2話 「神嗣学園」

神嗣しんし学園 第一大講堂


 ここは神嗣学園。

 一言で言えば天使の通う学園。

 天使たちはある一つの目的のためにこの学園に通い、そして卒業を目指して学業に励む。

 入学式はこの学園で最も広い第一講堂で行われる形で、生徒となる天使たちは今も座席に規則正しく座っている。

 そんな彼らを前にして話すのはこの学園の副学園長で、スキンヘッドの男。

 光翼と光輪はどちらも紫色で形もシンプルだ。


「未来ある候補生天使の皆さん! まずは入学おめでとうございます! ここにいる皆さんの中から将来の新たな『神』が誕生するかもしれません! 是非とも努力を惜しむことなく、またそれでいて有意義な学園生活をお送り下さ…………!?」


 副学園長が言葉を詰まらせたのは、とんでもない見た目の新入生が目に入ったからだ。

 千五百人収容可能な講堂だが、今年の新入生は四百六十三人。

 丁度講堂の一階を埋め尽くすのが新入生で、他の階には来賓が座っているだけ。

 一階の一番後ろの席にいる『その新入生』が副学園長の目に入るのも仕方がなかった。


「長いなぁ話。な、ルイ」

「静かに。シー」


 イッキはまだ特攻服を着ていて、頭にハチマキ、おまけにのぼり旗を背負っている。

 果たして座りづらくないのかなどは聞くまでもないだろう。

 彼の姿を見て副学園長は冷や汗を垂らす。


(な、何だあの新入生は……。いや待て、あの星形の光輪は……まさか! あの少年があの『最高神の候補生』!? な、なんてアバンギャルドなんだ……)


 イッキの知らない間に、彼は副学園長から強く警戒を向けられることになった。

 いや、警戒していないのは隣に座るルイだけ。

 皆彼を完全にイカレたヤバい奴だと思っている。


「……と、とにかく天使の役割というのは今の時代多岐にわたっています! 神を目指すのも一つ! 人間を導くのも一つ! この天界で様々な職種に就いて、他の天使や自分のために生きるのも一つです! 未来は皆さんの自由に想像できるのです!」


