15話 「良い人」
人海公園
イッキが一方的に殴られる状況で、他の天使たちは何をすることも出来なかった。
「ぐあっ!」
「ハハハハ!」
殴るというよりは『蹴る』に移行している。
およそ子どもの遊び場で行われる行為ではない。
「イッキ君! ひ、酷い……」
「クソ! 人間相手じゃどうしようも……。依姫さん呼ぶっスか!?」
「そもそも人質取られてんだろ? 探しに行こうぜ!」
居た堪れなくなっている三人は今にも動き出したくて仕方ない状況だ。
「ハハハ! 無駄だよ馬鹿だなぁ。見つかるわけないだろ? 僕の家なんて、君ら誰も知らないだろ?」
そう言ってイッキをまたも蹴り上げる。
「イッキ君!」
「ぐ……」
「言わせないよイッキ。お前も馬鹿だなぁ。僕が人質の監禁場所として提供できる場所なんて、今の僕の家しかないだろ? お前とリノカには教えてたから、ここに来る前に向かっておけば良かったのに!」
「ぐあああ!」
「ホント馬鹿だな! 馬鹿イッキ! アハハハ!」
イッキは何とか急所は避けて身じろぐが、それでももうダメージが相当になっている。
天恵は手加減しているだけで、なぶり殺しにされるのも時間の問題だ。
「一輝」
その声が、天恵の動きを止めた。
予想だにしていなかったその声に反応して、天恵もイッキも、他の天使たちも公園の入口を見つめる。
「…………梨……乃……香……?」
春原梨乃香。
イッキと天恵の幼馴染である、茶髪でポニーテールの少女。
いるはずのない人間の少女が、目の前に現れ、そして何より──イッキが見えていた。
「……どういうわけかな? なぁリノカ。何故君がここにいる?」
「……」
天恵の言葉は無視し、イッキの無事を確認する。
彼がまだまだ大丈夫そうだと判断すると、梨乃香はホッと息を吐く。
「……久しぶりだね。一輝」
「な、何で……梨乃香がここに……」
「こっちに向かって走ってるの見えてたよ。申し訳ないけど、私は歩いてきたけれど……」
「そんなことはどうでもいいよリノカ。なぁリノカ。お前……今のイッキが見えてるのかい?」
頷きもしない。徹底した無視だ。
「また会えるとは思ってなかった。一輝はもう……こっちに来られないって思ってたから」
「梨乃香……」
「来たとしても会うべきじゃないって思ってた。でも会わざるを得なくなっちゃたんだ。そこの……」
「僕の所為でかい?」
ようやく視線を向けてくれたことに若干喜んでいる。
だが、梨乃香は眉間に皺を寄せていて、強く苛立ちを見せているのは確かだ。
「ねぇクロにぃ。どうして一輝を殺そうとするの?」
「ムカつくからだよ。それ以上の理由は要らないだろ? あ、あと天使だから殺しても罪にはならないし」
「……だから私はずっと貴方が嫌いだった。でも一輝が言うから仕方なく貴方とも遊んでた。一輝は本気で貴方のことを兄のように思っていたのに、どうして……」
「だから……って言っても、伝わらないんだろうね。ホントムカつくな。僕はこんなにそっちの気持ちを理解してやってるのに、どうして君らは僕の気持ちを理解しようとしてくれない?」
「理解してる? その結果こんなことしてるのに?」
「はぁ……あのさ、『理解』って言葉辞書で引きなよ。理解と行動に因果関係はないだろ? 僕は君らが嫌がることを分かってコイツを蹴ってんの! それが楽しいの! どうして分かってくれないんだよ!」
「分かりたくない……貴方のことなんか」
「ハッ! 思考の放棄だ! これが一般的な人間ですよ天使諸君! 導く価値があるのかこんな生物に!」
論理的な問題で片付くのなら、人間が天使に導かれる必要は無い。
理屈でないから人間は人間なのであり、天恵も間違いなくその一人だった。
だが彼は、どこまでも理屈で自分を含めた人間のことを語ることが出来る稀有な人物であり、残念なことにそれが良い方向に働くことはなかった。
そして、稀有なのは彼に限った話ではない。
「……分かったよ。クロにぃ」
「……は?」
イッキは立ち上がっていた。まだ自分の意志で動くことは出来る状態だ。
「いいさ、別に。俺のこと殺したくても何でも。そういう奴がいてもいいんじゃないかな? 世界は広いわけだし、その方が面白いのかもしれないし」
「……何言ってんだお前」
「ただ、悪いけど俺はそう簡単に死なないぜ! へへ、殺せるまで殺しに来てみなよ! クロにぃ!」
「……ッ!」
天恵の苛立ちは上限を突破していた。
イッキが笑顔を向けている。昔と変わらない笑顔で自分を見てくる。そのことが恐ろしく、そして臨界点を越える程に虫唾が走るのだ。
「……まだ冗談だと思ってるのか? お前はどこまで馬鹿なんだ?」
「? いや、気持ちは分かったって。だから殺してみろって。でも俺は死なないんだ! きっと! 多分! 何とかなるって奴だ!」
