一章エピローグ 「友達の誼」

暗い路地裏


 誰にも気付かれず、当たり前のように時の神アイオンはこの場に現れた。


「ヘイユー。こんばんはだよ」

「……」


 以前この場所で会話した相手に、アイオンは再び挨拶してみせた。


「ハウワズイット? バレなかったかい?」


 声を掛けられたのは女性だった。

 それも、青い髪に水色の光翼、水滴のような形の光輪をした──学生の天使。


「……」

「フフフ……プレジャー、プレジャー。イッキ君は鈍感そうな見た目だしねぇ。入れ替わっても気付かないわけだ。それで……ユーは何を確認したのかな?」

「……」

「ハハハハハハハハン! 申し訳ないけどボクには分かってんだよね。ユーは祭壇の在処を確かめにいったんだ。まさかとは思うけど、その為だけに候補生になったわけじゃあないよね?」

「……」


 黙ったまま、彼女はアイオンに背を向ける。

 何も言わずに立ち去るのかと思えば、両腕を大きく広げた。


「……フ」


 そして、小さく笑みをこぼし始める。


「フフ……」


 その声は段々と大きくなっていき──


「ハハハハハハハハハ!」


 彼女の高らかな笑い声は、路地裏に響き渡った。

 のっぺらぼうのアイオンはそれに釣られて自身も笑みをこぼす。

 彼が何も言わずとも、彼女はひとりでに語り出した。


「ええ……。ええ、そう。そう思う? でも違う。だって学園生活は楽しいもの。あの子と入れ替わってもだぁれも気付かないし、ホントに神様でも目指そうかな?」

「おやおや面白いことを言う。まあ最初に言ったのはボクだけど。今から神を目指すだなんて……フフフフフ! 馬鹿馬鹿しいことこの上ないなぁ!」


 彼女はそのまま路地裏の闇の中へと消えていく。

 アイオンはまだ笑みを絶やさない。もっとも顔面には出ていないが。


「フフ……フフフフ! シーユーゴッディス! バイバイバイ!」


     *


神嗣学園 第三キャンパス裏口前


 仮に学園内で暴れ回っても、バレなければ何の問題も無く日常は送られる。

 図書館は謎の落雷を受けたとして処理され、改修工事の間利用は禁止されることになった。

 ロストは誰にも責められることなくいつもの日々に戻されたため、罪悪感を晴らす方法を見失っていた。


「ロストさん」

「!?」


 裏口前でしゃがみ込んでいた彼女に話しかける男が一人。

 円盤型の光輪と光翼を持つ男、シドだ。


「少しいいかな」

「……い、嫌です」

「え、そ、そんな……。ちょっとだけだからさ」

「ぐぅ……」


 嫌がるロストの隣にシドは座り込んだ。


「……ごめんね」

「……」

「裏切る形になっちゃってさ」

「……別に……もういい」

「よくはないよ。二年と三年の先輩に協力を頼みに行ったのは僕だし、途中までは……君に協力していたんだから」

「……」

「ま、まあ結局裏切って縛られちゃったわけだけど」

「……ど、どうして裏切ったの? ああ貴方も最初は神気を分けてくれるって言ってたのに……。最後になって『やっぱり駄目だ』なんて言い出して……」

「はは……結局無理やり吸い出されたってわけだ。先輩たちと同じように、数日掛けて」


 儀式に必要な分の神気の量は半端ではなく、吸い取っては休憩させて回復を待ち、また吸い取るという作業を繰り返し何度か行わなくてはならない。

 行方不明事件は初めから、本人たちが自ら姿を隠していただけのことだったのだ。


「……どうして……」

「……」


 シドはやはり申し訳なさそうに目を伏せる。

 地下で縛られていたところをイッキたちに見つけられた時と変わらない表情だ。


「僕は……君が僕と同じだと思って力を貸したくなったんだ。僕と同じで……何が何でも神様になりたいと思っている、家族らにプレッシャーを背負わされた天使だって。けど……実はずっと気付いてたんだ。復活の儀式は成功確率の高い代物じゃない。もしかしたら……ロストさんの体が原初の魔神に乗っ取られるんじゃないかって」

「べ、別に私は……それでも良かったのに」

「僕は良くなかったんだ。といっても、途中まではそうは思ってなかったんだけども」

「どどどういう……」

「……友達の誼かな。浮かんだんだ。もしロストさんの身に何かあったら……イッキ君はどんな反応をするだろうって。それで少し考えて……君を止めることにした。結局は逆に僕の考えを察知されて、君に縛られちゃったけどね」

「……イッキ君の……」

「ごめんね。最後まで協力してあげられなくて。でも……僕のこと『友達』って言ってくれたのはイッキ君が初めてだったんだ。彼が悲しむようなことには……なってほしくないんだ」

「そんなの……」


 シドは立ち上がった。

 ロストは顔を上げるだけでそんな彼を追いかけようとはしない。

 しかし止めたくはなっていた。彼女からしても、シドは自分と同じ様に見えていたからだ。


(そんなのは……私も同じ……!)

