11話 「高原海香美」

十二月四日 午後一時二十分 人海病院


 ひと騒動が起きている真っただ中、レオは約束の少女と再会を果たしていた。

 七年前と同じ病室で、七年前より成長した姿になって、少女はベッドに入っていた。


「……ミカミ……」

「……久しぶりだね」


 ミカミは窓の方を向いていて、レオに目を合わせてはくれなかった。

 カーテンは開いていて、そこからは病院の出入り口が丸見えの状態だ。


「見えてたよ。ここから君が来るところ」

「よく俺の顔覚えてたな」


 まだこちら側に顔を向けてはくれない。


「忘れないでしょ。だって天使だぜ? ま……それ以前に、そもそも会う人そんないないしさ」


 顔は向けてくれないが、少し体が震えているように見えた。

 いや、体だけではなく声も震えているような気がしている。

 しかし、それが喜びの余りというわけではないと、レオは何となく察していた。


「ってか、その顔どうしたの? 入れ墨? そんなの前あったけ?」

「ああ……まあ、な」

「似合ってないよ」

「うるせぇ奴だな」

「……」

「……」

「私達、会話続かないね。そもそも仲良くもないからかな?」

「そりゃ会うの二度目だからな」

「一度きりだと思ってた」

「それはお前……約束しただろうが」

「守ってくれたんだ。人間の、私なんかとの約束」

「破る理由がねぇ」

「……だったら……」


 震えた声が、掠れて大きくなっていく。

 そこで初めて、彼女はレオの方に体を向けた。


「だったら! もっと……もっと、早く会いに来てほしかった……!」

「……!」


 ミカミはその目に大粒の涙を溜め込んでいた。

 レオのことを強く睨み付け、まるで、憎しみや恨みをぶつけるように歯を噛み締めていた。


「ミカミ……?」

「……遅いよ……もう……何もかも……」

「? ど、どういう意味だよ……」


 パリィィィィィィィィィン


 その時、部屋の窓が突如として粉々に割れ、照明も音を立てて消えてしまった。

 一気に部屋の空気は重く冷たいものに変化し、暗いオーラがレオの周囲を囲みだす。

 いや、それはオーラではなく神気。

 レオにはその原因が『何によるものか』、瞬時に理解できていた。



「……知り合いかい? ミカミ」



 声と共に突如として現れたのは、ゾンビのような見た目の化け物。

 皮膚はただれ、着ている衣服は衣服と呼んでいいのか分からないようなボロ切れだ。

 汚らしい外見ではあるが、透けて物に触れることは出来ない。

 そんな化け物をの正体を、レオは知っていた。


「……お前は……!」

「んん? 天使かい? 君に天使の知り合いがいるとはねぇ……」

「再生の神……イアン……」

「俺を知っているのかい? へぇ……コイツは嬉しいねぇ」

「知ってるさ。悪い噂でな……」

「クキキキキ! そいつはどーも」


 既に嫌な予感を抱いたレオは、歯をギリギリと噛み締めてミカミの方を向く。


「ミカミ! どういう──」

「神様は私を助けてくれた」

「!?」

「私は……本当は半年前に死ぬはずだった。でも、神様が私の体を再生してくれた。まあ、それでも……どっかいなくなったお父さんと、死んだお母さんは戻らないわけだけど」

「……」


 この七年のミカミの人生は、レオには計り知れない。

 彼女がどれだけ絶望に塗れていて、どれだけ希望を見つけられずにいたかなど、分かろうとしても分からない。


「気付かなかった? この病院……偽物なんだけど」

「何!?」

「三年前にこの病院潰れて、本当はここ、廃墟なの。でも神様に頼んで再生してもらった。他の人が近づけないように認識阻害を与える結界があるはずなんだけど……天使君には効かないみたいだね」


