第11話

「おい……大丈夫か!?」


 俺はアリスの肩を揺すったが、唸るだけでまともな返事がない。

 暗がりで気づかなかったが、その顔は若干じゃっかんほてっているようにも見えた。

 嫌な予感がして、アリスのひたいに手を当てる。


「まずいな……かなり熱があるみたいだ」


 考えてみればアリスはずぶれのままずっと俺を介抱かいほうし、なけなしの魔力をしぼり出して俺に治癒ちゆ魔法をかけ続けていたのだ。そもそも奴隷商人に捕まって以来、長時間の拘束で体力もかなり落ちていたはず。

 そんな当たり前のことに気が回らなかった自分を恥じた。


 先ほどの話だと、俺の回復に全力を使ったせいでもはや自己治癒魔法も使えないだろう。

 一刻も早く医者へ見せなければ。

 俺のせいで、この子の命を危険にさらすわけにはいかない。


 ブレネン側へ戻り運よく他の誰かに託せたとして、城門から一番近い町でもそれなりの距離がある。

 それに加え、引き返せば新たな追手おって遭遇そうぐうする可能性が高い。

 次の町までの距離はわからないが、このまま北へ進むしか道は残されていなかった。


 俺は急いで馬のハーネスを外し、馬車の中から手綱たずなを探して馬に取り付けた。

 武器と金目かねめのものを一通りまとめると、そのままアリスを前にかかえるようにして馬に乗り、急いで道を駆け抜ける。

 途中で奴隷商人の馬車や山賊とすれ違うこともなく、背後から追手が来る気配もなかったのは不幸中の幸いだった。


 馬を適度に休ませつつ、どれくらい走っただろうか。

 ようやく雨が止み、雲の切れ間から差し込む夕陽ゆうひが森の木々を茜色あかねいろに照らしている。

 道が徐々に草むらにおおわれてきた。


 俺は安堵あんどした。

 この抜け道の片方が隠されているなら、もう片方も同じはず。

 もうすぐ合流地点ということだ。


 予想通り、草むらを突き抜けると広い街道に出た。

 そのまま街道を北へとひた走る。

 ようやく森が開けてきた。

 馬上からアリスの顔は確認できないが、かなり衰弱すいじゃくしているようだ。

 俺はさらに馬を急がせた。


 森を抜けて民家が見えてきた頃、すでに太陽は地平線へ沈みかけていた。

 徐々に家が増え、水路やほりのようなものが見える。

 おそらくゼーゲ公国内の宿場町しゅくばまちだろう。


 幸いにも、それなりの規模がありそうだった。

 小さな村だと医者が住んでいない可能性が高いので、まずは一安心だ。

 馬を降り、すぐにアリスの様子を確認する。


「町に着いたぞ。これから医者を探すからもう少し頑張れ」


 アリスは意識が朦朧もうろうとしており目も虚ろで、ぐったりとしたまま何も答えない。

 これは急がないと本当にまずいかもしれない。


 俺は町の住人から医者の住まいを聞き出す。

 俺の格好を見て大抵ものは逃げ出したが、心優しい老婆から何とか話を聞くことができた。

 予想通り、この町で医者が小さな診療所を営んでいるとのことだった。

 俺は安堵したが、まだ引き受けてくれるとは限らない。

 アリスを馬に乗せたまま急いで診療所へ向かい、無我夢中むがむちゅうで扉を叩いた。


「すまない!急患きゅうかんを診てもらいたいのだが」


 中から顔を出したのは、気難きむずかしそうな老人だった。

 俺たちの格好を一目見るなり眉間にしわを寄せる。

 無理もない。血まみれのならず者と薄着の少女の組み合わせは、老人の目にはたいそう奇異きいに映っただろう。


 俺は誤解を解くため必死に事情を話し、何とか頭を下げて頼み込む。

 老人が話のわかる男だったのは何よりの救いだった。

 なけなしの路銀ろぎんはほぼ底をついたが、薬を調合してもらい、病床びょうしょうを一晩借りることができた。


 あまりに俺たちがみじめな格好をしていたせいか、綺麗な着替えまで用意してくれた。

 老人の妻とおぼしき品の良い老婆に頼んで、アリスの身体をいて着替えさせる。

 その間に俺は外に繋いでいた馬を町のうまやに預けた。


 俺は診療所に戻り、アリスをベッドに運び座らせると、頭を支えて薬を飲ませた。

 そして、そのままアリスの身体を横たえた。


「これでもう大丈夫だ」


 俺はベッドのそばに椅子を運び、そこへ座った。

 自分がいたところで何ができるわけでもない。

 だが、そうせざるを得なかった。


 アリスは最初苦しそうに顔をゆがめていたが、やがて穏やかな表情に戻り、静かに寝息を立て始めた。




 アリスは夜中あたりに目を覚ました。


「……ここは?」


 俺の顔を見たアリスが、か細い声で尋ねる。

 どうやら何も覚えていないらしい。


「町の診療所だ。無理をするな。もう少し休んでいろ」

「私、たしか荷台の中で倒れたような……」