「ならねぇよ馬鹿がっ!」
その時、梨乃香のポケットが震えだす。
彼女はそこからスカホではなくスマホを取り出した。
「……何だよこのタイミングで」
天恵は彼女のスマホの着信音にも苛立ちを見せている。
だが、おかげで今まさに殺しにかかろうとしていた彼は動きを止めざるを得なくなる。
「……はい。……ええ、そうです。……え? ホントですか!?」
普通に電話を始めている。
流石にヴィオラたちも怪訝な表情を見せ始めた。
「何なんスか一体……」
そして、彼女はスマホを降ろして叫ぶ。
「人質の子たち見つけたって! 一輝!」
その声で、天恵はもう目を丸くした。
「……………………は?」
「へ?」
梨乃香はそこでようやく説明を始める。
自分がどうしてここに来たのかということを──
*
そこはとある何の変哲もない安アパートだった。
天恵はここを借りて一人暮らししていたのだが、ゼノンと共に呼びだした天使三人を眠らせて、この部屋の中に閉じ込めていた。
だが今、シド達三人たちは『ある人物』によって解放されていた。
「あの、助かりました! 貴方は一体……」
シドが尋ねると、『彼』はフッと笑った。
「いやぁ気にすることはないよ。僕はただ良いことをしただけさ。何故なら僕は、良い人だからね!」
「あの……どうしてわたくしたちのことを……」
「運命だよ」
パンジーに答えた声は、何も無い空間から聞こえてきた。
突然そこから姿を現したのは、彫刻そのもののような顔を持つ、ダルマティカを着た巨体──秩序神・テラスだ。
「運命……?」
「そう! テラスの力で僕は運命に導かれ、この場に来れたのさ!」
「正確には私が連中の計画を看破し、事情を伝えたところ梨乃香が偶然奴の自宅を知っていただけだが」
「それが運命。善悪の秤は僕のいる方向に傾くと決まっていたのさ」
「……貴方は……」
ルイが問うと、彼はニッコリと微笑んだ。
「僕の名前は聖崎日々輝。正義の代理人とでも呼んでくれ!」
*
そして、梨乃香は自分の彼氏が何者なのかを説明する。
「日々輝先輩は前々から秩序神と仲が良かったみたいで、これまでも彼の力を借りて人助けしてきたみたいなの」
「ど、どういうこと……?」
イッキは目が点の状態だ。
「秩序神の力で、先輩の前には常に善と悪を量らせるような事態が舞い降りる。簡単に言うと先輩は巻き込まれ体質で、今回の事件も……先輩の知っているところで起こるように力が働いていた」
「そんな馬鹿な……」
「クロにぃ。貴方がこの町にイッキを呼び出したから、先輩は善行する機会を得たの。私としては……あまり先輩には無茶をして欲しくないんだけどね……」
「何だよそれ……どうしてどいつもこいつも無駄に神の力を貰ってんだよ! 僕だけが選ばれた人間であるべきなのに……」
「クロにぃは私と同じ、何の力も無いただの人間だよ」
「リノカぁ……!」
天恵は拳を握り締めて梨乃香の方に睨み付ける。
だが、彼の相手は彼女ではない。
「イッキ」
「……ああ。分かったよ。いや、正直全然分かんねぇからまた後で詳しく説明してくれよ」
「うん。お願い」
天恵はそこで忘れかけていたイッキのことを思い出す。
「……フフ。ハハハハハハ! そっか、人質いなくなったか! これじゃもう駄目だ! ゼノンの旦那もどうせ使えないだろうし、イッキも殺せない! ふざけた話だよなぁ! よりによって人間に邪魔されるなんて!」
「クロにぃ。残念だったな、上手くいかなかったみたいで」
「煽ってる? ま、いいよ。どうせお前も僕を殴れないし。この辺でおさらばするよ僕は」
「いや……シド達のこと攫ったんだ。一発くらいは受けろよ? で、反省しろ! クロにぃ!」
「いやだから、お前は僕のこと殴れないんだって──」
ドゴォッ
瞬間、天恵はイッキに殴り飛ばされて宙を舞い、勢いよく地面に激突した。
「……殴った……?」
「殴ったっスね……」
「殴りやがった……」
「一輝……!」
梨乃香だけがスカッとしたのか喜んでいる。
だが、たった今、天使としてはあり得ない出来事が起こってしまった。
「……う……ぐ……。な、何で……僕を……殴れて……」
「殴れるだろそりゃ」
「は……ハハ……。ああ……そういう……こと……か……」
一発食らっただけで天恵は意識を失ってしまった。
「ああ! しまった! また手加減忘れちまった……。なんか人間の時みたいな感じでやっちゃうんだよなぁ……」
「一輝! もう一発! もう一発いっちゃえ!」
「いや……もう十分伸びてるから」
「よし。じゃあ私が代わりに」
「いやいや! 死んじゃうから!」
必死に止めるイッキだったが、頭の中ではあと一つの懸念事項がまだ残っていた。
(あとは……ディノ……。大丈夫……だよな?)
