9話 「お隣のお兄さん」
十二月四日 午後一時八分 人海病院前
いつかの約束を果たすため、レオは高原海香美のいた病院を訪れた。
そこは気味が悪いほどひと気を感じられない、寂寥感溢れる建物だった。
「……クソ。どういうわけだ? まさか最初に降りた場所が既にアイツのいた町だったとは……。おかげで迷ったじゃねぇか!」
どこかの誰かの所為で人海町に降りていたレオは、この病院を探すためまず足を使って他県に出ようとした。
だが、出てすぐ先程まで自分のいた県が目的の病院のある場所だと気付く。
結局彼は一日を無駄にしてしまったのだった。
「……まあいい。とにかくここで間違いねぇはず……。行くか」
決心したように眉間に皺を寄せ、ゆっくりと建物の中に入っていく。
そんな彼を、後ろから追いかけている者がいた。
当然彼と同じグループのフルティとロストだ。
「な、なな何で人間の病院に入るの?」
「ふむ。どうやらここに用があるようですね。昨日は何故迷っていたんでしょう?」
「わ、分からない……」
「とにかく追いかけましょうか。面白い……いえ、美しいものを見れるかもしれませんし」
「それはどうだろう……」
気付かれないように、二人はレオの後ろをつけて病院へと入っていった。
やはりひと気は全く無い。
*
同刻 桜田邸
広い家の中に、インターホンが鳴り響く。
「あ。ごめんなさい」
イッキと共に洗い物をしていた依姫が玄関へと向かった。
ベンとダックはリビングでくつろいでおり、ヴィオラは手持ち無沙汰で、洗い物をしている二人をただ見ているところだった。
「あの人、もう大丈夫なのかしら?」
「大丈夫みたいだぜ? 俺が言うのもなんだけど」
またいつ依姫が豹変するのかとヴィオラは不安視していたが、イッキはもうその心配をしていない。
それだけ依姫の瞳には光が溢れていたのだ。
「イッキ君!」
玄関の方から依姫の声を聞いて、イッキはすぐに向かう。
すると、眼前に現れたのは青髪、半目の少女。
おまけに見慣れた水滴型の光輪と水色の光翼を持っている。
「ルイさん!?」
声を上げたのはイッキではなく後ろから出てきたヴィオラだった。
「やっぱり知り合いなのね」
「……イッキ。この人私が見えてるの?」
「え? あ、ああ。色々あってな……」
本来はピンポンダッシュ的なノリでただドアを開けてもらい、勝手に中に入るつもりだったようだが、そんな回りくどい真似は必要ないことだった。
「というか、よくここに私たちがいるって分かったわね」
「スカホで位置情報が分かる」
「何だそれ」
「スカイスマートフォン」
そう言って見せられたのは、どこからどう見てもスマートフォンだった。
「天界の連中って、何でも『スカイ』って付ければいいと思ってね?」
「素敵じゃない」
依姫は適当に褒めて捨てた。
「……で? この子はイッキ君の何?」
「おぉ!? や、やっぱりそう来る……?」
想定内で予想外の台詞を聞いて、イッキは一歩後退る。
「冗談よ。貴方達の状況から察するに、クラスメイトでしょ? 同じ日本クラスの」
「物分かりいい」
「で? 貴方は何しに来たの? 他のグループのみんなはどうしたの? 課外授業中でしょ?」
「詳しい……」
依姫は既にイッキたちから天界の事情を粗方教えられていた。
彼女が抱いた疑問は、当然イッキたちと同じ疑問となっている。
「……シドとパンジーが攫われた」
水の如く流れるように、あっさりと相当なことを口にした。
一拍遅れても動揺は変わらない。
「え……えぇぇ!? な、何があったの!?」
「攫われたって……誰が攫ったんだ!?」
ヴィオラとイッキの叫び声を聞いて、ベンとダックも玄関の方にやって来た。
「何があったんスか?」
「つーかさ、そろそろ動画撮ろうぜ。レポート間に合わなくなるし」
最早課外授業のことなどイッキの頭には無い。
彼は今にも走り出しそうな勢いになっている。
「おい! 何があったんだよ!」
「……分からない。部屋に戻ったら二人ともいなくなってた」
「は、ハァ!?」
「ほ、ホントに攫われたの? ただちょっと出掛けてるだけとか……」
その時、先に出た『スカホ』が着信の音を鳴らす。
誰かから連絡が来たということだ。
「お、おいそれ」
「さっきも来た。イッキ……出て」
彼女にはもう相手が分かっているようで、イッキはそのスカホを手に取った。
呼び出し人は『シド』と記されているが、どうやら相手はシド本人ではないらしい。
『やあ。今度こそ……イッキかな?』
イッキはその声に聞き覚えがある。
だがそれはあり得ない相手だ。決して今の彼と関わりのあるはずがない相手だ。
それでも、声に出さずにはいられなくなった、
「……クロ……にぃ……?」
『ああそうさ。僕だよイッキ。いやぁ久しぶりだねぇ。元気かい? 別に君が元気でも僕は嬉しくないけどね』
「ど、どうしてクロにぃがシドの電話で出るんだよ……」
『分からないかい?』
「何も分かんねぇよ……」
イッキが困惑する一方で、この場の他の面々も狼狽えていた。
「どういうこと? ルイさん」
「多分……誘拐犯」
「えぇ!?」
「でもアイツの知り合いみたいだぜ?」
何も分かっていないはずの依姫だけが、既に嫌な予感を抱いてイッキに心配そうな視線を向けていた。
『いいかい? イッキ。僕は今、破壊神ゼノンの旦那と協力関係にあってね。えっと……誰だっけ? 君の友達。攫ったのは彼の仕業なんだよね』
「は? 何言って……」
『今彼は天界の連中と交渉しているところさ。天使ってのは優しいねぇ。学生数人のために交渉に応じるなんてさぁ』
「……」
イッキはもう言葉を完全に失ってしまっていた。
電話の向こう側の言葉を、一つ一つ飲み込むので精一杯の状況になっていたのだ。
『ゼノンの旦那の目的は、君の知り合いだろうあの最高神ディノと一騎打ちすることらしい。僕としては下らないけど、彼にとっては大事なことなんだろうね。……あそうだ。君らが通ってきただろう大典門、今は閉じちゃってるから。天界からの助けは望めないよ。もっとも、最高神に限っては大典門を通らなくてもこちらに来られるみたいだけど……。来てくれた時は、ゼノンの旦那の望みが叶った時ってわけだねこれ』
あまりにも一方的な物言いだが、不思議とイッキは冷静さを取り戻しつつあった。
もしかしたら彼にとってこの声の主が、懐かしい人物だったからなのかもしれないが。
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