第20話

 容赦ようしゃなく顔に浴びせかけられた水の冷たさに、思わず俺は飛び起きた。

 寝ぼけまなこを開けると、目の前で仁王立におうだちしているシェヴェルが目に入る。

 着替えも済ませ、すっかり旅支度たびじたくを整えていた。


「いつまで寝ているつもりだ小僧。早く出発の準備をしろ」


 太陽は地平線から顔を出したばかりで、朝日が真横から俺たちを照らしていた。


「……まだ朝っぱらじゃないか」

「昨日、私が言ったことを忘れたのか。次の町まで馬でも半日だ。途中にどんな障害があるかもわからん。ぐずぐずしているとまた日が暮れるぞ」


 俺はまだ頭がえない状態で起き上がる。

 アリスがかけてくれた回復魔法のおかげで体の調子だけは完璧だった。

 ももの傷もほとんどわからなくなり、痛みが消えている。


 コテージの裏に回ると、朝食のパンとスープが準備されていた。

 すでに着替え終わったアリスが、パンをほおばりながら俺を見る。


「おはようございます!」


 アリスの顔を見ると、自信を取り戻したようにキリッとしている。

 俺もパンをもらって一口かじり、スープを平らげた。


 シェヴェルは朝食をとり終わった後、川の水を魔法で大きな袋に詰め込んだ。

 続いてコテージをカバンにしまい、旅支度を整えた。


「では、行くとするか」


 俺たちは街道をひたすら進む。

 昼過ぎあたりには徐々に小麦畑が広がる景色に変わっていき、ぽつりぽつりと民家が見え始めてきた。


 途中で軽めの昼食をとり、俺たちは更に北へと歩を進める。

 道中、不意にシェヴェルが俺に話しかけてきた。


「……妙だな」

「何がだ?」


 シェヴェルは道の前後を改めて見回した。


「私たちがこの街道を進んできてからというもの、行き交う人間をほとんど見ない」


 そういえば、シェヴェルに指摘されるまで意識していなかった。

 

「言われてみれば確かにそうだな。戦のせいで交通量が減っているのかもしれない」

「それにしてもあまりに少なすぎる。交易が止まっているわけでもないし、商人の荷馬車くらい通るだろう。それに次の街は確か公爵直轄領こうしゃくちょっかつりょうで、公国一の規模があったはずだ」


 畑の平地は徐々に姿を変え、起伏の多い岩場に差し掛かった。

 そのうち幅の広い谷のような地形になり、両側に切り立った崖がそびえ立つ。


 戦であれば、地形的には非常に嫌な場所だ。

 両側にそれなりの幅があるものの、上から攻撃されると逃げ場がない。

 俺はいつものくせで常に崖の上に目を配ったが、人影は見えない。

 念のため常に後ろも警戒していたが、刺客しかくが追ってくる気配は感じられなかった。

 これであきらめてくれたのならありがたいが、あそこまでの執念しゅうねん深さを考えるとあまり楽観視らっかんしできなかった。


 しかし、やはり俺の命がここまで執拗しつように狙われている理由がわからない。

 黒幕がハンス王子派の誰かなら、フィリップ王子が暗殺されたことで目的は達成されたはずだ。

 すでに俺も国外追放され、北へ逃げびて何ら脅威きょういにならない。

 わざわざ刺客を何人も放って俺を消す意味は、もはや何も無いはずだ。

 もし単に最初から俺を殺したければ、フィリップ王子と同時に片付ければ事足りた。

 なぜわざわざここまで手間をかけているのだろう。


 無意識に崖の上に目をやりながらそんな考え事をしていたせいで、前を歩くシェヴェルが立ち止まったのに気づかなかった。

 俺はシェヴェルにぶつかる寸前で止まった。


「……まずいな」


 シェヴェルの呟きに、俺はふと顔を上げた。

 アリスも前方を見て震え上がっている。


 眼前に角の生えた巨大なトカゲのような生き物が横たわり、道をふさいでいた。

 前脚からコウモリに似た大きな翼が伸びている。

 寝ているようにも見えるが、薄目を開けてこちらを見ていた。

 全身が光沢のある真っ青なうろこに包まれている。

 俺は地方にも遠征に行ったことがあるが、この類の魔物を見るのは初めてだ。


「なんだ、こいつは……」


 俺は思わずシェヴェルの方へ振り向く。


「この辺りに生息するドラゴンの一種だろう。小型種だが、正式名称は知らん。どうりで北からくる人間を見なかったわけだ」

「こいつ、人を襲うのか」

「襲わないように見えるか」


 薄目を開けたドラゴンの視線は明らかに俺たちを追っている。

 念のため、俺はシェヴェルに尋ねた。


「この道は一本道だよな」

「ああ。この先に大きな谷を越えるためのり橋があって、崖の上からはそこへ行けない。つまり、こいつを倒さなければ先へ進めない」

「道を引き返したところで、最初の町まで戻るだけだしな……」


 アリスの手首を確認したが、まだかせは外れていない。

 俺はシェヴェルに確認した。


「俺たち二人で倒せそうか?俺はハンターじゃないから、このクラスの魔物を狩った経験はないんだが」

「おそらく私一人でも行けるが、お前に手伝ってもらった方が早いな。ヤツのうろこは鉄の装甲のように硬い。通常魔法だとはじかれるから、物理攻撃の方が圧倒的に倒しやすいんだ」

「ヤツの弱点は?」

「正中線と両目を結んだ交点に脳幹がある。そこを剣で一突きすれば終わりだ。正中線上の鱗と頭骨は比較的もろい。垂直に突き刺すか、無理なら力任せに叩きれ」

随分ずいぶんと簡単に言ってくれるな」

「昨日お前の戦いぶりを見ていたが、申し分ないよ。こいつを使え」


 シェヴェルはカバンに手を突っ込むと、大きな長い剣を取り出した。


「……ツヴァイヘンダーか。どこでこんな珍品を手に入れたんだ」

「以前、旅の途中でもらったのだ。カバンに入れっぱなしだったのを今思い出した」


 この大剣であれば訓練で使ったこともあり、多少の心得はあった。

 刀身の根元に握れる部分があるので、力さえあれば槍のようにも振り回して扱える。

 ドラゴンのような大型獣には持ってこいだ。

 多少使い込まれてはいるが、戦闘には全く申し分ない。


「念のため確認だが、ドラゴンの上を魔法で飛び越えて戦いを避けるって選択肢はないんだよな」

「残念だが、すでに目をつけられている。真っ先に撃ち落とされるだろう。うまく頭上を越えたとしても、すぐに追いつかれて終わりだ。それとも奴に空中戦で勝てると思うか?」

「だよな」


 さすがにこれほど大きな猛獣相手にするなど初めてだ。

 倒せるイメージが湧かなかったが、ここで退いては騎士の名折れ。

 俺は覚悟を決めて、ツヴァイヘンダーを構えた。

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