第9話

 いまだ勢いのおとろえぬ雨は荷台の屋根を強く打ち付け、近くで雷鳴がとどろいた。


「当面止みそうにないな。しばらくここで雨宿りするか」

「そうですね」


 追手もさすがにこの雨では動けないだろう。

 俺は改めてアリスに向き直った。


「さっきは申し訳ないことをした」

「どうされたんですか、急に……」

「完全におびえ切っていただろう。言い訳がましいが、君を追い払いたかったんだ」


 アリスは特に驚いた様子もなく言った。


「わかっていました」

「……え?」

「だってバルト様のお顔に、今おっしゃったことがそのまま書いてあったんですもん」


 アリスは悪戯いたずらそうな笑みを浮かべ、俺を見つめた。

 俺は驚いて聞き返す。


「じゃあ、なぜあんな真似をした?俺をからかったのか」

「いえ、違います!私はただ……」


 そこまで言って、アリスは頬を少し赤らめて言い淀んだ。


「非礼を承知で言うが、君はまだ男を知らないだろう」


 途端とたんにアリスの顔が真っ赤になる。

 それ以上聞かずとも、その反応が答えだった。


「先の人生は長い。いつか君にふさわしい男が必ず現れる。それまでは無闇むやみみさおささげてはならない」


 アリスはうるんだ瞳で俺を見つめ、何か言いたげに口を開いたように見えた。

 思わず年寄りじみた説教くさいことを言ってしまったせいで、ふいに気恥ずかしさが込み上げてきた。

 俺は話題を変えることにした。


「もうこの話は終わりだ。とりあえず次の町まで着いたら、君はどうする?」

「私は……もうどこにも行くあてがないので」


 アリスはそう言ってうつむいた。

 しまった……よりにもよって、今一番すべきではない話題を振ってしまった。


「すまない。俺は君の国のかたきかもしれなかったな」

「……私の国を滅ぼしたのは、ファシュナイトの軍と侯爵家の裏切り者です」


 そう言って、アリスはぽつりぽつりと身の上話を語り出した。




「私の国はファシュナイトの南にしばらく下ったところにある、山あいの侯国こうこくでした。名をルーケと言います。産業といえば高原の畜産くらいですが、山あいの交易ルートから入る通行税のおかげでそれなりに豊かな国でした。領主のルーケ卿はどこの国とも同盟も敵対もする事なく、中立をつらぬいていました」


 外の雨音がさらに強さを増す。


「私の家は代々、侯爵家に仕える魔道士の家系で、私も幼い頃から侯爵家専属魔道士になるべく修行と勉学にはげんできました。この拘束具さえなければ……バルト様をすぐ全快ぜんかいさせられるくらいの力はあります」


 そう言って、アリスは悔しそうに手首を包むかせにらんだ。


 ぞくの死体を見ても物怖じしなかったり、矢の傷と症状から瞬時に毒矢と見抜いたりと、アリスからは見た目に反し何かただならぬものを感じてはいたが、そういうことか。

 俺はそこでふと気になったことを尋ねた。


「回復系は魔法の中でも血筋でしか継承できないから、かなり貴重で高度な術だろう。ブレネンでも王国軍の上級魔道士のうちさらに一握りしか使えない。君の一族も君と同じくらいの力を持つのか」

「いえ!私なんてまだまだ修行中の身です。他の者とは比べ物になりませんよ」


 アリスで修行中ということは、他の者は一体どれほどの力を持っているのだろうか……。


「ならば、二大国でも喉から手が出るほど欲しい逸材いつざいだ。君の一族はなぜそんな強い力を持ちながら、いち小国の専属魔道士に収まっているんだ」


 アリスは話すべきか少し迷った様子だったが、やがて口を開いた。


「実は、私の一族は以前、と言ってもかなり昔と聞いていますが、ブレネン王国の宮廷に仕えていて、イーサ教会の枢機卿すうききょう世襲せしゅう兼任けんにんしていたそうです」


 俺は驚きのあまり言葉を失った。

 ブレネン王国の宮廷魔道士といえば、魔道士の中でもトップクラス。

 国王の直属で政治の中枢ちゅうすうに関わる最重要ポジションだ。

 しかも王都レーヴェの枢機卿は、大陸全土にいる7人の枢機卿の中で最も教皇に近い。

 魔道士であれば誰もが憧れる、手の届かない存在のはずだ。


 アリスはさらに続ける。


「しかし王宮内の政治と謀略ぼうりゃくに巻き込まれ失脚し、命を狙われる立場になりました。そこで私たちのご先祖様は、刺客の手が回る前に一族総出で国を脱出し、当時まだブレネンの手が及んでいなかったファシュナイト近郊きんこうの諸侯国を目指しました。その中で、当時から中立国だったルーケ侯国が私たちを温かく迎え、かくまってくれました。もちろん侯爵家側も国防力強化の算段があり利害が一致したこともありますが、私たちが救われたことに変わりはありません。以来、私たちヴァールハイトの一族はその恩義を忘れず、ルーケ侯爵家に仕えることになったのです」

「そういうことか。だがファシュナイト本国へ逃れた方が待遇も良さそうなものだが。以前はブレネンとも交戦していなかったはずだ」

「大国であればどこも宮廷は伏魔殿ふくまでんのようなもの。ご先祖様は大国と二度と関わり合いを持たないよう、辺境に隠遁いんとんすることにしたそうです」


 たしかにその理由であれば、表に出るわけにはいかない。

 よくよく考えれば、俺自身がまさに今、同じような境遇にある。

 とても他人事とは思えず、俺はアリスの話の続きを聞いた。


「当時のルーケきょうはいつかブレネンの手が侯国まで伸びることを懸念けねんし、私たちに家名を捨てることも提案したそうです。ですが、ヴァールハイトの名は私たちの誇り。万が一にでもブレネンが攻めてくることがあれば、私たちは全力で戦い、侯国を死守するつもりでした」


 俺はそこでふと疑問に思い、尋ねた。


「待てよ、であれば、君たちの国を攻撃しそうなのはむしろ我々の国ではないのか?今のところファシュナイトに滅ぼされる理由が見当たらないが。そもそも中立国に侵攻するのは国際条約違反だろう」


 アリスは首を横に振って続ける。


「二大国の開戦が、私たちを取り巻く状況を大きく変えました。戦が始まって以来、辺境諸国はどちらの陣営につくかの決断を迫られました。中立を保っていたとは言え、ルーケも例外ではありません。周辺諸国の多くはファシュナイト側につき、ルーケ国内でも日に日に同調圧力が強まっていきました。そんな中、破竹はちくの勢いでブレネンの軍が南から攻めてきたとの一報が入ったのです」

「恐らくハンス王子の第一騎士団だろう。最初に北の山岳地帯まで達したと聞いた」


 アリスは一呼吸置いた。


「そこで事件は起きました。ルーケ卿が、何者かにより暗殺されたのです」

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