第19話

「え、オイ……ちょっと待て、何をする!?」


 そのまま俺はなすすべなく、棺桶かんおけのような木箱に放り込まれる。

 続けてシェヴェルは魔法で小川から大きな水球を取り出し、同じように木箱にぶち込んだ。


「魔法で水を出せなくもないが、あるものを使うに越したことはない」


 顔の周りだけに空気の泡ができていたので、呼吸は問題なかった。

 しかも水の温度がちょうどいい湯加減に調整されている。

 先ほど一瞬の間に水を温めたのか。


 すぐに木箱のふたが閉じ、俺の頭と身体が衣服ごと泡と水流で洗われた。

 洗いとすすぎを繰り返した後、俺は木箱から宙に浮いた状態で放り出された。

 今度は強力な熱風が四方八方から俺に浴びせられる。

 先ほどまでびしょれだった俺は、あっという間に服までかわき切った。


「まあ、こんなものだろう。本当は服と別に洗いたい所だが、乙女の私がこの場でお前の身ぐるみをはぐわけにもいくまい」


 驚いた俺は、シェヴェルの方を見やる。

 久々に水浴びが出来たおかげか、かなり気分がさっぱりした。

 ずっと身体中に汗やら血やら泥やらがついたままだったので、当然か。


「いや……これは驚いたな。少々強引だったが、かなり爽快そうかいだ。ありがとう」


 俺の言葉に、シェヴェルは満足げにうなずく。

 続いてシェヴェルはアリスに目をやった。


「次は小娘の番だ。お前は服を脱げ」

「……へ?」


 シェヴェルは有無を言わさず魔法でアリスの服を剥ぎ取る。

 悲鳴を上げるアリス。

 俺は慌てて背を向ける。

 そのままアリスは木箱に突っ込まれて洗われ、同じように魔法で乾かされたようだ。

 シェヴェルはさらに魔法でアリスにパジャマを着せる。


「私の予備だから多少丈が足りんが、まあ問題ないだろう」


 俺は背を向け座ったまま、シェヴェルに尋ねる。


「もうそっちに向き直っていいか」

「待て。最後に私が入る」

「終わったら教えてくれ」

「……のぞくなよ」

「誰が覗くか」


 シェヴェルは自ら木箱に入ると、自身に魔法をかけて体を洗い、同じように髪と体を乾かしてパジャマに着替えたようだ。


「もういいぞ」


 俺が向き直ると、二人とも風呂上がりでさっぱりとしていた。

 三つ編みを解いたシェヴェルの長い髪が、月に照らされて黄金色に輝いている。


 俺は改めて木箱の方に目をやった。


「今まで魔法は攻撃手段としか思っていなかったが、こんな使い方ができるんだな」

元来がんらい、魔法とは生をより豊かにするための技だ」

「そういえばさっき俺を浮かせていたよな。あれ使えば歩かなくて済むんじゃないか?」

「あれは効果の割に魔力消費が激しいのだ。必要な時以外はあまり使いたくない」


 シェヴェルはおもむろにカバンを持ち上げた。


「次は晩飯だな」

「材料はどうするんだ?」

「とりあえず家にあったものは持てるだけ持ってきた」


 シェヴェルはまず河原に転がっていた適当な大きさの石を魔法で組み上げ、即席そくせきのかまどを作った。

 続いてカバンから根菜と干し肉、調味料と調理道具の鍋を取り出すと、あっという間に魔法で具材を適当な大きさに切る。

 鍋に水と具材、調味料を入れて念を込めると、すぐに水が沸騰ふっとうした。

 その後で魔法でかまどに火をつけ、鍋をかける。


 アリスはその無駄のない所作しょさに感動しているようだ。


「すごい……シェヴェル様、今度私にも教えてください!」

「お前の魔力制限が解放されたらな。ちなみに具材と水を先に熱しておくのが、時間短縮のポイントだ」


 おけサイズの木箱でアリスとシェヴェル自身の服を洗いながら、生活の知恵を得意げに披露ひろうした。


 すぐに煮込みは出来上がり、俺たちは鍋を囲んだ。

 シェヴェルが持ち合わせのパンを配る。

 俺はスープを一口啜ひとくちすすり、具を口に入れた。

 ちょうど良い味付けで、肉も野菜も柔らかく口の中でとろけた。

 アリスもスープを飲んで驚いているようだ。


「美味いな……!」

「……すごい、こんなに美味しいの、私、はじめてかもしれません」


 シェヴェルは得意げにうなずいた。


 食事をとり終わると、アリスとシェヴェルはそのままコテージの寝床に入った。

 俺は形ばかりの見張りも兼ねて、コテージの壁にもたれて夜空を見上げる。


 よく晴れた、空気が遠くき通るような月夜だ。

 地平線をみれば、はるか遠くに大陸の『くびれ』を横切る山脈が黒々とそびえている。

 あのふもとのどこかにアリスの生まれ故郷があったのだろうか。


 ふいにコテージの扉が開き、アリスが外に出てきた。

 俺はアリスに目をやる。


「眠れないか?」

「……ごめんなさい。せっかくベッドをゆずってくださったのに」

「いや、そういう意味じゃないんだ。色々あって精神的にも疲れているんだろう」


 アリスは俺の隣に来て、ゆっくりと腰を下ろした。

