7
「本当に死ぬんだな、僕たちは」
最終目的地へと辿り着いた。
電車を降りてから歩いて数十分。
僕たちは丘の上に居た。いや、崖だな、これは。
下には海があるし。
ここから飛び降りたら死ぬだろう。
「今更怖くなった?」
「怖くはないよ、捺月と一緒ならさ」
「そっか。千秋くんは凄いね、私は怖いもん」
「怖いぐらいなら死ぬのやめればいいんじゃないか?」
「ダメだよ、そんなの。死んで罪を償わないと」
ブーブー。
電話の通知音が鳴り響く。
僕のものではない。となると、捺月だろう。
「見なくていいのか?」
「大丈夫……」
申し訳なさそうな、辛そうな表情を浮かべる捺月。
今から死のうとしているのだ。そうなるのは当然か。
「捺月はさ、遺書とか書いた?」
「書いてない。書く相手も居ないもん」
家族が居ないって言ってたもんな。
「友達とか居ないのか?」
「友達居ない。誰も居ない、私には」
一人身なのか。孤独なのか。
こんなに可愛ければ貰い手がどこにでも居ると思うのに。
「お世話になった人とか居るだろ?」
「……居るけど」
「どんな人なんだ?」
「親戚の人。家族が死んだあと、私を引き取ってくれた」
「なら、その人達に何か残すのは?」
「千秋くん。相手側に迷惑を掛けるだけだよ」
捺月の言う通りだな。
何か残したところで、相手を苦しめるだけだな。
相手側に、何もできずに死なせてしまった。
そんなふうに思わせてしまうだけかもしれない。
無神経な発言だった。
◇◆◇◆◇◆
「今日はさ、ありがとうね」
靴と靴下を脱ぎながら、捺月はポツリと呟いた。
感謝されるようなことは何もしていない。
ただ、僕は彼女に付き合っただけなのに。
むしろ、楽しかったぐらいだ。
今日を何度も繰り返したいと思うほどに。
「千秋くんはさ、本当にやり残したことないの?」
やり残したことか。
あると言えばあるし、ないと言えばない。
「今日一日私に付き合ってくれたから、一つだけ何でも聞いてあげる」
何でもか。
何でも。
嬉しい提案だ。
「と言っても、ここから飛び降りるのはなしはなしだよ」
「分かってるよ。それぐらい。僕は空気が読めない奴じゃない」
一つだけ。
何でも聞いてあげるか。
邪な気持ちがないと言えば、嘘である。
どうせ死ぬんだと割り切れば、キスぐらいは許されるかも。
でも——僕が選んだのは。
「僕と約束してくれないか?」
「約束? 何を?」
「もしも死ねなかったら、少しばっかし生きてみないか?」
「面白いことを言うね、千秋くんは」
捺月は笑った。
僕が言うことがあまりにもバカバカしいからだ。
「今の海は冷たいよ。流れ早いし。絶対に助からないよ」
「あぁーそうだな。だから、もしもの話だよ」
「いいよ。約束。でも本当にそれでいいの?」
「あぁ。ただ守ってもらうよ、生きてたらの話だけどさ」
生きてたら。
そんな話は無理かもしれない。
100%助かる見込みなどない。ていうか、死ぬ確率が高い。
それにも関わらず、僕は生きている気がした。明日も明後日も。
理由はない。ただ何となく、野生の勘に過ぎないけれど。
「私も今すぐにそっちに行くからね。待っててね」
死ぬ準備はできた。
自殺する人みたく、捺月は裸足になった。
いや、本当に自殺するんだけど。
「どうして靴を脱ぐんだろうね、死ぬ人はさ」
「さぁー分からない。でも自殺の作法なのかもね」
自殺の作法か。
僕は常識を持っていない。
だから靴を脱ぐことはしないけど。
「それじゃあ、行こっか」
捺月は手を差し伸ばしてきた。
戸惑うことなく、僕はその手を取る。
お互いに絶対離さないと固く握り合う。
「今更だけど死ぬ必要はないんだよ、千秋くんはさ」
死ぬ必要。
死ぬ理由。
確かに、僕は本気で死のうとは思っていない。
死ぬ覚悟があるのかと言われれば、中途半端だ。
それでも——
「僕はさ、生きる理由もないんだよ」
だからさ、と呟いてから。
「もしも二人とも生きていたら、僕が捺月を幸せにしてもいいかな?」
「新手のプロポーズ? 今から死ぬのに?」
笑っているのか、それとも呆れているのか。
捺月は微妙な反応。
「生きる理由が欲しいだけ。もしも死ねなかったときのさ」
「周りを不幸にさせちゃうような悪い女の子だよ、私は」
