3話 「43241」 ①
のちに『イッキ』という名の天使になる彼は、人並みの青春を謳歌していた。
光輪も光翼も無く、当然最高神から与えられた力なども無い。
平均的な十代の人間程度の存在として、日々を消化していたのだ。
「……はぁ……」
溜息を吐きながら、学校の教室で自分の机に顔を伏せる。
彼は今傷心中だった。
「一輝!」
そんな彼に話しかけるのは、茶髪でポニーテールの少女。
一輝は呼びかけに応じて気だるげに顔を上げる。その目は赤くなっていた。
「……何だよ。
「あのさ! 実は大事な話があるんだけど……」
「何ッ!?」
飛び上がるようにして立ち上がる。落ち込んでいたのが嘘のように。
「いやさ……放課後ひま?」
「暇だぜ!」
「えっと……一組に一輝のこと気になってる子がいて……」
「……」
再び一輝は落ち込み出した。肩を竦めてそのまま流れるように席に着く。
だが梨乃香と呼ばれた少女は、彼が今の自分の発言で気を落としたことを理解していない。
「放課後、五時半ごろに南側の昇降口に来てほしいって」
「……分かったよ」
「ホントに分かった?」
「分かったっての! もういいだろ!」
「な、何怒ってんの……?」
「怒ってねぇ!」
「何なのよもう……」
梨乃香は不機嫌気味に傍を離れる。
声を荒らげた一輝の方はその彼女の後ろ姿を見て罪悪感を抱いたのか、目を下に向けてしまった。
実はこの梨乃香という少女、一輝の意中の女子だったりする。
好意を持っていた相手に、逆に自分に好意を持つ人間を紹介されれば気を落とすのも当然。
だがそれでも、一輝は彼女の頼みを律儀に守ろうとする。
諦観を滲み出しながら無為に放課後を待つのだった。
*
人海高校 昇降口
一輝は言われた通り昇降口にやって来た。
人通りは無く、分かりやすくその場に座り込んで項垂れても、気恥ずかしさはない。
「はぁ……。俺もいい加減吹っ切れないとだよなぁ……」
もちろん独り言を呟いても聞く者はいない。
「梨乃香にはもう彼氏が出来た。俺ももう諦めて前を見ないと……」
一輝はつい昨日、梨乃香本人から嬉しそうに彼氏が出来たという話を聞かされた。
その所為でずっと落ち込んでいたのだが、確かに彼の言う通り吹っ切れる必要はある。
しかし、そう簡単に割り切れる話でもない。
「……でもなぁ……。俺がもう少し早く動けたらなぁ……」
自分自身の恋路を悩むと、ここに来た目的を忘れそうになる。
彼は気持ちを上げるために、その目的を思い返した。
「駄目だ駄目だ! 俺のこと気になってるって人と会うのに何考えてんだ俺は! 不純じゃねぇか! 真面目になれ! 燃城一輝!」
恥ずかしげもなく鼓舞できるのは、やはり周りに誰もいないから。
そろそろ彼もそのひと気の無さを気にし始める。
「……しかし誰も来ないな。来る気配もねぇ。もうすぐ五時半……だよな? ……でもまあ、そのうち来るよな! 何とかなるって奴だ!」
ポジティブなことを口に出して言うのは、やせ我慢をしているからだろう。
確かに彼は胸騒ぎを覚えていた。
*
数刻後
「誰も来ねぇじゃねぇか!」
外は真っ暗になっていて、ひと気どころか光も無い。
孤独を感じ始めると、ようやく一人、昇降口の外から現れた──
「君、もう閉門時間だよ」
「あ、すみません」
守衛だった。
この時間になったら文句の一つも言えずにもう帰宅するしかない。
一輝は縮こまってへこへこと学校をあとにするのだった。
*
翌日 人海高校 二年三組教室
昨日以上に落ち込んだ様子で、一輝は机に突っ伏していた。
そんな彼に近付くのはやはり梨乃香。
「ちょっと一輝」
「……何……?」
一輝の方も彼女には用があった。
自分に話がある人間がいるなどと言っといて、結局その人物は現れなかったのだ。
多少不機嫌になるのも仕方ないし、せめてどういうことか説明してほしかった。
だが、顔を上げた一輝は妙なことに気付く。
どういうわけか、梨乃香の方も少し不機嫌な表情を浮かべていたのだ。
「どういうこと?」
「? 何が?」
「何で昨日あの子に会ってあげなかったの?」
「……………………は?」
クエスチョンマークが頭の上でタップダンスを踊る。
今彼女が言い放った質問は、むしろ一輝の方がしたかったものだ。
頭の回転が悪い一輝は言い返すことすら出来ない。
「あの子ずっと待ってたって言ってたよ? どうして……一輝はそんな奴じゃないって思ってたのに……」
「『ずっと待ってた』? それは俺の方じゃ……」
「酷いよ。断るにしてもさ、せめて相手の気持ちくらい聞いてからで良くない? まるで逃げたみたいじゃん」
「逃げたっていうか……俺は迎撃態勢だったんだけど……」
「……もういいよ。私が口出し過ぎてもアレだし。でも……ちょっと見損なった」
「……!?」
あんぐりと口を開く一輝を置いて、梨乃香は自分の席の方に戻っていった。
これまで二人はそれなりの関係を築いていたので、口で言うほど彼女自身は気にしていない。
ただ、彼女は何となく一輝がずっと落ち込んでいたのを気付いていたので、これを機に彼の調子を戻したかったのだ。
理由も聞かず立ち去るのは既に一輝の心中を察して許しているからで、同時に毒を吐いたのは思い通りにいかなかったことにもどかしさを覚えたからだ。
