第8話

 自分でもよせばいいのにと思いながら、俺はその理由が気になり、思わず問いかける。


「どういうことだ」

「……私の国はファシュナイト近くにある辺境諸国の一つでしたが、此度の戦で蹂躙じゅうりんされ、滅亡しました」


 俺は思わず息を飲む。


「……それは難儀なんぎだったな」


 それ以外に、かける言葉も見つからなかった。


 ブレネンとファシュナイトの二大国の間には、かつて大陸中央に存在した帝国から分裂した多くの諸侯国しょこうこくがある。

 一部の地域では二大国の代理戦争のような形で内紛が起きたり、実際に二大国の戦場と化したりで、焼け野原となった国もあると聞いた。

 俺は後方部隊だったので前線の様子は風の噂で聞くことしかできなかったが、目の前の少女がまさにその犠牲者であるという事実にわずかな動揺を隠しきれなかった。


 戦さえなければ、この少女も今頃はその小国でささやかな幸せの中、この世の春を謳歌おうかしていたかもしれない。

 間接的ではあるものの、俺は軍人として少女がこの苦境におちいった片棒を担いだのだ。

 彼女にとやかく言える筋合すじあいなど、自分にはなかった。


 少女は必死に涙をこらえながら話を続ける。


「家族や知人も戦火に巻き込まれ、皆行方知れずです。おそらくもう……」


 ぽつりぽつりと雨が降り出し、間もなくパラパラと大粒の雨滴が降ってきた。

 驟雨しゅううの中、少女はすがるように俺の目を見つめた。


「私にはもう帰る場所もなく、私の帰りを待つ者もいません。今、この世で繋がりがあるのはあなただけです。お礼ができないのなら、せめて次の町まで旅のお供をさせてください。私、何でもしますので!」


 いきなりの少女からの申し出に俺は驚き、頭を掻いた。


「そう言われてもなぁ……これ以上俺に関わると、ロクなことがないぞ」


 口実を考えるのが面倒になったので、俺は真実を打ち明けることにした。

 万一にでもこの少女から情報が漏れたところで、俺はその頃には追手からはるか遠くに逃げおおせているだろう。


「本当のことを話そう。俺は元ブレネン王国第三騎士団長だ」


 少女は息を飲み、驚きを隠せない様子で目を見開いて俺を見る。


「今は訳あって国を追放され、あてどなくさすらう身。だが、元は君の国が滅びる原因を作った国の者だ。しかも俺を追放した連中に命まで狙われている。俺と行動を共にすれば、君の命だっていつ尽きてもおかしくはない」


 俺は最初の戦闘で首筋に負った矢のかすり傷を見せた。

 少女は一瞬、言葉を失いたじろいだが、すぐに俺の目を見て言い返した。


「たしかに二大国の戦に巻き込まれ、私の国は滅びました……ですが、それとこれとは話は別です。あなたは私を絶望のふちから光の下に救い出してくださった。その事実は変わりません」


