二章エピローグ 「帰還」

十二月五日 午前九時二分 人海町 桜田邸前


 事件に関して学園への連絡をしたのち、イッキたちは自分達の活動に戻っていた。

 そして翌朝になって、早くも天界に帰宅することになる。

 その場にはイッキたち以外のグループの面々に加え、梨乃香と日々輝の姿もあった。


「クロにぃはどこに行ったんだろうな」

「分からない……。気が付いたらいなくなっちゃって。一発くらい殴りたかったよ」

「そ、そうか?」


 梨乃香はまだ天恵に対して言いたいことが山ほどあった。

 しかしイッキたちが天界に一連の出来事を連絡している間に、天恵は姿を消してしまっていたのだ。

 イッキはその後ルイたちやレオたちとも合流して、情報交換を終えてから依姫の家に戻っていった。


「おい」

「なぁルイ。お前んとこのグループ、レポート大丈夫か?」

「おい」

「何とかした」

「凄いな!」

「『おい』っつってんだろ!」

「何だよレオ。名前呼んでくれよ」

「……チッ。てめぇ、最高神は何て言ってたんだ? 昨日の件」

「だから名前……」

「うるせぇアストラ! これで満足か!?」

「……何でみんな『アストラ』って言うの? 何それ」

「てめぇのその光輪は、最高神の候補生である証だ。ディノ様の昔の名……それが『銀の星アストラ』だった。最高神の候補生のことは、そう呼ぶように昔言われていた」

「『イッキ』でもいいぜ俺は」

「うるせぇ!」

「照れてるだけじゃん……」


 レオも知らないことだが、最高神の候補生が共通の名で呼ばれていたのは理由があった。

 それは、最高神の候補生となる天使は必ず元人間であり、その時の記憶を残したまま天使となったことで、以前の名前を捨てる必要があったからだ。

 なおイッキは自分で『イッキ』という名前を付けてしまったので、『アストラ』と名乗る理由は無くなっていた。


「そっちは?」


 レオにイッキが絡まれたので、ルイはヴィオラたちに尋ねる。


「うちは動画で信仰を集めようと思ったのだけど……」

「時間なかったんで、取り敢えずアストラのが殴られてるとこだけ撮っといたっス」

「何で?」

「刺激的かと思ったのさ」


 ヴィオラが呆れる中、ベンとダックは何故か誇らしげに胸を張った。


「それでどういった層から信仰を得られるのよ……」

「それも含めて実験っスよ!」

「まあレポートは何とかなったな」


 ルイは一応彼らの撮った動画を閲覧してみる。


「……これ、イッキの姿映ってないけど」

「そうなんスよ。天使の姿だとカメラにも映らないみたいで」

「ただ公園で暴れてるあの男が映ってただけだったな」

「ちなみに再生数は十二よ」

「……全然駄目だったのですね」


 ポンとヴィオラの肩に手を置きながらフルティが入ってくる。


「フルティさん! あと分かったことなんですけど、どうやら動画サイト的には暴力シーンはNGみたいでした!」

「まあ、そうでしょうね」

「……」


 ルイは動画を見て、イッキを傷つけたという男の姿をハッキリと記憶させる。

 カジュアルな衣服を纏った、黒髪で黒い瞳の中肉中背。

 結局彼女は一度も会うことがなかったので、いつかイッキの分の仕返しをしてやろうと願うのだった。


     *


とある路地裏


 黒茨天恵は、病院にも行かずに体を引きずりながら歩いていた。

 昨晩の間に人海町から離れ、天使たちから身を隠すのに専念することにしたのだ。


「ハァ……ハァ……。ったく、手加減知らないんだから、あの馬鹿は……」


 もう苛立ちが過ぎて笑うしかない状態だ。

 周囲からの視線が鬱陶しくなってきたため、路地裏の方へ入ることにした。


「天恵。失敗したみたいだな」


 すると、正面の角の向こう側から声が聞こえてくる。

 天恵の知っている男の声だった。


「……は? そりゃこっちの台詞なんだけど。そっちが座標ずらしてなきゃ、一昨日の時点でイッキをどうこうできてた。他の知らない天使なんかを人質に取らなくちゃいけなくたった所為で、計画が狂ったんだよ」