*
人海町 とある平地
イッキと天恵の決着がついている一方で、神々の争いは……争いにすらなっていなかった。
「ぐ……か……」
地に伏せたゼノンは立ち上がることが出来ずにいる。
「だから言ったでしょう。ゼノン」
「……ッ」
ゼノンは愕然としていた。
(これは……神気をどれだけ手にしても……力を蓄えても意味が無い……!)
(何もかもが効かない……!)
「何故だ……ここまでの実力なら……何故私から逃げ続けた……」
「争いは私の好むものではありません。貴方が心を入れ替えることを期待していたのです。残念ながら……更生する気は無さそうですね」
「私は……私はこの世界を……」
「貴方のものには出来ません。まだ気付いていないのですか? ここにいる私は、私の一部に過ぎないというのに」
「何……!?」
「探しても本体などはありません。私は三界全てに散在しているのです。それが……私という存在。生も死もなく、ただ理としてそこにあるだけ。それが……『最高神』なのです」
今ここで話をしているディノは、ただそこにあるだけの、生物の振りをした機械人形のようなもの。
もしかするとそれが、イッキの将来の姿になるのかもしれない。
「……さあ、冥界へ参りましょう。魂を浄化する世界に……」
「ぐ……き、貴様……」
「ああ、それと、最後に一つ質問させてください。誰が……貴方に協力していたのですか?」
もうゼノンにはどうすることも出来ない。
抱いていた野心は踏みにじられ、もう観念せざるを得なくなった。
だからではないが、せめて抵抗として情報を渡す気はなくなった。
「答える義理は……ない!」
「勘違いしないでください。私は貴方に情報を提供した存在の、実態を聞きたいだけなのです」
「……何だと?」
実態も何も、天恵は彼の知る限りただの人間だ。
それ以上の存在ではないはずだと、彼はそう考えていた。
「人間が……神嗣学園の課外授業を知っているはずがありません。そして我々は、貴方たち悪神に生徒の情報を伝えることもない」
ハッとしたゼノンは、出会った時の天恵との会話を思い返していた。
──「初めまして。アンタ……神様でしょう?」
──「……何故私の姿が見える? 人間」
──「前に神様から力を借りたことがあってね。ま、今はただの人間だけど……神様が下界なんかに、一体何の用っスか?」
──「神気の強い人間から力を頂く。そして……私から逃げ隠れ続けている最高神を倒すのだ」
──「ハハハ! 何それ、面白そうっスね。良かったら……僕が協力しましょーか?」
──「何?」
──「なぁに考えがあるんスよ。ちょっと耳……貸してもらえません?」
「……初めから、貴方に協力した人間の目的は、私を誘き寄せることではなかったとしたら? むしろ、私を足止めするために貴方を利用したのだとしたら……」
「何を……言っている……?」
そこまで聞いて、ゼノンはある可能性にようやく辿り着いた。
それは単純に、天恵が自分を裏切っていたという可能性だ。
(まさか……。天恵……貴様……!)
今更気付いても、もう時間は戻らない。
確かに天恵自身が言っていたように、ゼノンは少しばかり抜けている部分があった。
黒茨天恵という男の背後に『何がいるのか』、そこまで気付くことは出来ないのだった。
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