いずれにしろ、混乱中の一輝は梨乃香のことを考える余裕が無い。
「ど……どういうことだ……?」
*
人海高校 二年一組教室
自分のことを気になっている人物が誰か分かったわけではない。
しかし、一輝はこの一組の教室に足を運ばずにはいられなかった。
この教室の中に件の人物がいるはずで、一輝は何よりも今すぐに混迷とした脳内を整理したかった。
「あの! 昨日俺に話があるって言ってた人だれ!?」
そんな大声を出しながら他所のクラスに顔を出す。
何も知らない人々は一瞬その声に振り向くが、自分に関係無いと分かると途端にそれまでの行動に戻る。
振り向いたまま戻らない人物こそが件の人物だと、一輝は一瞬で判断した。
そしてその女子に近付いていく。
「ちょ、ちょっとアンタ」
その女子と一緒に話をしていたらしい別の女子たちが止めに入るが、止める理由が無いので声に力は無い。
「お前か?」
その女子は花柄のカチューシャが目立つ黒の長髪で、どこか遠くを見ているような光の無い目をしていた。
少しだけ驚いているようだが、一輝の言葉はしっかり聞いている。
「……一輝君。昨日はどうして来てくれなかったの?」
責めるような言い方ではなく、本当にただ純粋に問い掛けるような言い方だ。
「……なるほど……」
ここに来るまでに一輝は少し冷静さを取り戻していた。
もちろん混乱と同居しながらだが、状況分析は何とか出来た。
目の前の少女こそが梨乃香の言っていた人物であり、彼女は確かに自分と出会わなかったと主張している。
それが意味するのは……やはり分からない。
「あの……俺、確かに昇降口の前で待ってたんだけど……」
「……嘘。何人かは通ったけど、全員確かめた。一輝君は来てないよ」
「……『何人かは通った』?」
一輝の記憶が正しければ、昨日は五時半以降一人も昇降口を通らなかった。
そもそも南側の昇降口を生徒が利用することはあまりない。
そこで一輝は一つの可能性を思い浮かべる。
「……もしかして一輝君、北側の昇降口に行ってたの?」
その可能性を、先に彼女の方から口にされた。
「いや、むしろそっちの方が北側に行ってたんじゃ……」
彼女は首を横に振る。
「間違いないよ。私は南側にいた。こっちの子が証人」
先程まで話をしていた女子の一人に手の平を向ける。
彼女は待ち合わせ場所に友人を呼んでいて、傍で見守ってもらおうと考えていたのだ。
友人の女子が軽く頷くと、もう一輝の頭はショートするしかない。
だが、真っ白になったことで逆に今すべき行動を判断出来た。
だからこそ彼は──
「ごめん!」
「え?」
「どうやら俺が間違えたみたいだ。いやぁまさか北と南を間違えるなんてな! ハハハハ!」
「一輝君……?」
「……ホントにごめんな! だからまた今度……いや、そっちが良ければなんだけど……。良かったらその……俺にしようとしていた話を、また今度聞かせてもらえないか? 今度は待ち合わせ場所間違えないから!」
「……うん」
彼女は穏やかに微笑んだ。初めから彼女は、一輝が何らかの理由があって待ち合わせ場所に来なかったのだと信じていたのだ。
その笑みに安堵すると、一輝はそのまま言葉の調子に合わせた勢いで教室を出る。
一輝の後ろ姿を確認しながら、件の少女の友人は尋ねた。
「良かったの?」
「……大丈夫。一輝君と私は、いずれ必ず一緒になれる運命にあるから」
「……」
突然意味の分からないことを言われて、友人は唖然とするしかない。
光を失った少女の目が見つめる先は、やはり遠すぎて友人にも共感してもらえなかった。
*
燃城家
家に帰ってきた一輝は、そのまま自分のベッドにダイブした。
そして、拳を柔らかい毛布に叩きつける。
「……間違えるわけねぇだろ。北と南をよぉ……」
学校で述べたのはただの方便。
一輝は確かに自分が南側の昇降口に向かったことを記憶している。
だが、件の少女の態度に嘘は無いし、まさか友人と共に勘違いしているとも思えない。
つまり一輝と彼女は二人とも確かに南側の昇降口に行ったはずで、それでも何故か出会わなかったということだ。
「……どうなってんだ……? 俺、おかしくなったのか……?」
一輝は取り敢えず頭を整理して、何とか一連の不可思議な出来事を理解しようとする。
(……俺が南側の昇降口に来たのは五時半より少し前。彼女はその時にはいなかった)
(俺はそれから先誰かが来たのを一度も見てねぇけど……彼女は人が通ったことを確認してる)
(でもだからといって彼女が北側に向かったとは考えにくいよな……。友達も一緒だったんだから)
(……そもそも、どうして俺は昇降口を通った人間を一人も確認しなかったんだ?)
「一輝ー。ご飯よー」
頭を抱えていると、リビングの方から母親の声が聞こえてきた。
一輝は驚いて跳ね起きる。
「……は? 俺今帰ってきたばっかなんだけど……」
時刻はまだ四時過ぎのはずで、夕食にはいくらなんでも早すぎる。
一輝は自身のケータイで時刻を確認した。
「……あれ? もう……七時?」
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