 本来の天恵の計画では、課外授業一日目でイッキらのグループを人質に取り、それを担保にディノを呼び出してゼノンと戦わせている間に、イッキを殺す算段だった。

 しかし、イッキが予想外の場所に降りていたため、人質は別の者を選ぶようゼノンに言われ、天恵はそれを拒絶できなかった。

 結果天恵の部屋は別の人質で埋まり、ゼノンの力を借りずにイッキを人質にするのは困難なので、その人質を利用してイッキを呼び出さざるを得なかったのだ。

 ゼノンがイッキ殺害に協力してくれるのなら話は速かっただろうが、そこまで頼る程天恵はゼノンを信頼していなかった。


「座標がズレたのは、どうやらアクォルの所為らしい。愛の神は相変わらず訳が分からない」

「わけ分からないのは秩序神もだろ。それともそっちはディノの差し金かな?」

「テラスの独断だろう。人間と一緒に居た理由は分からないがな」

「……ああそうだ。そうだよ! 結局人間……人間じゃないか! リノカたちの所為で滅茶苦茶だ! フフ……アハハハハ!」

「何がおかしい?」

「これがおかしくないわけないだろ!? なぁクソ神! 結局世界の主役は人間なんだよ! クク……ハハハハハ!」

「……何でもいい。俺達はただ……虚無を目指すのみだ」

「そうかい。ま、僕も面白いと思う間は君らに協力するよ。イッキを殺したいのは……僕も同じだからね」

「それで自分が死ぬことになってもか?」

「馬鹿馬鹿しい。人生なんて所詮、死ぬまでの暇潰しだろうよ」


 小さく笑いながら、軋む体を引きずって天恵はまた歩き出す。

 正面の角の向こう側には、もう誰もいなかった。



「それじゃあまた今度。邪神くん」


     *


神嗣学園 大典門前


 ディノはイッキたちの帰りを待つ教師陣の前に再び顔を出した。


「おはようございます。本日はお日柄も良く、過ごしやすい天気ですね」


 対応するのは副学園長のラフ。


「おはようございます、最高神様」

「そろそろ彼らが返ってくる頃ですかね」

「は、はあ。しかし、何故最高神様が……?」

「彼らを出迎えたいと思ったのもありますが、皆さんにお伝えしたいことがありまして」


 教師陣は皆不審に思いざわつき始める。

 その中でイッキたちの担任であるアリエアは少しだけ前に出てきた。


「何をでしょうかぁ? 最高神様ぁ?」

「……今回の一件。どうやら……学園側に、情報提供者がいたようです」

「何ですって!?」


 ラフの声を皮切りに全員がどよめきを見せる。

 アリエアも少し汗をかいて困った様子だ。


「ホントですかぁ? 勘違いではなくぅ?」

「本当ですよ。間違いありません。ですから皆さんにはくれぐれも注意していただきたいのです。もしかしたらその天使は……『邪神』と繋がっている可能性がありますから」

「……!? じゃ、邪神……」


 どよめきは収まることを知らなくなっていた。

 だが、ディノはまだいつものように目を閉じたまま微笑みを見せている。

 それが余裕故か、あるいは元々そういう表情なのかは、彼本人にしか分からない。


     *


人海町 桜田邸前


 もうすぐ天界に帰る時。

 イッキは最後に世話になった依姫たちに挨拶をしようとしていた。


「さて……ありがとうな、依姫。色々あったけど、多分お前のおかげで結構助かったみたいだ」

「イッキ君……私は何もしてないよ。天使として、これからも頑張ってね」


 いつになく穏やかな表情を見せていたので、ベンとダックは逆に恐怖していた。


「『何もしてない』ことはないっスよね?」

「まあ……アストラのが気にしてねぇならいいだろ」


 そうしていると、この場にまた挨拶をしに来た者が現れる。


「……ミカミ!?」

「や。天使君……いや、レオ君だっけか」

「お前……」

「何で驚くの? 私、行く当て無いんだけど。レオ君……結局私のこと一人にするんだ。酷いね」