 レオがここに来るまで、病院で誰ともすれ違うことはなかった。

 彼は何かの偶然だと思い込んでいたが、そもそもこの建物の中にはミカミしかいなかったのだ。


「……どうして再生させたんだ?」

「死ぬのならここがいいかなって思って」

「何ィ?」

「ここが一番長くお世話になった病院だから。でもまさか、もうすぐってところで君が来るなんてね」

「……死んでどうする? 折角体が治ったんだろ?」

「うん。治してもらって……それで気付いた。私、何も無いんだなぁって。どうせ生きててもまた誰かに迷惑かけるだけだし、だったら最後に誰かの役に立ちたいなってさ」

「……誰か……?」


 レオはハッとしてイアンを睨み付ける。


「てめぇ……何考えてやがる……」

「んん? 何のことだい?」

「ミカミ! コイツは有名な悪神だ! 過去に、競争相手の候補生に毒を盛って堕天使になった男だ! どんな手使って神になったのか知らねぇが、噂にはなってる! 人間を騙して誑かして、自分への信仰を集めてやがるんだ!」


 天界というのは、ルイが言うような善良な存在だけで構成されているわけではない。

 レオの見聞通り、確かにイアンという男は頂けない経歴を持ち合わせていた。


「そうかな。でも、私はどうでもいい。だから神様、お願い」

「クキキキ……お安い御用だ」

「何する気だ!」


 途端に、床が音を鳴らし始める。

 明らかに、この建物全体の支柱が崩れ出そうとしている音だ。


「私はこの病院と共に死ぬの。天使君は……危ないから早く出ていった方がいいよ。窓から飛んでさ」

「冗談じゃねぇ。てめぇも連れてくぞ」

「……何で? 天使君、何の義理があって私を生かそうとするの?」

「義理も何もねぇよ。目の前で死なれちゃ寝覚めがわりぃだろうが」


 建物の揺れは、次第に激しくなってくる。


「下らない……馬鹿みたい! 今更……私の時間は戻らないのに……」

「俺はてめぇに生きる意味を持ってほしかったから、約束を守ってここに来たんだ。死ぬなよミカミ。俺は今日ここに来るために日本クラスに入ったんだ」

「……天使君……」


 炎神の候補生・レオンハートという男は、クソを付けられるほどに真面目でひたむきな性格の天使だった。

 決まりごとは基本的に守り、それ以上に誰かと一度した約束は必ず守る。

 口も態度も悪く、素直になれない部分が短所であるが、俯いた少女を放っておけるタイプではなかった。


「クキキ……無視するといい。天使の戯言なんてさぁ」

「てめぇ……」


 イアンはスルリと宙を舞いながらミカミの背後を取る。


「!? 何をする気だ!」

「か、神様?」


 イアンの体は透けてミカミの体に入り込む。

 まるで、二人が一体になるかのように。


「この少年は君の死を邪魔する気だからねぇ。力を貸すよ」

「ま、待って下さい。でも、私──」


 ミカミの言い分を何も聞かず、いやむしろ言わせないために、イアンは彼女の体を取り込んでいく。


「う……!」

「おい! 止めろ!」


 レオはもう止めに入っていたが、建物の揺れが激しくなって足がもつれる。

 その揺れの激しさが増すと同時に、ミカミの様子もおかしくなっていた。


「……」

「ぐ……ミカミ!」



『今は俺だよ。天使君?』



「てめぇ……!」


 ミカミの顔でありながら、イアンの声で不気味な笑みを浮かべる。

 そして、大きな崩壊音が病院内に響き渡った。

 少し離れた場所の支柱が先だって崩れたのだ。


『ま、これでも食らいなよ』

「!」


 ミカミは手のひらをレオに向け、そこから黄緑色の光を放出する。

 それはエネルギー波となってレオに襲い掛かった。


 ズォォォォォ

 ゴォォォォォ


 ミカミの手から放たれた波動に、衝突してくる別の波動がもう一つ。

 それは黒色の光で、窓の外から向かってきていた。

 二つの波動が相殺されると、窓の外から『何か』が飛んで入ってくる。


「お前……!」

「ずだだだだだ! うごぁ!」


 転がりながらこの部屋に入って来たのは、物ではなく人……でもなく、天使だった。


「黒いの! お前どうして……」

「くく黒いのって……」


 同時にガチャリとドアが開く。


「美しい登場でしたよ、ロストさん! 着地は頂けませんけど」

「花冠! てめぇら何で……」


 フルティとロストの二人は、この部屋の会話をある程度聞いていた。

 元々外で飛びながら聞いていたのだが、状況を見てロストが動き出し、何故かフルティは隣の部屋の窓から入った。


『……しょうがないねぇ』


 だが、入って来た意味はすぐに無くなる。

 一度廃墟から直った病院は、音を立てて崩れ落ちていった。

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