二章プロローグNo.3 「秩序神」

人海高校 グラウンド横


 燃城一輝が死亡する一ヶ月前、『その二人』の関係は、彼の知らないうちに深まり始めていた。

 その二人とは、春原梨乃香と彼女の彼氏である聖崎日々輝。

 彼らは元々同じサッカー部に所属していて、日々輝は補欠の選手で梨乃香はマネージャーを務めていた。

 そして日々輝は、補欠とはいえ選手でありながら自ら率先してマネージャーの仕事も手伝うことが多い人物。

 彼はこの日も部員のために皆の飲み物を一人で買いに行っていた。

 だが、どういうわけか今、彼は部員たちのもとに辿り着く前に、グラウンド横の道中で倒れ込んでいた。


「……何してるんですか? 先輩」


 飲み物を買いに行った帰り道、彼はすっころんでしまったのだ。

 現在の彼の状態は、持っていた缶やペットボトルに塗れながらうつ伏せになっている。

 そんな彼を発見したのが梨乃香だったのだ。


「……いや、転んでしまってね。炭酸が無くて良かった」


 梨乃香は大きく溜息を吐いた。


「まったく……あの人達は。先輩一人に買いに行かせるなんて」

「いやいや僕が言ったんだよ。僕が一人で行ってくるってさ。優しいだろう?」

「馬鹿ですね。あの人達には私から叱っときました。次は先輩の番です」

「え!? 僕も怒られるの!?」


 梨乃香は彼の体の上に転がっている缶やペットボトルをいくつか拾い上げる。


「ほら、立って下さい。私も一緒に持っていきますから」


 そして、呆れながら日々輝に手を伸ばす。


「先輩は頑張り過ぎなんですよ。まあ、そういうの……素敵だとは思いますけど」


 少し照れながら精一杯褒め言葉を述べてみせる。

 だがその時、日々輝の方は回想を勝手に開始していた──


     *


数年前 某病院


「僕は……もうすぐ死ぬんだってさ」


 そう言ったのは、日々輝の幼馴染の少年だった。

 重い病気に罹り、こうして日々輝と会えるのも最後となってしまっていたのだ。


「……神様っているのかな? ねぇ、日々輝はどう思う?」

「え? ど、どうなんだろう……。わ、分からない……」

「僕は『いる』ってことを知ってるんだ。でもね、神ってのは僕らが思ってる以上にたいした奴じゃなくてさ。全然……駄目なんだ」

「ど、どういうこと?」

「連中は『正義』が分かんないんだよ。良いことをしてる人間が良い目にあうべきで、悪いことしてる人間こそ悪い目に遭うべきなのに。僕は……悪いことしたことなんてない僕は……このまま何故か死ぬんだってさ」

「……」


 およそ子どもとは思えないような口振りで、日々輝は以前からこの少年のことを尊敬していた。

 だがしかし、毎度上手く彼と会話が出来ていたわけではない。

 今回も同様だった。もちろんその理由は話が難しいから、ではないが。


「もしも正義の神様がいるのなら……そいつにはもっと頑張ってほしいね。良い人が報われるべき世界……作ってほしいよ」

「良い人が報われる……」

「うん」


 そんな彼との最後の会話を経て、日々輝は決意を新たに胸にする。

 そして、ここまでが彼の刹那の回想だった──


     *


「……そして僕は決意したんだ。僕は彼ほど世界に絶望してなんていなかったから。だから証明しようって思ったんだ。良い人は報われるって。この僕自身の手で」

「……は?」


 梨乃香からすれば彼が何を言っているかまるで分からない。

 だが日々輝はそんなこと気にも留めていなかった。


「電車とかでお年寄りに席を譲ったり、町内の美化活動に精を出したり、部活のみんなのために雑用を進んで行ったり、全部、全部、証明するためだったんだ!」

「え、な、何? 何です? 何ですか?」


 日々輝は強く梨乃香の手を握った、

 それも両手で、目を輝かせながら。


「好きです! 付き合ってください!」

「……………………………………は?」


 完全に硬直した梨乃香とは一方的に、日々輝は嬉々として立ち上がる。


「僕は今この時のために『良い人』になったんだ! 今まで一度だって『良い事』をして褒められたことなんてなかったんだ! そう! 僕は君と出会うために生まれて来たってことさ!」

「……あの」

「何だい!?」

「お断りします」


     *


現在 人海町 大体だいたいどお


 聖崎日々輝は、己の住む町を往来していた。

 全てはただ、『良い事』をするタイミングを待つためだけに。


「……と、そんな感じだったかな」


 彼の話し相手は──人間ではなかった。



『……その流れで一体何故恋仲になれたのだ?』



 彫刻そのものであるような頭部を持つ、ダルマティカを着た巨大な体。

 目立つ外見でありながら一般人が見向きもしないのは、彼の姿が見えていないから。

 この男は人間ではなかったのだ。


「二日に一回のペースで告白を続けた。そうしたら、とうとう一ヶ月後に僕の想いが春原さんに通じたんだよね」

『押し切られただけだろう』

「押し切ったのさ!」


 どこかの誰かのように自分の意志をまっすぐに伝える彼は、偶然にも梨乃香の好みであったりした。

 もっとも、実際に付き合ってからは、『一輝の死』が原因で甚く落ち込んだ梨乃香との関係は、あまり発展できずにいたのだが。


「あぁ! 見なよテラス! おばあさんが荷物を抱えて大変そうだ! 手伝ってくる!」

『……』


 これは、彼の日常的行いの一つ。


「あぁ! 見なよテラス! ゴミが転がってる! マイゴミ袋を使わないと!」

『いつも持ち歩いているのか……』


 日々輝は常に携帯用ゴミ袋を複数持ち運んでいる。


「あぁ! 見なよテラス! 自転車が風で倒れてる! でもここって駐輪禁止エリアだ! ここは持ち主が現れるまで待って注意しないと!」

『本気か……?』


 そして、彼はこの場で三時間立ち尽くすことになる。


     *


『結局開き直って非難されただけだったな』

「まあ……そういうこともある……」

『だいぶ落ち込んでいるようだが?』

「普通に悔しくてさ。僕……もしかして間違えたのかな? 『余計なお世話』って言われたし。僕は……『良い人』じゃなかった?」

『……私は秩序の神。良し悪しを秤に掛ける存在。私からすれば……お前のやっていることは、間違いなく【良い事】ではある』

「そっか……ならば傷付くことはない! これからも頑張っていこうじゃないか! なあテラス!」

『……切り替えの早い男だ』


 時は休日の午前中。

 公道は車の音でうるさくなり始め。人通りは段々と増え始めている。

 そんな中、日々輝は『良い事』をするタイミングを待つだけでなく、もう一つの理由で『その時』を待っていた。


「……で。そろそろかい? 彼らがやって来るのはさ」

「ああ。いや……もう来ている」

「そうかいそうかい! 楽しみだね! 僕も……『良い事』が出来ることを願うとするよ!」

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