「本当に死ぬんだな、僕たちは」


 最終目的地へと辿り着いた。

 電車を降りてから歩いて数十分。

 僕たちは丘の上に居た。いや、崖だな、これは。

 下には海があるし。

 ここから飛び降りたら死ぬだろう。


「今更怖くなった?」


「怖くはないよ、捺月と一緒ならさ」


「そっか。千秋くんは凄いね、私は怖いもん」


「怖いぐらいなら死ぬのやめればいいんじゃないか?」


「ダメだよ、そんなの。死んで罪を償わないと」


 ブーブー。

 電話の通知音が鳴り響く。

 僕のものではない。となると、捺月だろう。


「見なくていいのか?」


「大丈夫……」


 申し訳なさそうな、辛そうな表情を浮かべる捺月。

 今から死のうとしているのだ。そうなるのは当然か。


「捺月はさ、遺書とか書いた?」


「書いてない。書く相手も居ないもん」


 家族が居ないって言ってたもんな。


「友達とか居ないのか?」


「友達居ない。誰も居ない、私には」


 一人身なのか。孤独なのか。

 こんなに可愛ければ貰い手がどこにでも居ると思うのに。


「お世話になった人とか居るだろ?」


「……居るけど」


「どんな人なんだ?」


「親戚の人。家族が死んだあと、私を引き取ってくれた」


「なら、その人達に何か残すのは?」


「千秋くん。相手側に迷惑を掛けるだけだよ」


 捺月の言う通りだな。

 何か残したところで、相手を苦しめるだけだな。

 相手側に、何もできずに死なせてしまった。

 そんなふうに思わせてしまうだけかもしれない。

 無神経な発言だった。


◇◆◇◆◇◆


「今日はさ、ありがとうね」


 靴と靴下を脱ぎながら、捺月はポツリと呟いた。

 感謝されるようなことは何もしていない。

 ただ、僕は彼女に付き合っただけなのに。

 むしろ、楽しかったぐらいだ。

 今日を何度も繰り返したいと思うほどに。


「千秋くんはさ、本当にやり残したことないの?」


 やり残したことか。

 あると言えばあるし、ないと言えばない。


「今日一日私に付き合ってくれたから、一つだけ何でも聞いてあげる」


 何でもか。

 何でも。

 嬉しい提案だ。


「と言っても、ここから飛び降りるのはなしはなしだよ」


「分かってるよ。それぐらい。僕は空気が読めない奴じゃない」


 一つだけ。

 何でも聞いてあげるか。

 邪な気持ちがないと言えば、嘘である。

 どうせ死ぬんだと割り切れば、キスぐらいは許されるかも。

 でも——僕が選んだのは。


「僕と約束してくれないか?」


「約束? 何を?」


「もしも死ねなかったら、少しばっかし生きてみないか?」


「面白いことを言うね、千秋くんは」


 捺月は笑った。

 僕が言うことがあまりにもバカバカしいからだ。


「今の海は冷たいよ。流れ早いし。絶対に助からないよ」


「あぁーそうだな。だから、もしもの話だよ」


「いいよ。約束。でも本当にそれでいいの?」


「あぁ。ただ守ってもらうよ、生きてたらの話だけどさ」


 生きてたら。

 そんな話は無理かもしれない。

 100%助かる見込みなどない。ていうか、死ぬ確率が高い。

 それにも関わらず、僕は生きている気がした。明日も明後日も。

 理由はない。ただ何となく、野生の勘に過ぎないけれど。


「私も今すぐにそっちに行くからね。待っててね」


 死ぬ準備はできた。

 自殺する人みたく、捺月は裸足になった。

 いや、本当に自殺するんだけど。


「どうして靴を脱ぐんだろうね、死ぬ人はさ」


「さぁー分からない。でも自殺の作法なのかもね」


 自殺の作法か。

 僕は常識を持っていない。

 だから靴を脱ぐことはしないけど。


「それじゃあ、行こっか」


 捺月は手を差し伸ばしてきた。

 戸惑うことなく、僕はその手を取る。

 お互いに絶対離さないと固く握り合う。


「今更だけど死ぬ必要はないんだよ、千秋くんはさ」


 死ぬ必要。

 死ぬ理由。

 確かに、僕は本気で死のうとは思っていない。

 死ぬ覚悟があるのかと言われれば、中途半端だ。

 それでも——


「僕はさ、生きる理由もないんだよ」


 だからさ、と呟いてから。


「もしも二人とも生きていたら、僕が捺月を幸せにしてもいいかな?」


「新手のプロポーズ? 今から死ぬのに?」


 笑っているのか、それとも呆れているのか。

 捺月は微妙な反応。


「生きる理由が欲しいだけ。もしも死ねなかったときのさ」