 間近で見るアリスの横顔は、月明かりに照らされことさら美しく見えた。

 不釣り合いに短いパジャマの丈が少し寒そうに見えたので、俺は上着を脱いでアリスにかけた。


「あ、ありがとうございます」


 アリスは俺の上着をぎゅっと握りしめた。

 俺は何も言わず、アリスと一緒にコテージの壁にもたれて夜空を見上げる。

 満月の横を一筋の流れ星が通り過ぎた。


 夜の静寂しじまの中、アリスが口を開いた。


「お月様、綺麗ですね」

「そうだな。戦場にいた頃は、こうしてゆっくり夜空を見ることもなかった」

「私の故郷は街明かりも少なかったので、晴れた日は館の窓からも星空がよく見えました」


 アリスは遠い目をして言った。


「バルト様」

「何だ」

「私、明日になればようやく魔法が使えます」

「そうだな。やっと一番の問題が解決だ」

「今までご迷惑かけた分、必ず恩返ししますね。でも私——」


 アリスはそこで言葉を切ってふいにはかなげな表情になり、俺を見た。


「私、この先どうすべきか、自分の中でまだ何も答えが出てないんです。もしご迷惑でなければ、もうしばらくバルト様のおそばにいても良いでしょうか」

「迷惑なもんか。むしろ、俺からお願いしたいくらいだ」


 アリスの顔が途端とたんはなやいだ。


「だがシェヴェルとの取引があるだろう。まずはあいつの許可がいるかもな」

「あ!そう言えばそうでしたね。私、今はシェヴェル様の『所有物』でした」


 アリスは笑って俺を見た。

 俺もアリスを笑って見返した。


「そうだ、またお身体の回復、させてもらってもよいですか?一晩寝れば魔力は戻るので、今日の残り分を無駄にしたくなくて」

「そうか、ではお願いしようかな。ありがとう」


 アリスの性格からして、何か役に立つことをやった方が心を落ち着かせやすいかもしれない。せっかくなので、ここはお言葉に甘えて申し出を受けることにした。


 月明かりの下、アリスは少し頬を赤らめているようにも見えた。


「あの……」

「どうした」

「封印魔法のせいで魔力がうまく伝達できないので、もしよろしければ、昨日のように身体を出来るだけ触れ合わせたいのですが……お嫌でないでしょうか……?」

「いや、全く構わないが」


 俺が答えると、アリスはそっと寄り添うように、その柔らかい肌を俺に密着させた。

 石鹸せっけんとアリスの甘い香りがふわりと漂い、俺は思わずどきりとする。


 アリスは目を閉じ、回復魔法に強く意識を集中しているようだった。

 封印魔法のせいか、やはりかなり大変なようだ。

 しばらくすると、触れ合っている部分がうっすらとわずかな光を帯びてきた。


 そのうち俺の体が少しずつ暖かくなる。

 あの何とも言えない心地よさに俺は包まれた。

 体のあちらこちらがいややされている感覚があった。


 程よい気持ちよさの中でしばらくまどろみかけていると、アリスが魔法をかけ終えたのか、光が徐々に弱くなり、やがて消えた。


 だが、なぜかアリスは固まったまま動かない。

 俺はアリスに声をかけようとした。


 その時ふいに、アリスが俺の胸に顔をうずめてきた。

 声を押し殺した小刻みな震えが伝わってくる。


「アリス……?」


 俺はそのまま何も言葉をかけることができなかった。


 アリスの運命は、一人の少女が背負うにはあまりに重すぎたのかもしれない。

 ついこの間まで、侯爵家専属魔道士一族の末裔まつえいとして大切に育てられていたはずだ。

 そこから突然、故郷、家、家族をいっぺんに失いとらわわれの身となった後、見知らぬ土地に奴隷として売り飛ばされる寸前だったのだ。

 短期間にこれほどのことを経験して、心が押しつぶされないはずがない。


 いくさが始まって以来、同じような悲劇はありとあらゆる土地で起こっている。

 たかが目の前の一人を助けたとて、きりがない。


 俺は戦を指揮していた身。

 その資格から最も遠いところにいることは百も承知だ。

 だからこそ戦災者には感情移入しないよう、あえて一定の距離を取ってきた。


 だが——それでも俺は、目の前の少女の幸せを願わずにはいられなかった。


 俺はそっとアリスの肩に手をかけ、その小さな頭を幼子おさなごのようにでた。




 どれくらいそうしていたかわからない。

 やがて、アリスは俺から離れて立ち上がった。

 顔つきを見るに、落ち着きを取り戻したようだ。


「バルト様、ありがとうございます。もう大丈夫です」

「そうか、良かった」

「それじゃあ、おやすみなさい」

「ああ、おやすみ」


 アリスがコテージの扉を開けて中に入る。


 夜の静寂が訪れた。

 再び夜空に流れ星が筋を描く。

 回復魔法の心地良さの余韻よいんで徐々に眠気が訪れ、そのまま俺はゆっくりと眠りについた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る