「たった一日だったけど……僕は楽しかったんだ。今日が最高に」
「何それ……惚れすぎでしょ。初めて会ったのにさ」
一目惚れ。
その言葉が最もふさわしい。
僕は捺月に——星座橋捺月に惚れてしまったのだ。
出会った瞬間に。出会った瞬間から既に。
理屈などない。時間なんて関係ない。
僕は彼女を好き。その感情は留まることを知らない。
「もしも生きてたら責任を取るってことなんだよね、なら証明して」
「証明?」
「うん。信じられないもん」
照れているのか、捺月は顔を俯かせる。
視界が暗いせいで、照れているのかは全然分からない。
でも、手元を擦り合わせている姿を見れば分かる。
「私みたいなダメな子を本当に幸せにしてくれるか」
普通の女の子と同じく、彼女は照れているのだ。
「分かった。今の僕にはこんなことしかできないけど」
僕は捺月の両肩に手を置いた。
それからゆっくりと近付いて、唇を重ねてみた。
ドラマのワンシーンみたいにはできなかった。
下手くそで、不出来で、僕らしいと言えば、僕らしいけれど、それにしても、カッコ悪いキスだった。生まれて初めてだから許して欲しいけど。
「…………ふぁーすときす」
捺月の目は点だった。焦点が合っていない。
ほんのりとだが、顔色に赤みがあるように思える。
「ん? どうかしたのか?」
「ファーストキス……う、うばわれちゃった」
「今こそ言わないとダメでしょ? どうせ死ぬんだからってさ」
「うっ、うるさい!!」
「証明しろと言ったのはそっちだろ?」
「……せ、責任取ってよね。もしも生きてたら」
いや、と涙を流しつつ、捺月は目尻を擦って。
「あの世があっても絶対に責任取ってもらうからね!」
「あぁ。約束するよ、僕はいつだって捺月の側に居るよ」
再度手を繋ぎ合う。
恋人同士の握り方。
ドキドキは止まらない。
心臓はバクバクと鳴り響いている。
一歩ずつ進むにつれて、死ぬ近付いていると思ってしまう。
怖さはそれほどない。もう死など怖くない。捺月が居るのならば。
「私に死ぬ勇気を与えてくれてありがとうね、千秋くん」
白い肌。まつ毛が長くて大きな瞳。柔らかい唇。
誰が見ても惚れてしまいそうなほどに洗練された横顔。
もう僕は完全に虜になってしまっている。
「僕に生きる理由を与えてくれてありがとうな、捺月」
お互いに感謝を述べてから。
僕たちは崖から飛び降りた。
確認し合うことはない。どちらともなくだ。
真っ逆さま。
一瞬だけ飛んだ。一瞬だけ時間が止まった。
そんなふうに思ったけど、ただの気のせいだ。
急降下。落下。異常に早い速度で。
ジェットコースターよりも怖い。
ビュンビュンと耳元で聞こえる風を切る音。
それと共に、悲痛な叫び声が近くで聞こえてきた。
「ごめんなさい……次は良い子に育つから……ごめんなさい」
どんな意味だ? どんな意図を含んでいるんだ?
今から死ぬ人間が。
もう死にかけの人間が。
どうして泣いているんだ?
こんなに辛そうなのだ。どうして謝っているんだ?
誰に? 誰に対して?
さっきまで死んだ家族に待っててと言ってたくせに。
「どうせ死ぬぐらいなら、最後ぐらいは笑えよ」
僕は捺月を抱きしめていた。
落ちている最中にだって、案外身体は動くみたいだ。
自由はあんまり効かないみたいだけど。
好きな人を抱きしめるぐらいは。案外、恋の力でどうにかなる。
「もしも生きてたら絶対僕が何とかする……だから安心しろ」
柄にもないセリフ。
普段の僕なら絶対言わない言葉。
どうせ死ぬぐらいなら、少しぐらいはカッコつけてもいいだろ。
欺くして、胸の中で涙を流しながら震えている捺月に、僕は誓うのであった。だって、それが僕の役目だから。幸せにすると約束したから。
——完結——
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作家から
『冴えないオタクが推しのアイドルと心中する話』
https://kakuyomu.jp/works/16817330656698160427
この話の元ネタですね。
一番最初は、これぐらいプロトタイプ版で書いてました(笑)
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