 それを言われてしまうと、こちらも返す言葉がない。

 俺は困り果てた。一体、どうしたものか……。


「しかしだなぁ……」


 煮え切らない俺の態度に、少女は何かを決意した様子で口を開いた。


「私には特殊な力があります。きっとお役に立てるはず」

「特殊な力?」


 その時、急に視界がかすんできた。

 目をこすったが、相変わらずモヤがかかったようだ。

 何だか焦点がうまく定まらない。

 足元もおぼつかなくなった俺は、そのまま地面に座り込んだ。


「え……どうされました?」


 少女は俺の様子がおかしいことに気づき、驚いてけ寄ってくる。


「大丈夫ですか!?」

「ああ、ちょっと立ちくらみがしただけだ。休めばふぐなお——」


 呂律ろれつが回らない。

 全身の力が抜け、俺は仰向けに倒れた。

 俺はようやく事の重大さに気づいた。

 俺のただならぬ様子に、少女は真剣な眼差まなざしで俺の目を覗き込む。


 次の瞬間、少女は俺の頭にそっと手を当てて自分の顔を近づけた。

 焦った俺は顔を逸らそうとするも、体が言うことをきかない。

 少女はそのまま自分の額を俺の額にくっつけた。


「……ひどい熱!」


 少女は思わず叫んだ。

 俺の全身からは大量の冷や汗が流れ続けている。

 その症状から、すぐに見当がついた。


 特に気にもめていなかったが、最初に放たれた刺客の矢——

 まさか毒矢だったとは。


 この一帯でよく使われているものだとすると、特殊な毒草から採れる遅効性ちこうせいの毒だ。

 即効性の毒よりも取り扱いが容易なため、狩りなどでも使われている。

 獲物を仕留しとめ損なっても、しばらくすると体中に回った毒で獲物は突然動けなくなり、そこを狙ってとどめを刺すのだ。

 人間に対しても有効で、解毒剤を飲まない限り数時間で確実に死に至る。

 俺の症状はその毒に酷似こくじしていた。


 俺は腕を必死に動かして首筋に手をやる。

 うっすらと熱を持っていた。

 少女もそれに気づいたようで、そっと俺の首筋に手を当てる。


「この傷……それにこの症状……まさか、毒矢?」


 一目でそれを見抜いた少女の慧眼けいがんに、俺は少しばかり驚いた。

 だがそれが判ったところで今さらどうにもできない。

 解毒剤など持ち合わせていないし、奴隷の荷馬車にそんなものが積んであるはずもない。


 暗殺を指示した奴らを甘く見ていたのは俺の方だった。

 たとえ差し違えても、俺に一太刀でも浴びせられれば目的達成というわけだ。

 これではまるで、あの日の繰り返しではないか。


 もはや、俺の命運もここで尽きたか。

 あまりに短い人生だった。

 せめて裏切り者へ一矢報いっしむくいることすらできなかったのが、何よりの心残りだ。


 悪寒おかんがひどい。

 体が急に冷え、視界も暗くなってきた。


 ふと、じんわりと温かい何かに胸が触れたような気がしたところで、俺の意識は深い闇に沈んでいった。




 俺は暗がりの中、目が覚めた。

 頭が柔らかく暖かい何かに包まれ、甘くいい香りがする。

 とても心地よい。

 ここはあの世か。それにしては、何の飾りげもない世界だ。

 なるほど、地獄というわけか。

 たとえ敵であれ、戦場で多くの命をあやめたむくいか——


 突然、金属をパラパラと打ち付ける不規則な音が頭の中に響く。

 違う。ここは先ほどの荷台の中じゃないか。

 外ではまだ激しく雨が降り、荷台を打ち続けていた。

 焦点が徐々に合い、俺をのぞき込む少女と目が合った。


「あぁ……良かった!」


 少女は俺の顔を見るなり涙をこぼした。

 その柔らかく華奢きゃしゃな手で、俺の顔をそっとでる。

 俺は驚き、少女の膝枕ひざまくらから飛び起きた。


「俺は一体……」


 未だ若干のふらつきは残るものの、先ほどよりはかなりマシになっていた。

 戦闘で疲れ切っていた体も、重石が取れたように軽い。


 俺は自由に動かせるようになった腕を伸ばし、首筋に当てる。

 先ほどまであった矢の傷もキレイにふさがっていた。


「これは……まさか、君が?」


 少女はニコリと微笑ほほえんでうなずいた。


「これが私の『力』です」


 俺は驚いて少女の顔を見直した。


「……まさかとは思っていたが、君は魔法を使えるのか。しかも希少なヒーラーだったとは」

「はい。拘束具の鎖をくだいていただいたおかげか、なんとか魔法をしぼり出すことができました。でも封印魔法の力は健在みたいで、魔力をほぼ使い切っちゃいました」


 少女は自分の手首を包んだままの手枷を振った。


 魔力を持つ者であれば、輸送中に魔法で逃げられてしまう。

 封印魔法の拘束具が使われていたのはそれが理由か。


 俺は少女の顔を改めて見た。


「ありがとう。君は俺の命の恩人だ」

「ようやく恩返しが出来て、良かったです!」


 少女は、えへ、と言って、愛らしい表情で微笑んだ。


 気づくと少女は全身ずぶ濡れで、薄手の服が透けて肌が見えている。

 俺は視線をらし、上着を脱いで少女の肩にかけた。


「すまなかったな。こんなひどい大雨の中、倒れた俺を荷台へかつぎ込んでくれたのか」


 少女は少し顔を赤らめ、こくりとうなずいた。


「そう言えば自己紹介がまだだったな。俺の名はバルト・ハインラインだ」

「私はアリス……アリス・フォン・ヴァールハイト」


 アリスは俺の目を見て優しく微笑んだ。

 その笑顔に、不思議と心が安らぎで満たされた。


 俺は彼女の笑みの中に、聖母の慈愛じあいを見た気がした。

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