第15話

 小径こみちをしばらく進むと、森が途切とぎれて小高い丘が見えてきた。

 その丘の上に、一軒のこぢんまりとした家が建っている。

 煙突からは細い煙が立っていた。

 おそらく上空まで「迷彩結界」とやらが張ってあり、煙すら外から見えないようにしているのだろう。


 俺たちは丘を上って家へと近づく。

 庭と思われるあたりで洗濯物を干している小さな人影が見えた。


「あれかな」


 背はアリスより一回りほど小さく、顔つきもアリスより少し年下の少女を思わせた。

 妖魔の性別が人間のそれと同じか不明だが、おそらく女性だろうか。

 簡素な生成きなりのワンピースに身を包んでいた。

 腰まで届きそうな黄金色に輝く長い髪を後ろにたばね、大きな一本の三つ編みを結っている。


 左右の耳の上あたりから後頭部へ向かって角が斜め上に伸びていた。

 間違いない。妖魔の証だ。


 洗濯物の具合に納得したのか、ぱんぱん叩いて満足げに微笑ほほえんでいた。

 その後、庭の小さな畑を上機嫌で見て回る。

 何かの根菜こんさいの出来を調べているのか、ちょこんとその場に座った。

 そのうちの一株引っこ抜こうとして、勢い余って尻餅しりもちをつく。


 それを見ていたアリスが思わずクスリと笑う。


「なんだか、可愛いですね。妖魔の魔法使いって、もっといかつい感じのおじいちゃんみたいな方を想像してました」

「それは本人の前で言わない方がいいな。妖魔はかなりの長寿と聞く。ああ見えて、俺たちよりはるかに年上だろう」

「あ……たしかに!気をつけます」


 アリスがそう言って口を押さえる。

 妖魔が見つかったおかげか、アリスの調子が元に戻ったことに俺は安堵あんどした。

 俺たちは妖魔の方へと歩いて行き、声をかけた。


「この辺りにシェヴェルという妖魔が住んでいると聞いてきたが、あなたのことか」


 妖魔は手に根菜をにぎりしめたままこちらに顔を向けて立ち上がる。

 途端に射抜いぬくような目で俺をにらみ、もう片方の手ですぐに魔法を放てるよう臨戦体勢りんせんたいせいを取った。


「名乗るならまず自分から、と習わなかったのか、小僧」


 ……開口一番かいこういちばん、見た目に反してなんとも口の悪い妖魔だ。

 小僧呼ばわりされる年齢でもなかったが、彼女の実年齢からすれば俺などガキなのだろう。

 おまけにこちらへ攻撃する気も満々のようだ。

 これは早く誤解を解かねば。


 相手の機嫌を損ねないよう、俺は手を上げてへりくだる。


「非礼をびる。俺の名はバルト・ハインライン。敵ではないし、攻撃の意思もない。あなたが妖魔のシェヴェルか」

「いかにも。その前に貴様ら、どうやってここに入ってきた」


 シェヴェルは臨戦体勢を崩さず、俺たちを警戒したままだ。

 よく考えればそうなるのも無理はない。

 誰にも見つからないように結界を張ってあったのだ。


 俺は何とかそれっぽい理屈をつけた。


「訳あって力の強い魔法使いを探していたところ、近隣の町に住んでいる魔道士に紹介されたんだ」


 シェヴェルは考え込んだ様子で口を開いた。


「……おかしいな。結界はバレないように張っておいたはずなんだが……まあいい。して、こんな辺境の地の、しがない隠遁者いんとんしゃに何用だ」


 俺は隣に立っていたアリスを指差す。


「この子が奴隷として売られていくところを流れで助けたのだが、手枷に魔力制限の封印魔法がかけられていて外れないんだ。あなたはどんな封印魔法でも解いてしまう魔術の使い手と聞いた。どうか、あなたの力でこの封印を解いてもらえないだろうか」


