったのも束の間——ぐうー、と間抜けが音が響いた。

「あ……えへへ」

 音のほうを見ると、その全員の視線の先で、旭が照れ臭そうにはにかんでいた。

「お腹空いちゃったなあ、僕。ほら、時間が経ったらもったいないから、みんなで食べない?」

 旭はそう言って、素早くピザを一切れ取り上げた。誰かが「あっ」と声を上げると同時に、旭はぱくっとピザに食いついて、にんまりと笑った。

 それからは早かった。あっという間にピザはなくなってしまって、みんな満足げだった。それは勿論、満腹感から来るものでもあったが、いつの間にか、彼らの心は軽くなっていたようだった。

「あっ……お髭」

 澪に言われた吾郎が、慌てて口元を拭った。するとクリームは、彼を弄ぶように広がって、それがまた滑稽だった。

 その様子に、子供たちも幽霊たちも、自然と笑顔になっていた。笑われている吾郎でさえも、なんだか楽しい気分になりつつあった。

 恭四郎も思わず微笑んでいた。すると、

「恭四郎」

 向かい側に座っていた旭が、指先に付いたクリームを舐めとりながら、恭四郎を見つめていた。

「他人のこと笑ってるけど、君の口にも付いてるよ?」

「へっ?」

 慌てて口元を手のひらで覆うと、べたりと感触があった。見るとそこには、確かにクリームが付いている。

 戸惑っていると、旭の笑い声が響き渡った。

「恭四郎! 僕と友達になってよ! 僕、君といっぱい遊びたいな!」

「ぼ、僕と……?」

「うん! 勿論、そっちの子たちもね!」

 澪と幸仁は、お互い顔を見合わせた。

「で、でも……俺たち、酷いことを」

「それはさっきお互い謝ったじゃん。もうチャラでしょ?」

「でも、そっちのお爺ちゃんは……」

「……まあ、いつまでも引きずっていてもしょうがないだろう。分かればいいんだ」

「吾郎さんはきつい言い方しか知らないから、あんまり気にしなくていいよ」

 あっけらかんとして言う旭を、吾郎はぎろりと睨みつけた。

「大体お前が……!」

「吾郎さんにとって、タスケ……あっ、落ち武者の名前ね。タスケは友達だから。大切に思ってるだけなんだよ」

「……そういうことだ」

 満更でもなく、吾郎はそう返事をし、喉を潤そうと水のコップに口をつけた。

「吾郎さんには、他に友達いないからね」

「いちいち言うな!」

「ほんとのことじゃん」

「こらこら、また喧嘩を始める気?」

 いよいよ一が間に入った。

「キンダイチ、いいでしょ? 僕、この子たちと友達になりたい!」

「……うん、そしたら外で遊んでおいで」

「わーい!」

と、旭は両手を上げて喜んで見せた。それからソファから飛び降りて、恭四郎の手を引いた。

「行こう!」

「は、はい……」

 恭四郎は未だ戸惑いながらも、旭に手を引かれるまま、店を後にしていった。澪と幸仁もその後に続いた。

「いってらっしゃーい」

と、双葉は、彼らの背中に手を振った。

「いやあ、助かったよ。ありがとう、双葉」

 すっかり氷の溶けきった、たっぷりの水を抱えるコップを一口、口にした一は、にっこりと微笑んで言った。ところがその目が双葉と遭うと、その口角はすっと下がってしまった。