 イッキの姿を見て動揺した副学園長だったが、それでも持ち前の経験をもとに落ち着きを降り戻す。

 ただ、彼の希望に満ちた演説を真面目に聞いている新入生はそこまで多くはない。

 もちろんウンウンと頷いている者もいるが、話など聞かずに眠っている者や、苛立って舌打ちする者もいた。

 ちなみにイッキは真面目に聞いているが、彼の所為で真面目に聞けない者が大勢生み出されていることに、彼自身全く気付かずにいた。


     *


神嗣学園 大通り


 入学式を無難に終えたイッキは、早くも帰路についていた。

 ルイと共に歩くのは、結局誰にも声を掛けられなかったからだ。

 彼はもう特攻服を脱いでいる。

 入学式後に若干怒られた彼は、今は学園指定の制服を着ている。

 下界の人間が来ているようなブレザーの下に黄色のパーカーを重ねていて、どこからどう見ても一般的な男子高校生にしか見えない。

 ちなみにルイも彼と同じ様に制服の下にパーカーを着ている。


「うーん……なんか友達増えなかったな……」

「そうだね」


 イッキは腕を組み、その理由を必死に考えようと頭に力を入れる。


「もしかして、天使の流行りに合わせた方が良いかな?」

「うん」

「今何が流行ってんだ?」

「ブルーボール」

「あん? 何それ?」

「スポーツ。競技として以上に気軽に出来る運動として人気になってる」

「どんなスポーツなんだ?」

「……簡単に言うと、空飛びながらやるサッカー」

「ああ、サッカーね」


 イッキはまた少し思案を始める。

 この流行りのスポーツをどのように利用して友達を増やすか、彼は色々な方法を模索した。

 まずはやはりスポーツクラブ的なものに入るという方法だろうか。

 イッキはこの学園にクラブ活動などが無いかルイに聞こうとする。

 しかし──


「オイッ! 待ちやがれ!」


 背後から、男天使の集団が現れる。

 彼らはすぐにイッキとルイを囲み、一人の頬にツタのような入れ墨をした男が口を開く。


「おいてめぇ……」


 入れ墨男は赤紫色の髪をしていて、光輪はギザギザで、光翼と同じく燃え上がるような紅色だ。


「何だ何だ!? なぁルイ! 俺ようやく声掛けられたよ! コイツらが俺の最初の男友達になるんじゃねぇの!?」

「良かったね」


 二人は入れ墨男を無視してどこか舞い上がっている。

 当然彼らが二人を囲んだのはそんなポジティブな理由からではない。


「てめぇ! 無視してんじゃねぇぞ……!」

「あ、ああ悪い悪い。取り敢えず自己紹介しよう。俺は──」

「……知ってる。『最高神の候補生』。名前はイッキ……だろ?」

「おお! マジで!? 知ってくれてサンキューな! そんでそっちは?」

「……炎神の候補生。レオンハートだ」

「よろしくな! レオ!」

「……」


 気安く省略して呼ぶイッキに対して、レオは厳しく睨み付けた。


「あ……もしかしてその呼び方嫌?」

「……てめぇ。ふざけてんじゃねぇぞ!」

「え?」


 レオは大きく声を荒らげ始める。


「俺はてめぇみてぇな自分の立場を分かってねぇ奴が大ッ嫌いなんだよ! ここがどこだか分かってんのか!? ああッ!?」

「えっと……神嗣学園……だろ? 天使の学校だ」

「神候補の天使が通う学園だ! ここにはなぁ! 神になるために天界中から数多くの天使が集まってんだ!」

「そ、そう……」

「神の候補生は神々の神託を受けた者だけがなれる立場だ! 炎神の神託を受けた俺は炎神にしかなれない。なのにてめぇは……どうしててめぇは最高神から神託を得られた!?」

「そ、そんなこと急に俺に言われても……」

「てめぇみてぇなふざけた奴が最高神になれるはずがねぇ! なのに……どうしててめぇが神託を受けたんだ!? 最高神になれる天使なんざ……千年に一人いるかどうかって話なんだぞ!?」

「ふむ、解説どうも」

「馬鹿にしてんのか!? ああッ!?」


 イッキは知らないのだが、レオはイッキがあの馬鹿げた格好で入学式に臨んでいたところを見ていた。

 将来を真面目に考えているレオは、とにかくイッキのことが気に入らなかったのだ。


「イッキ。なんかみんな怒ってるみたい」


 ようやくルイが周囲の男天使の感情を読み取れた。


「えぇ!? 何でだよ!?」

「てめぇが俺らを馬鹿にしてるからだろうがよ! ふざけた格好で神聖な神嗣学園の門を通りやがって! 今はもう別の格好してるみたいだがな!」

「いや、なんか先生に怒られたからさぁ」

「当たりめぇだろうが!」


 イッキは少しだけシュンとしてしまった。

 大体自分が責められている理由が分かったからだ。


「……イッキは何も悪いことしてない。だから取り囲むのは止めて」


 ルイは淡々と冷たい口調でそう言った。

 その言い方の所為か、レオはますます気を悪くしていく。


「……指定の制服以外の着用は禁止なんだが?」

「……」


 論破された。


「……まあ、それ以前に俺らはてめぇが気に入らないんだよ。てめぇが最高神の神託を得たってことは……最高神の力の一部を使えるってことだ。聞いたこともねぇてめぇみたいな無名の奴が、何の努力もしてこなかったくせに何故か突然最高神の神託を得た。許せるわけがねぇだろ?」