 シェヴェルは少し考えた後、攻撃の構えを解いて俺たちの方につかつかと歩いてきた。

 アリスの前まで来ると、その美しいガーネットのような真紅しんくひとみでじっと見上げる。

 アリスは沈黙の意味に気づき、慌てて自己紹介した。


「あ……申し遅れました!私、アリス・フォン・ヴァールハイトと言います……」


 それを聞いた途端、シェヴェルは目を見開いた。


「小娘、お前どこの出だ」

「……え?」

「出身はどこだと聞いている」

「ファシュナイト近くの侯国の一つですが……」

「もしや、山岳さんがく地帯のルーケ侯国か」

「……どうしてそれを?」


 シェヴェルは質問に答えず、神妙しんみょうな顔つきでアリスを凝視する。


「なぜヴァールハイト家のものがここにいる」


 その問いの意味がよく飲み込めなかったが、俺は戸惑うアリスに代わって答えた。


「この子の故郷は二大国の戦の巻きえで滅んだ。この子も戦火のどさくさで奴隷商人に捕まったらしい」


 シェヴェルは一瞬、驚きの表情を浮かべて手中の根菜をにぎりしめたが、すぐに元の無表情に戻った。


「そうか……ルーケが」

「アリスの国と一族について、何か知っているのか?」


 シェヴェルはその質問には答えず、そのまま家の玄関へ向かった。


「鍋を火にかけたままだ。話は中で聞こう」




 俺たちはシェヴェルの後について家の中へと入った。

 多少古びてはいたが手入れが行き届いており、膨大ぼうだいな量の魔導書らしき本が棚を埋めている。

 作り付けの棚に花瓶がいくつも置いてあり、綺麗な花々がけてあった。

 壁ぎわに天井からドライフラワーが吊るされている。


 窓から陽の光が良く入り、俺は何とも言えない居心地の良さを感じた。

 大きな家ではないが、全体的に一人暮らしにちょうど良い感じで整えられている。

 奥のかまどでは鍋がぐつぐつと煮え、なんとも美味しそうな匂いが部屋に満ちていた。


 思わず俺とアリスのお腹が鳴る。

 それも当然だ。昨日からまともに食事らしい食事をしていない。

 アリスは少し恥ずかしそうにお腹をさすった。


 シェヴェルは魔法でかまどの火を弱め、俺たちを客間に通す。


「そのかせを見せてみろ」


 アリスは言われるがまま手を伸ばす。


「俺が中心の鎖を切ってとりあえず両手は自由に動かせるようになったんだが、枷が手首から外せないんだ。町の鍛冶屋かじやにも、他の魔道士にもさじを投げられた」


 俺の説明を無視するようにシェヴェルは拘束具を丹念たんねんに調べていたが、やがてため息をついて俺の方をにらんだ。


「全く、余計なことをしてくれたなお前」


 俺は言葉の意味がわからず、思わず聞き返す。


「どういう意味だ」

「封印魔法がかかった拘束具を力任せにじ切る奴があるか」


 シェヴェルは心なしかさげすんだ目で俺を見て続けた。


「これは手順を踏んで術を解く必要があるものだ。今の状態を例えて言うなら、こじ開けようと鍵穴をひん曲げたせいで、余計に開きにくくなった扉と同じ」

「え、そうなのか……真ん中の鎖を切っただけだぞ」


 俺はそんなつもりは全くなかったのだが。

 シェヴェルは再びアリスの手を取り、感心した様子で拘束具を丹念たんねんに見回す。


「しかしよく出来た術だな。封印魔法と保護用の暗号術式の組み合わせか。相当な作り手と見た。しばらく最新の魔法研究から遠ざかっていたが、ここまで人間の技術が進歩していたとは」

「で、何とかなりそうなのか?」


 シェヴェルは俺の方を見直した。


「私の手にかかれば解除はできるが、一筋縄ひとすじなわではいかないぞ。まあ、どこぞの阿呆あほうのおかげで余計に時間は食いそうだが」

「いや、確かに俺も悪かったが……知らなかったんだ、その言い方はないだろう」


 とはいえ、アリスの魔力制限の解除を俺が長引かせてしまったのは事実だ。


「アリス、すまない……」

「いえ、私は大丈夫です!」


 アリスが俺に気を遣っているのは明白だった。

 シェヴェルがため息まじりに言う。


「お前も随分ずいぶんとお人好ひとよしだな、小娘。阿呆あほうとお人好しは紙一重だ」

「これは必要なことだったんです。あの時バルト様がこの手枷を砕いていなかったら、毒におかされたバルト様を治癒魔法で解毒げどくできませんでしたし」


 それを聞いたシェヴェルは突然、目を見開いてアリスに尋ねる。

 

「小娘、今なんと言った」

「え……?」

「この状態で治癒魔法を出せたのか」

「はい……あ、でも封印魔法のせいで本当に弱い力しか出せませんよ」


 シェヴェルはそれを聞いてしばらく思案していたが、思いついたように俺の方へ向き直って尋ねる。


「時にお前たち、そもそもいくら払えるのだ?どう見ても腹ぺこ一文無いちもんなしの素寒貧すかんぴんにしか見えんが」

「むしろ、どれくらい出せば引き受けてくれるんだ」


 シェヴェルは右手を突き出し、指を3本立てる。

 俺は腕を組んだ。それなりの額は覚悟していたが……


「300スタールか。ちょっと高いな……」

阿呆あほうか貴様。30000だ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る