第3話

 気がつくと俺は来賓室の床に昏倒こんとうしていた。

 俺は意識が未だはっきりしないまま起き上がる。

 頭がひどく重い。


 フィリップ王子も俺と同じく床に転がっていた。

 なぜか体の下の床が広範囲に赤黒く染まっている。


 ワインをこぼしたのだろうか。

 それにしては量が多すぎる。

 頭がうまく働かない。


「殿下……?」


 俺の呼びかけにも反応がない。

 酔い潰れて寝ているのか。

 いや、そんな量のワインではなかったはず。

 朦朧とする意識の中、ふらつきながらフィリップ王子の元へ駆け寄り身体を抱き起こす。


 その瞬間、鉄臭い強烈なニオイが鼻を突いた。


 俺は最初、その光景が夢か現実か見分けがつかなかった。


 王子の胸に大きな刺し傷があり、周囲の服が赤く染まっている。

 口からは血を垂れ流していた。

 身体を支えた俺の手にべっとりとつく、大量の赤黒い血。

 傍には、凶器と思われるナイフが転がっていた。


 俺は顔に血糊がつくのも構わず、フィリップ王子の胸に耳を当てる。

 その心臓はすでに鼓動を止めていた。


 何ということだ……。

 暗殺の気配がないか、あれほど確認したというのに……。

 これではまるっきり「前回」と同じ結末ではないか。


 俺は真っ青になった。

 警備は万全を期していたはずだ。

 何者かが城内に入り込む余地などない。


 傷を見れば、ためらいもなく心臓を一突き。

 やはり手練れの刺客によるものだ。


「殿下ッ!!」


 俺は思わず大声で叫ぶ。


 ふとテーブルの上を見た。

 あったはずのワインボトルが消えている。


 恐らくあれに眠り薬が入っていたのだろう。

 証拠を持ち去られてしまったか。

 刺客は二重、三重に保険をかけていたのだ。

 俺としたことが——迂闊うかつだった。


 先ほどの俺の叫び声を聞いた衛兵たちが、扉を勢いよく開いてなだれこんだ。


「どうされました!?」

「これは……!」


 部屋の状況を見るなり、皆、慌てふためく。

 俺は無我夢中で叫んだ。


「誰か……!早く、殿下の手当てを……」


 その時、俺は気づいた。

 皆の視線が一斉に俺に向かって注がれている。


「……違う、俺ではない!ワインに何かを盛られ、眠らされたのだ」


 これでは「前回」と同じ結末になってしまう。

 俺はテーブルを指差しながら、部下に指示を出した。


「犯人は殿下を手にかけそのまま逃げたはずだ。急いで城内を探せ!」


 大柄の兵士が駆け寄り、叫ぶ俺の腕をつかむ。


「おい、何をする……!」

「とりあえず落ち着いてください、団長。お話は応接室で伺います」


 俺は事情を説明し、必死で弁明した。

 しかし、現場の状況はどれも俺以外に犯人がいないことを示していた。


 当時、来賓室にはフィリップ王子と俺の二人しかいなかった。

 窓も内側から施錠せじょうしたのは俺自身だ。

 来賓室に続く通路の端には衛兵が二人待機しており、フィリップ王子と俺以外、特に怪しい出入りも見られなかった。

 犯行に使われたと思われるナイフの柄に握った血のあとがついており、俺の手の大きさと一致した。

 ワイングラスは空になっていて、薬が混入していたかの検証はできない。

 肝心のボトルも、真犯人が持ち去ったらしく行方知れずだ。


 状況は大きく異なるが、このままでは確実に「前回」と同じく俺に無実の罪を着せられる。

 何よりも「王子の死」という事実を変えることができなかったのが一番悔やまれた。


「信じてくれ。俺がなぜ殿下を手にかける必要がある」


 俺は必死に弁明したが、兵士の誰も、俺の質問には答えない。

 何か無実の証明になる物はないか——


「……そうだ!俺を見てみろ。返り血をほとんど浴びてない。俺が犯人なら、胸からナイフを抜いた時点で血まみれのはずだ」

「団長ほどの剣の腕であれば、そうならないようにするのも容易いでしょう」


 俺は言葉に詰まった。


「……では、ワインボトルが無くなっている件はどうだ。俺以外の誰かが持ち去ったはずだ」

「団長もご自身でお確かめになったでしょう。この部屋への出入りはありませんでした」


 そう言った部下の目は「お前がどこかにボトルを隠しただけだろう」と無言で語っていた。

 もう俺自身がこれ以上いくら弁明したところで、そのための偽装工作にしか聞こえない。


 その時、応接室の扉が勢いよく開いた。

 国境警備から戻ってきたフェラートだった。


「団長、これは一体……何が起きているのですか!?」

「俺が聞きたいくらいだ。フィリップ殿下が殺された。その上で、何者かが俺に罪をなすりつけようとしているのだ」


 フェラートは部下から一部始終を聞くと、改めて俺の前に座った。


「私も団長がそんなことをするなんて思えません。というか、思いたくもない。一個人として、団長の無実を信じます」

「……ありがとう!」

「ですが……」


 フェラートは言葉を濁したが、言いたいことはわかっていた。


「確かに今の状況は俺が犯人だと示している。だが俺は無実だ。きちんと調べれば、真犯人がいることがわかるはずだ。何とか協力してほしい」


 フェラートは力なくうなずいた。

 俺もそうは言ったものの、状況がかなり厳しいことは理解していた。

 ここで少しでも怪しまれるような行動を取ってはまずい。

 「前回」はあまりに動揺して脱走を試みた結果、疑いを決定的なものにしてしまったのだ。


「俺は無実だ。レーヴェから調査官が到着して真犯人が捕まるまで、逃げも隠れもしない」


 俺は自ら希望して、個室に軟禁してもらうことにした。

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