第7話

 暗がりに少し目がれ、それが一人の少女だとわかった。

 俺はほっとして剣をさやに収める。


 先ほどの女たちと同様、愛玩あいがん用として売り飛ばされるはずだった女奴隷と思われた。

 あまりに静かなので先ほどは気づかなかったが、最後の一人が残っていたのだ。

 気絶しているのか微動びどうだにしない。


 俺は荷台によじ登り、少女を見据みすえる。


 一目見て、その美しさに目を奪われた。


 絹糸きぬいとのようにつややかで真っ直ぐな髪は海原うなばらのような深い群青ぐんじょうで、肩にふわりとかかるくらいの長さで揃えられている。

 肌も上質の陶器のように透き通る白さだ。

 少しばかりあどけなさを残す顔立ちだが、愛玩用としての年齢には達しているのだろう。


 両手には拘束用の枷をはめられ、さらに鎖で荷台と繋がれている。

 しかも、拘束具は魔力を封印する魔法がかけられた特殊なものだ。

 王都にいた頃、悪事を働いた魔道士を連行する際に一度だけ同じものを見たことがある。

 どんな強力な魔法使いでも魔力を完全に封じることができる代物だと聞いた。


 なぜそれがこんな少女、しかも愛玩用奴隷につけられているのだろう。

 そもそも魔法を使える人間自体、かなり数が限られる。

 封印が必要なほど強力な攻撃魔法を使える魔道士クラスであれば、なおさらだ。


 彼女が?いや、まさかな——

 俺は気になったが、まずはこの少女を助けるのが先だ。

 手首にはめられた拘束具を解こうと、俺は手を伸ばした。


 その時、少女が目を覚ました。

 紺碧こんぺきの美しい瞳は、暗がりの中にあってなおサファイアのごとく燦然さんぜんと輝いて見えた。

 少女は俺の顔を見るなり驚きの表情を浮かべ、声にもならないようなか細い声を喉の奥から絞り出した。


「……す……けて……」

「ああ、今助ける。奴隷商人はもういない」


 しかし少女は俺の言葉に安堵あんどの表情を浮かべるどころか、その顔はむしろ恐怖におののいている。

 どうやら俺の姿を見て完全に震え上がっているようだ。


 ふと冷静になり、自分の身なりを改めて見直した。

 これまでの襲撃と戦闘で、服は血に染まってボロボロだ。

 おそらく顔も血と土まみれだろう。


 これではぞくたぐいと思われても不思議ではないな……。

 少女は俺に救助を求めていたのではなく、命乞いのちごいをしていたのだ。


「落ち着いて聞いてくれ。俺は山賊じゃない」

「お願い……です……命だけは……」


 少女はなおも引きつった表情で荷台の角にうずくまり震えている。

 俺はまず荷台と拘束具を繋ぐ鎖をつためロングソードを抜いた。

 剣と鞘がれる金属音に少女は小さな悲鳴を上げ、体をこわばらせて目をつぶる。


「……何でもしますから……お願いです」

「いや、だから誤解だって。今拘束を解くからじっとしていてくれ。狙いが狂うと腕がなくなるぞ」


 もう説明するのが面倒になった俺は、構わず剣を振り下ろす。

 一撃で鎖は綺麗きれいに両断された。


 続けざまに俺は、両手のかせを繋ぐ太い鎖の中心に一太刀ひとたち入れる。

 少女はもはや叫ぶこともできないほどの恐怖のせいか、硬直こうちょくして微動びどうだにしなかった。

 そのおかげか手元が狂わずに済み、鎖は中心で真っ二つに切れた。

 枷自体を手首から外すことはできなかったが、これで少なくとも両手は動かせる。


 少女は一瞬、何が起きたかわからない様子で呆然あぜんとしていた。


「君はもう自由だ。好きなところへ行くがいい」


 俺はそう言い残して荷台を降り、前方へ回って馬の状態を調べた。

 一番体格の良さそうな先頭の一頭に目をつける。

 以前乗っていた軍馬に比べれば小ぶりだが、いい馬だ。

 大人しく、状態も悪くない。


 せっかくなので、こいつだけいただこう。

 馬車ごと欲しいのは山々だが、勘違いで新手の山賊に襲われたら厄介だ。


「……ま、待ってください!」


 振り返ると、少女は荷台を降りて俺の後ろに立っていた。

 意外にも肝がわっているのだろうか。

 地面に転がる賊のむくろを恐れもしない。


 今にも雨が降り出しそうな鉛色なまりいろの空の下にあってなお、少女は一段と美しく輝いて見えた。


「あなたは一体……なぜ私を……?」

「さっきも言ったが俺は賊でも何でもない。通りすがりのさすらい人だ。折悪おりわるく賊に目をつけられ、むをず君たちを助けることになっただけだ。君をどうこうするつもりもない」


 少女は何かに気づいたようにハッとして、俺の目を真っ直ぐに見た。


「ごめんなさい、私、命の恩人の方へお礼もせず……助けてくださり、ありがとうございます!」


 少女はぺこりと頭を下げる。


「お返しに何かできることがあれば……私、何でもしますので!」

「礼には及ばない。それよりようやく自由になったんだ。故郷へ帰るなり別の町で暮らしを立てるなり、君の好きにすればいい」

「いえ、そういうわけには参りません。何かお礼させてください!」


 俺は頭を抱えた。

 正直なところ、もう人と関わるのが億劫おっくうになっていたのだ。

 裏切りに裏切りを重ねられ、もはや人間不信に陥っていることに自分でも気づいていた。


 これ以上付きまとわれても困るので、何とか少女と距離をとる方法を探す。


「そうだな、そこまで言うなら……」


 俺はわざといやらしい目つきで、少女の身体へと視線を落とした。

 少女もその意味に気づいたようで、わかりやすいくらいに顔が真っ赤になる。


 いくら命の恩人だろうと、これだけ不躾ぶしつけ屈辱くつじょく的な申し出を受けるはずがない。

 これで俺に幻滅げんめつするか、再び恐怖を感じて逃げ出してくれるだろう。

 少女の心情を思うと少し心が痛んだが、もう二度と会うこともあるまい。


 しかし何を思ったか、少女は意を決したようにうなずくと、震える手で服のひもをほどき始めた。

 薄手の服がはだけ、その美しい肌があらわになる。

 完全に予想外の行動に、俺は情けないほどあわてふためいて少女を止めた。


「いや、ちょ、ちょっと待て!何してる!」

「え……何って……」


 少女は俺の言葉の意味がわからない様子で固まった。

 もっともな反応だ。自分から仄めかしておいて、おかしなことを言っているのは俺の方だった。


「今のは冗談だ!もういいから、とにかく、早く服を着てくれ」


 俺は少女を直視しないよう目線をらして叫んだ。


「わかっただろ。俺は礼など受け取るに値する人間ではない」


 少女は服を着直すと、目から大粒の涙をこぼし震えながらその場にへたり込む。

 よほど怖かったのだろう。

 本当に申し訳ないことをしたと俺は心の中で猛省もうせいしたが、ここまですればさすがに諦めてくれるはず。俺は一刻も早くこの場から立ち去ろうと少女に背を向けた。


「せっかく拾った命だ。こんな俺なんぞに構わず、君は君の人生を歩め。帰るべき国だってあるだろう」


 しかし少女が涙声で放った言葉に、俺は思わず振り返る。


「……私には、帰る場所はもう……この世界のどこにもありません」

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