(私だって……誰かに『友達』と呼ばれたのは……初めてだった……!)


「よ! 二人とも何やってんだ?」


 シドがその場から立ち去ろうとしたその時、イッキがいつもの笑顔で現れた。


「イッキ君?」

「いいイッキ君……」

「どこ行ってたと思ったら……もう授業始まるぜ!」

「……」

「……」


 三人はまだ、出会ってから一ヶ月も経っていない。

 生まれて初めて友情をこれでもかと向けてくる一人の男に対して、ロストとシドはまだどのような反応をすればいいか分からない。

 気恥ずかしい『友達』という単語の意味を、彼らはよく理解できていない。


 予鈴の鐘も鳴って、イッキに連れられて二人は教室に戻っていく。

 基本的におおらかな天使の性格故か、先日の一件のことなど誰一人何も気にしていない。

 何かが大きく変わったわけではないが、鐘の音と共に彼らの中で何かが始まろうとしていた。

 それが何かまでは──まだ誰にも分からない。


     *


半日後 ルイの家


 キッチンではイッキが料理を作っている。

 電気コンロの上でフライパンを躍らせ、スカイ野菜を炒めながら背後の食卓に座るルイと話をしていた。


「図書館改修工事だって」

「へぇー、大変だなぁ。でも悪いのはあのサタンとかいう奴だからな。ロストの所為じゃない」

「どうでもいいけど、イッキが先生たちに誤魔化したの?」

「うん」

「疑われなかった?」

「まあ時間かけて説得したら聞き入れてくれたよ」

「押し切られただけじゃ……」

「押し切ってやったのさ!」

「……」


 嬉しそうに語るイッキとは裏腹に、ルイは不満げに眉をひそめた。


「……どうしてそこまでしてあげるの? 悪い所は悪いって言ってあげるべき。ロストは反省してるみたいだけど……多少の処分は甘んじて受け入れるべきだと思う」

「らしくねぇこと言うなぁルイ。反省してるならまあいいだろ? アイツも性根は悪い奴じゃないんだから」

「……違う。イッキは自分のために庇っただけ。目立つカッコして入学式から注目集めて、クソ真面目なレオの反感をわざと買って、シドやフルティを始めクラスメイトと無理にでも関係を築いて、今度はロストに恩を売った。全部全部自分に対する周りのインテレストを高めるために……。違う?」


 そこまで聞いてイッキは唐突に手を止めた。

 表情からも若干笑顔が失われつつある。いやむしろ、別の意味の笑みに変わりつつあった。


「……だかららしくねぇこと言うなってルイ。インテレ……何だっけ? いや、インテリ? よく分かんねぇけど……俺は俺のやりたいようにやってるだけだぜ?」

「そう?」

「ああ! だってさ! 最高神になるには他の神と違って、人間だけじゃなくて神々からの信仰も必要ってディノに聞いたからさ! じゃあ今のうちに出来るだけ神候補の天使と仲良くなっておくべきじゃん? みんながもし神様になったら、みんなの分の信仰というか信頼の力で、俺も最高神になることが出来る! レオにはああ言ったけど……俺はちゃんと最高神を目指してるんだよ」

「レオには嫌われちゃったけど?」

「無関心よりはだいぶマシさ。嫌われることから始まる友情って奴だ! フルティともシドともロストとも、これからもっともっと仲良くならないとだな! 俺が最高神になるために!」


 イッキは純粋な目で拳を握り締めた。

 実は、イッキが本気で神を目指す気でいたという事実を知るのは、ルイにとってもこれが初めて。

 ほんの少しだが、彼女も今のイッキの言葉には驚いていた。


「……イッキが本気で最高神になる気だとは思わなかった。私と一緒に学園行きたいから入試受けたのかとばかり」

「どんだけ寂しがり屋だよ俺は……。とにかくこうして人間から天使になった以上、俺は天使としてそれなりの将来を考えて生きてんのさ」

「だからみんなと仲良くしたいんだ」

「いやいや! それだけじゃないからな!? ちゃんとみんなとは本気で友達になろうと思ってるし!」

「……」

「ホントだから!」

「……そ」


 安心したような呆れたような目で、ルイは料理を再開したイッキの背を見つめる。

 別に彼は隠し事をしていたわけではないが、本意を知ってもルイの知る彼の人格はそう変わっていない。

 何かに対して真っ直ぐで、どこまでも自然体な人物であることに変わりはないのだ。


「目標は友達千人だな!」

「ガンバ」


 ただ一つだけ、彼に対して不安があるというのならばそれは──


「思ったんだけどさ、今回みたいな感じで何かしらの事件で恩を売れたら、どんな奴でも仲良くしてもらえそうじゃね? 何か適当に事件起こすか! 何とかなるって奴だ!」

「ならないと思う」


 ────善悪の境界線が、彼には少しだけ見えていないということだ。

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