「……何の努力も……か。まあそうだな」

「分かったら今すぐこの学園から出ていけ! てめぇみてぇなやる気のねぇ奴はいらねぇんだよ!」

「ま、まあまあ。仲よくしようぜ? 俺はここに友達をたくさん作りに来たんだ」

「ふざけんな! この学園は神候補が神を目指すためにある学園なんだよ!」

「えぇ……式で副学園長が言ってたことと違うじゃん……」


 何を隠そう、先程副学園長の演説に舌打ちをしたのはこのレオだった。

 彼と彼の取り巻き数人は、少しだけ偏った考え方を持ってこの学園に入学してきていた。


「フン! 仕方ねぇ……分からねぇってのなら……お前ら! やっちまえ!」

「おうよ! レオさん!」

「行くぜコラァ!」


 レオの掛け声に応じて男天使たちがイッキに向かっていく。

 普通にいじめの現場だ。


「ま、ままま待ってよ!」

「問答無用!」


 バッシャァァァァァ


「うおおおおお!?」


 その時、向かってきた男たちはどこからか出てきた水流に呑まれて足元を崩す。

 水流の出所は──ルイの右手だった。


「てめぇ……!」

「私は水神の候補生……。これくらいなら出来るけど」


 レオたちが敵意を向けていたのはイッキだけだったが、ここでルイにも敵認定を与えることになる。


 レオは怒りのままに右腕を掲げる。


「ふざけた奴らだ……燃やしてやるよ!」


 掲げた右腕から火が噴き出てくる。

 レオは炎を纏ってそれを解き放とうとした。


「いやいや待てって! 落ち着けよ! 何も喧嘩することないだろ!? なあ仲良くしようぜ!? なぁ!?」

「うるせぇ! 食らえよ炎神から託されたこの炎をよぉ!」


 レオは右腕を払い、炎を放った。

 相対するのはイッキではなくルイだ。

 彼女は先程他の男たちを流したのよりも高威力の水流を炎に向かって放つ。


「……ッ! 女! 余計な真似すんじゃねぇよ!」

「余計なのは貴方の方」

「この野郎!」


 もう完全に話し合いの出来る状況ではないが、それでもまだイッキはレオを宥めようとする。


「な? 一旦落ち着こうぜ。意味無いだろこんなことしたってさぁ」

「ムカつくんだよ! てめぇみてぇな冷やかしが何よりも一番なぁ!」


 炎を再び放つと見せかけて、レオはそのまま素手でイッキに殴りかかった。

 ルイは反応が遅れたために割って入ることが出来ず、イッキは見事に吹き飛ばされた。


「イッキ!」


 倒れたイッキは、スッと左手を上げた。

 無事を意味するジェスチャーだ。


「……だ、大丈夫。ハハ……い、いてぇなぁ。まったく……」


 ヘラヘラしながらなんとかイッキは立ち上がった。


「てめぇ……まだ懲りねぇのか……」

「そりゃこっちの台詞……。もういいだろ? 仲良くしようぜ!」

「……!?」


 鼻から血を流し、殴られた箇所が赤くなりながらも、イッキは笑顔を見せる。

 レオはそのことが不気味で仕方なかった。


「何なんだてめぇは……」

「もう馬鹿なこと止めたら?」


 ルイのその言葉を聞いて、レオは怒りの矛先を彼女に向ける。


「うるせぇ! まずはてめぇから燃やしてやるよ!」


 そして、ルイに対して炎を向けた。

 ルイは当然自身の体から出す水で対応しようとするが──


「ぐあああああああああああ」

「!?」


 ルイに届く前に、イッキは炎に自ら当たりにいった。

 天使である彼らの肉体構造は人間とは違うが、それでも炎を浴びたらそれなりのダメージになる。

 だが、彼は全身から煙を発しながらもその場に立ち続けた。


「て、てめぇ……」


 流石のレオも今のイッキの行動には驚きを隠せない。

 レオ自身、自分の炎がルイの水で相殺されると予想していたのだ。

 イッキが助けに入る意味など、全く無かったのだ。


「な……仲良く……しようぜ……」

「……!」


 レオは思わず後退った。

 まだ笑顔を向けてくるイッキに対し、何か根源的な恐怖を抱いたのだ。

 戦意を失いかけたレオとは裏腹に、先程ルイに流された男たちはむしろ立ち上がって咆哮を上げる。


「やってくれたなこの野郎が!」

「ぶっ飛ばしてやる!」


 瞬間、レオの頭に嫌な予感がよぎる。


「!? ま、待てお前ら!」


 だが彼らは既に自分たちの邪魔をしたルイに向かっている。


「む」


 流石のルイもこの数で一斉に向かってこられたら厳しいところがある。

 構えることすら無意味に思ったその時──


「……チッ」


 微かに先程まで笑顔だった男の舌打ちが彼らの耳に届く。

 そしてほんの一瞬ののち──男たちはその場に皆倒れていた。


     *


神嗣学園 保健センター


 レオが目を覚ますと、そこは学園に設置されている保健センターのベッドの上だった。

 朧げになりながら、彼は自分が先程まで何をしていたのかを思い出す。


「起きましたか?」


 そう彼に尋ねたのは、入学式で演説を披露したスキンヘッドの副学園長。


「アンタは……」


 レオは彼の話の途中で舌打ちをしてしまっていたので、あまり目を合わせたくはない。


「入学して早々問題行動とは、困りましたね……」

「……フン」

「しかし安心してください。何とか内々に済ませることが出来ましたので。レオンハート君、君らが口外しなければ問題にはなりません」

「普通に隠蔽じゃねぇか……」

「ですがこれで分かったでしょう? 炎神の候補生レオンハート君。君はとても優秀な人材です。しかし……『彼』に噛みつくべきではないと」

「……アイツはどうした?」

「今気を失わせた他の生徒たちに謝って回っていますよ。君の下にも来るはず……」


 言い終わるや否や、その本人は現れた。

 イッキは、勢いよく扉を開けて中に入って来る。


「ごめん! 大丈夫だったか!?」

「てめぇ……」

「ホントそんなつもりなかったんだけど……け、怪我はもう大丈夫か?」


 そう言うイッキの方は、もうレオから受けたはずの怪我を完治させていた。

 レオはそもそも自分の身に何が起きたかまだよく理解していないので、答えることなど出来なかった。


「何なんだよてめぇは。まさか本気でこの学園に馴れ合いをしに来たってのか?」

「そうだけど……」

「……」


 レオは半目になって呆れ返った。


「これからも俺と仲良くしてくれる?」

「『も』って何だ。一度も仲良くしたことねぇだろうが。これからも同じだ馬鹿野郎が」

「いやいや漫画とかだと男同士で殴り合ったら和解するって流れだろ!? だから俺達はもう友達だ! なぁレオ!」

「……下らねぇ。失せろよ」

「じゃあまた明日!」

「……」


 明るい言葉を吐きつつも、イッキは少しだけ肩を落として去っていく。

 無理やり友人認定しようとしていたのだが、感触はあまり良くなかった。


「……妙な子ですね」

「同意っすよ。入学式に旗背負って入りやがって……。何で今まで無名だったくせに、あんな奴が最高神の神託を……」


 レオは溜息を吐いた。


「……彼は、ただ唐突に最高神から神託を得たわけではありませんよ」

「何?」

「彼にも色々あったのです。何せ彼は────『元人間』なんですから」


 副学園長は目を細めて自分の知るイッキの背景を改めて思い返す。

 何故人間だった彼が今は天使となって、しかも神候補に選ばれたのか……そこには複雑な理由があったのだ。

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