「長時間の無理がたたったんだろう。高熱を出してうなされていたが、何とか町までたどり着いてよかったよ。そのうち、薬が効いてくるはずだ」


 アリスはハッと気づいたように俺に問いかける。


「治療代はどうされたのですか!?それに、この服……」

「今はそんなこと気にせず、ゆっくり休め」

「そんな……いけません!私のために……」


 アリスの性格を考えると予想通りの反応だった。


「今はアリスの回復が最優先だ。それに早く治れば、追加の薬代もかからないだろ?」

「……それは、そうですが」


 素直に聞き入れてくれた。

 何となくだが、アリスの扱い方がわかってきた気がする。


「じゃあ、もう俺は寝ることにする。アリスも早く寝ろ」


 さすがに俺たちの境遇に同情したのか、医者の老人は俺に敷布団しきぶとんを貸してくれた。

 俺はそれをありがたく受け取り、床にいて寝転んだ。


 今日はあまりに多くのことがありすぎた。

 疲労が一気に押し寄せる。

 俺はそのまま意識を失うように深い眠りについた。




 翌朝、俺が床で目覚めると、アリスがすでに朝の支度を始めていた。

 気づけば俺の体に布団がかけられている。


「あ、おはようございます!バルト様」


 俺に気づいたアリスが声をかける。


「アリス、体はもう大丈夫なのか?」

「見ての通りです!それに、一晩ぐっすり寝たおかげで魔力も全回復しました。拘束具のせいで時間がかかりましたが、回復魔法で体力もほぼ全快です。バルト様もお疲れだと思いましたので、少しだけですが回復魔法をかけておきましたよ」


 言われてみると、心なしか体が軽い気がする。


「ありがとう。確かに、昨日よりだいぶ疲れが取れた気がするよ」


 医者は俺たちに簡単な朝食を提供してくれた。

 俺は頭を下げて感謝した。

 腹が空になっていた俺たちは、無我夢中でそれを平らげた。


 朝食を食べ終わった後、俺は今日の予定を考えた。


「まずはアリスの服の調達だな。今着ている借り物の服は返さなきゃいけない」


 それから俺はアリスが着せられていた愛玩用奴隷の服に目をやる。


「さすがにこの露出度の高い服で町は歩けないからな」

「でも……お金はどうするのですか?」

「刺客と賊から奪った武器がある。このうち要らないものを武器屋で換金する。元々『拾い物』だ。なんの未練みれんもない」


 俺たちはもう少しだけ服を貸してもらい、早速、町の武器屋へ行く。

 山賊の武器はあまり期待していなかったが、調べてもらうとそれなりの高級品とのことだった。武器商人か誰かから強奪ごうだつしたものを使っていたのだろう。

 刺客のロングソードと弓を合わせてそれなりの値段で売れた。

 俺はとりあえず短剣が2本あれば十分だ。


 続いて町の服屋へ移動する。

 アリスにはこの先のことを考え、魔法使い用の服をすすめた。


「戦闘になっても動きやすいものがいいだろうな」


 色々と試着した結果、白と青のデザインのものが気に入ったようだ。

 値札を見ると、一番安いものだった。


「武器が思ったより高値で売れたから、値段は気にしなくていいぞ」

「ダメです!少しでも路銀は節約しないと。それに私、これが気に入ったんです」


 アリスの濃い群青ぐんじょう色の髪色と白い肌に、その服はぴったりだった。


「たしかにとてもよく似合ってるよ」

「本当ですか!?バルト様にそう言っていただけて、とても嬉しいです!」


 アリスは本当に嬉しそうな様子で笑い、古ぼけた鏡の前でポーズを決めていた。

 彼女が少しでも元気になったようで、俺は安心した。


 本来は侯爵家に仕える上級魔道士として、高価な装束しょうぞくまとい、館の広間にある磨き上げられた大鏡の前で衣装合わせをしていたのかもしれない。

 俺はふとそんな光景を思い浮かべた。

 俺ができる埋め合わせはこれくらいだが、少しでもアリスの喜びに繋がればいい。


 アリスは買った服を着たまま、上機嫌で俺と店を出る。

 診療所に戻り、服を返して改めて寝床と朝食の礼を言った。


 町の目抜き通りを歩きながら、アリスが俺の方をジロジロと見てきた。


「どうした?」

「うーん……バルト様の服も、どこかで変えないとですね」

「俺はもう少しこのままでいい。魔法使いと違って、俺は前衛で肉弾戦だからな。どうせ戦闘になればまたすぐボロボロになるさ」

「でも、さすがにそろそろ……」

「大丈夫だ。路銀は節約しないと、だろ?」

「ええ、まあ……」

「それよりも先にやることがある。そいつの解除だ」


 俺はアリスの手首にはまったままの拘束具を指差した。

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