「そ、それは……」


 レオが困りだすと、ミカミはフッと笑い出す。


「冗談。ま、一人なのはガチだけど。家族はいなくなって、友達なんて初めから一人もいないから」

「ミカミさん、学校とかは……」

「行かないよ。行ったことないし、行きたくないし。施設の人は色々協力してくれるみたいだけど、それも所詮仕事だからやってくれるだけだし。下らなくない? そういうの……全部だるいよ」


 悲しいことを言うミカミに対して、フルティは掛けるべき言葉を考える。

 だが、彼女が言う必要は無さそうだった。


「……下らなくねぇよ」

「え?」


 レオはミカミの両肩に手を乗せた。


「行きたくねぇなら行かなきゃいいさ。けど、『下らない』なんて言ってもしょうがねぇんだよ。そんな風にいくら思っても……いつかは『悪くない』って思うようになっちまうんだ」

「……レオ君……」


 レオの言葉は、ミカミにしか聞こえないような小声になっていた。

 彼が周りのクラスメイトの目を気にしていることに気付いたミカミは、それだけでレオの本意を理解した。

 だからこそ、また噴き出してしまう。


「クク……フフフフフ!」

「な、何笑ってんだよ」

「いやぁ別に。ま、私は私なりに頑張るよ。だからレオ君も……素直になりなよ?」

「うるせぇ!」


 レオとミカミの会話をニヤニヤしながら聞いているフルティとロストの後ろで、イッキは最後に梨乃香たちに話しかけていた。


「あ……と、その、ありがとうございました」」


 イッキはきまり悪く日比輝に一礼をする。

 彼にとっては途轍もなく微妙な間柄の人物だ。


「いやいや気にしないでくれよ一輝君! 僕は僕にやれることをやっただけさ! なぁテラス!」

「あ、ああ。そうだな」

「テラスさんもありがとう」

「うむ」

「で……梨乃香。あー……その、何ていうか……」


 幼馴染であり、初恋の相手だった梨乃香に何を言えばいいのか、イッキは思い浮かばなかった。

 そんな彼を気遣い、梨乃香は自分から言葉を発しようとする。


「一輝」


 だが、そこで彼女はハッとした。

 自分より先に、困り果てたイッキの背中をドンと叩く人物を見たからだ。


「あ、ルイ」

「……」

「に、睨むなよ……」


 そこで梨乃香は何かを察したのか、一度言おうとした言葉を飲み込んだ。


「元気でね。一輝……ううん。……イッキ」

「……ああ。そっちもな」


 これ以上は何も言うべきではないと考えたのか、二人は笑みを向けるだけに済ませた。

 そして、日々輝は空気を読まず口を挟む。


「かず……イッキ君! 僕から最後に一言いいかな!?」

「え……な、何ですか?」


 唐突に、日々輝は一瞬だけ真面目な表情を作った。


「……邪神に気を付けて」


「はい? ジャシン?」


 それだけ言うと今度は朗らかな笑顔を作り、それ以上何も説明しようとはしなかった。


 大体別れの挨拶が終わっていくと、ルイはイッキの裾を引っ張った。

 何故かは分からないが、そうしたくなったのだ。

 イッキが自分よりも深そうな間柄の人物と話していると、少しだけ胸の内側に靄がかかる。

 その靄が、少しでも晴れてほしいと思ったからかもしれない。


「帰るよ。イッキ」

「ああ。そう……だな」


 ルイは少しだけ急かしてしまったような気がして下を向くが、そんな彼女の頭にイッキは優しく手を乗せる。

 その様子を見て、依姫は彼の言葉を思い出した。


 ──「分かってるよ。というか違うから。今は……違うんだ」


 そして、彼女は納得した。


「ああ………………そういうことね」


 切ない表情を見せないように下を向き、笑顔を作ってまた顔を上げる。

 そして、天使たちは下界を去っていくのだった。

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