「助かった、じゃないでしょ。どうせ何も考えてなかったんじゃないの?」

「いやあ、そんなこと……なきにしもあらず、というか」

「何が名探偵だ、依頼もろくにこなせないで」

「でも結果として解決したみたいですし、良かったでござるよ」

 溜息をつく双葉と吾郎を、タスケが宥めた。

「あっしに、双葉さんのお店にいるよう言ってくれたのは、キンダイチ先生ですし」

「そういえば、どうして吾郎さんもあんな所にいたんですか? 僕が帰るまでは、事務所から出ないでくださいって言ったのに」

 すると吾郎は、急に歯切れが悪くなって、ぼそぼそと話し始めた。

「それは、その……アタッシュケースの……」

「アタッシュケース? あのお金の入った?」

「あいつが弄ったんだ。あのサルが……」

 旭は探偵事務所で、いつものように金を数えていた吾郎を茶化して遊んでいたのだという。きれやすい吾郎は当然我慢などできず、すぐにまた鬼ごっこが始まった。

 旭は最初、余裕の表情で逃げ回っていたが、思いがけずすぐに吾郎に捕まってしまった。

「この悪戯坊主が! さあて、どうしてくれようか!」

 その時、旭が叫んだ言葉が、全ての始まりだった。

「いいのかなあ、そんなこと言っちゃって?」

「何?」

「僕、吾郎さんが寝てる間に、そのアタッシュケースの中のお金、何枚か隠したんだ!」

「な……なんだとお!」

「宝探しゲームしようぜえ?」

という成り行きで、結局事務所内でお札を一枚も見つけられなかった吾郎は、外に出て探す他なかったのだという。

 旭が診療所へやって来たのは、いつまで経っても吾郎が事務所へ戻ってこないのを変に思ったからなのかと、万吉は理解した。

「だからキンダイチ! 依頼だ!」

「旭くんが隠したお金を探して欲しいんですか?」

「そうだ!」

「解決しました」

「え?」

「それは旭くんの、苦し紛れのはったりです」

 吾郎はぎょっと目を見開いて、それからそのこめかみに、血管を浮き出させ始めた。彼の手は一の胸倉を引っ掴んで、その勢いに一がソファに倒れ込む始末だった。

「大体お前の助手だろうが! きちんと躾をしておけ!」

「痛い痛い! 子供相手にむきになりすぎですって!」

「大人の怖さも教えてやるんだよ! こんなふうにな!」

「その程度の嘘に引っかかるんじゃ、吾郎さんも純粋ですよ……」

「なんだとお!」

 吾郎が行き場のない怒りを一にぶつけ始めたところで、とうとう双葉やタスケは、一を助けようとはしなかった。

「タスケさん、元居た場所には、もう戻らなくていいの?」

「ええ、戻っても、どうせ祠はありませんし。それにあの場所に私がいたら、あそこに集まるたくさんの人を、怖がらせちゃいますから」

「というと?」

「だって、あそこに作っているのは——」


「ほら、恭四郎! ここまでおいでー!」

「ま、待ってくださいよう、先輩……」

 数日後、祠のあった森の中は、子どもたちのはしゃぐ声で溢れていた。

 元則をはじめとする大工たちの尽力の末、鬱蒼と茂っていた森には明るい光が射し込んで、子どもたちがめいっぱい遊ぶことのできるアスレチックの数々が完成していた。

 そのお披露目の日、待ち焦がれた遊び場には、町中の子どもたちが集まった。

「ゲンさん、本当にありがとうございます」

 仁はアスレチックを眺める元則に、頭を下げた。

「礼には及ばねえよ。こんなにでっけえ森があるのに、もったいないな、と思ったんだよ」

「あの、腰のほうは……?」

「ああ、すっかり良くなったよ! あんたが連れてきたお医者、あいつあ、いい奴だぜ」

 ぶんぶんと腰を振り回す元則に、仁はほっと胸を撫で下ろした。

「父ちゃーん!」

 振り返ると、アスレチックの一番高い所で、幸仁が大手を振っていた。仁も手を振り返す。今は何より、町中の子どもたちが一緒になってはしゃいでいることに、笑みを浮かべずにはいられなかった。


「行かなくて良かったの?」

「春星さんだって……」

 ぶっきらぼうに言い返すと、双葉は笑って言った。

「双葉でいいわよ、先生。みんなもそう呼んでるわ」

 万吉は、その日も双葉のカフェにいた。診療所にいようと思ったのだが、仁からお披露目会に是非来てくれとの電話があり、私用があると断って、ここに身を隠している。

 結局また、幽霊の力を借りたなんて皮肉だ。

「……双葉、さん」

「はーい」

 磨いているコップから目を上げ、双葉はにこやかに返事をした。

「……一とは、もう随分前から?」

「いやあね、本当に彼氏なわけないじゃない。向こうには奥さんもお子さんもいるのよ?」

「そうじゃなくて、知り合ってから、っているか」

「うーん、そうね……一が此処へ来てから少しして、それから話すようになったかしら」

「……一が死んだ理由、双葉さんは、ご存知なんですか」

「ええ、まあ。でもそんなこと、もうどうでもいいじゃない」

 コップの中の氷が溶けて、重力に従い、からん、と傾いた。その拍子に欠けた、小さな氷がコップの底へ沈んでいく。その小さな景色が、万吉の頭には妙に焼きついたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る