「周りを不幸にさせちゃうような悪い女の子だよ、私は」


「たった一日だったけど……僕は楽しかったんだ。今日が最高に」


「何それ……惚れすぎでしょ。初めて会ったのにさ」


 一目惚れ。

 その言葉が最もふさわしい。

 僕は捺月に——星座橋捺月に惚れてしまったのだ。

 出会った瞬間に。出会った瞬間から既に。

 理屈などない。時間なんて関係ない。

 僕は彼女を好き。その感情は留まることを知らない。


「もしも生きてたら責任を取るってことなんだよね、なら証明して」


「証明?」


「うん。信じられないもん」


 照れているのか、捺月は顔を俯かせる。

 視界が暗いせいで、照れているのかは全然分からない。

 でも、手元を擦り合わせている姿を見れば分かる。


「私みたいなダメな子を本当に幸せにしてくれるか」


 普通の女の子と同じく、彼女は照れているのだ。


「分かった。今の僕にはこんなことしかできないけど」


 僕は捺月の両肩に手を置いた。

 それからゆっくりと近付いて、唇を重ねてみた。

 ドラマのワンシーンみたいにはできなかった。

 下手くそで、不出来で、僕らしいと言えば、僕らしいけれど、それにしても、カッコ悪いキスだった。生まれて初めてだから許して欲しいけど。


「…………ふぁーすときす」


 捺月の目は点だった。焦点が合っていない。

 ほんのりとだが、顔色に赤みがあるように思える。


「ん? どうかしたのか?」


「ファーストキス……う、うばわれちゃった」


「今こそ言わないとダメでしょ? どうせ死ぬんだからってさ」


「うっ、うるさい!!」


「証明しろと言ったのはそっちだろ?」


「……せ、責任取ってよね。もしも生きてたら」


 いや、と涙を流しつつ、捺月は目尻を擦って。


「あの世があっても絶対に責任取ってもらうからね!」


「あぁ。約束するよ、僕はいつだって捺月の側に居るよ」


 再度手を繋ぎ合う。

 恋人同士の握り方。

 ドキドキは止まらない。

 心臓はバクバクと鳴り響いている。

 一歩ずつ進むにつれて、死ぬ近付いていると思ってしまう。

 怖さはそれほどない。もう死など怖くない。捺月が居るのならば。


「私に死ぬ勇気を与えてくれてありがとうね、千秋くん」


 白い肌。まつ毛が長くて大きな瞳。柔らかい唇。

 誰が見ても惚れてしまいそうなほどに洗練された横顔。

 もう僕は完全に虜になってしまっている。


「僕に生きる理由を与えてくれてありがとうな、捺月」


 お互いに感謝を述べてから。

 僕たちは崖から飛び降りた。

 確認し合うことはない。どちらともなくだ。

 真っ逆さま。

 一瞬だけ飛んだ。一瞬だけ時間が止まった。

 そんなふうに思ったけど、ただの気のせいだ。

 急降下。落下。異常に早い速度で。

 ジェットコースターよりも怖い。

 ビュンビュンと耳元で聞こえる風を切る音。

 それと共に、悲痛な叫び声が近くで聞こえてきた。


「ごめんなさい……次は良い子に育つから……ごめんなさい」


 どんな意味だ? どんな意図を含んでいるんだ?

 今から死ぬ人間が。

 もう死にかけの人間が。

 どうして泣いているんだ?

 こんなに辛そうなのだ。どうして謝っているんだ?

 誰に? 誰に対して?

 さっきまで死んだ家族に待っててと言ってたくせに。


「どうせ死ぬぐらいなら、最後ぐらいは笑えよ」


 僕は捺月を抱きしめていた。

 落ちている最中にだって、案外身体は動くみたいだ。

 自由はあんまり効かないみたいだけど。

 好きな人を抱きしめるぐらいは。案外、恋の力でどうにかなる。


「もしも生きてたら絶対僕が何とかする……だから安心しろ」


 柄にもないセリフ。

 普段の僕なら絶対言わない言葉。

 どうせ死ぬぐらいなら、少しぐらいはカッコつけてもいいだろ。

 欺くして、胸の中で涙を流しながら震えている捺月に、僕は誓うのであった。だって、それが僕の役目だから。幸せにすると約束したから。


——完結——


————————————————————————————————————


作家から


『冴えないオタクが推しのアイドルと心中する話』


https://kakuyomu.jp/works/16817330656698160427


 この話の元ネタですね。

 一番最初は、これぐらいプロトタイプ版で書いてました(笑)

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