美紗との会話を終わらせ、俺は厨房へと戻る。すると、同じくスタッフの女の子が頬っぺたをぷっくらと膨らませながら。


「ヒロさん、あの女は何者ですか?」

「鈴夏ちゃん。どうしてイラついてるの?」


 鈴夏(スズカ)ちゃんは、1歳下の女の子。

 美容専門学校に通っているらしい。

 彼女は奇抜な髪色をしているが、それ以外の点は普通の女の子と対して変わらない。

 ちなみに、俺が先輩として彼女の教育係を受け持っていたことがある。何度も彼女のミスを、俺が肩代わりして助けた経験あり。


「ヒロさんに馴れ馴れしくてイラつきました」

「……アレでもお客様だからちゃんとやれ」

「わ、わかりました……」


◇◆◇◆◇◆


「はぁー。終わった終わった」


 バイト終わりの帰り道。

 俺はまたしても、あの女に出会った。


「ヒロくんのことずっと待ってたよ」


 ファミレスの目の前にある電柱。

 その後ろに隠れていたのである。

 ひょっこりと顔を出された瞬間、俺は幽霊を見たかのように驚きを隠せなかった。


「何のつもりだ? お前は……」

「ヒロくんのこと心配してたんだよ」

「心配って……俺たちは別に……」


——何の関係もないじゃないか、俺たちは。


 そう俺が切り出すと、彼女の表情が曇る。

 この世界の温暖化現象が、この瞬間だけは止まった。そう科学者が言ってもおかしくないほどに、背筋に寒気が襲ってきた。

 喜怒哀楽の感情を持たない機械じみた瞳をこちらに向け、美紗は小首を傾げてきた。


「どうしてそんな言い方をするのかなぁ?」


 にへへと口元が緩んだ。

 緩み方がぎこちなく、気持ち悪かった。

 白い八重歯が垣間見える。

 ベッドの中では、彼女は噛み癖があり、俺何度首元を噛まれたことか。

 そんな思い出を振り返っていると——。

 彼女は今にも泣きそうな表情で言った。


「ワタシ……ヒロくんの彼女なのに」


 彼女??

 コイツは何を言っているんだ。

 俺はこの女と付き合っていない。

 それなのに、この女は酷い勘違いをしているのだ。変な勘違いをしている女に、俺は戸惑いを隠さなかった。ただ、伝えねば。


「悪いが……俺はお前と付き合った記憶はない。勝手に記憶の改竄をするのはやめろよ」

「ベッドの上で付き合うって言ってくれたよ? あれは嘘だったの??」


 ベッドの上とは怖いものである。

 調子に乗って、いろんなことを口走ってしまうのだ。もしかしたらあのときはそんなことも言ってしまったかもしれない。

 過去の自分を恨みながら、俺は言った。


「……悪いけど、俺には彼女がいるんだ」

「ワタシだよね?」

「違う。一緒の大学で同じゼミの子なんだ」


 そう伝えると、彼女は「あはは」と笑った。自分は遊ばれていたんだと嫌味たらしい発言を何度も繰り返していた。そんな彼女に平謝りすることしか俺はできなかった。


 で——。

 2日後、俺がバイト先へ顔を出すと……。


「もうヒロさんのことなんて知りません!」


 顔を見た瞬間に、鈴夏ちゃんがそう言ってきた。何も悪いことなんてしてないのに。

 何か悪いことでもしたのかと思っていると、シフト仲間のチャラ男が言ってきた。


「おいおい。お前やるなぁ〜。可愛い彼女を作りやがってぇ〜。お前に彼女ができたと知って、鈴夏ちゃんはお怒りモードだぜぇ〜」


 亜美と付き合っていることがバレたのか。

 バイト内では内緒にしてたはずなのに。

 でも、誰と誰が付き合っているという情報は、忽ち話題になるものだ。

 もしかしたら、亜美と一緒に歩いている姿を誰かに見られていたのかもしれないなぁ。


「それにしても、お前の彼女可愛いよなぁ〜。黒髪清楚なセミロング。それに色白で、巨乳だし。あと、注文を取りに行くだけで、あま〜い香りが漂ってくるんだぜ!!」


 亜美とは違う情報だった。

 亜美は茶髪だ。

 それもゆるふわカール系女子だ。

 運動系のサークルに入ってるから、どちらかと言えば……小麦色だし。胸も控えめだ。


「と、噂をすれば……そのまさかだぜ。ほら、来たぜ。お前の彼女さんが。ほら、今から会いに行ってこいよ」


 チャラ男が俺の背中を押してきた。

 鈴夏ちゃんは「ふんっ。ヒロさんのことなんてもう知りません」と顔を逸らして「もうヒロさんみたいな不埒な男は、メロンパンになってしまけばいいんです!!」


 で、俺の彼女と評判の女——美紗は言う。


「ヒロくん、バイト頑張ってね❤︎ ワタシがしっかりと見張っておくね。それにバイト仲間さんのほうにはもう挨拶はしちゃったから」


(続く)

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