第2話

 俺は王子を砦の大会議室に案内し一通り戦況報告を終えた後、晩餐ばんさんの準備に着手した。

 食堂での準備が終わるまで待機してもらうため、フィリップ王子を砦の最上階にある王族専用の来賓らいひん室へと案内する。

 王子の好みに合わせ、軽めだが上物の赤ワインを用意し給仕に運ばせておいた。

 国境を接する同盟国であるドレーエン産の高級ワインだ。


 晩酌の役目は俺が引き受け、給仕はすぐに厨房へ回す。

 あちらも限られた人数での激戦地だし、少しでも疑わしい人間はこの場から外しておきたい。


 「前回」はここで俺が目を離した隙に、どこかから侵入したと思われる刺客に王子を暗殺された。

 だが、あらかじめ起こる出来事が判っていれば対処も容易だ。

 廊下の両端には衛兵を待機させてあった。不審者がいればすぐに捕捉ほそくできる。

 窓を開いて下を確認する。眼下には怪しい人影も見当たらない。

 この高さから上ってきて侵入することも不可能だろう。

 とは言え用心に越したことはない。

 念のため俺は窓を閉め、しっかりと施錠せじょうする。


 同じてつを踏まぬよう、俺はフィリップ王子から離れず常に剣を抜いて戦える体勢を整えた。

 もし返り討ちにできれば、黒幕に繋がる証拠も見つかるかもしれない。


 フィリップ王子は部屋をぐるりと回った後、突然、俺に向かって口を開いた。


「今日は悪かったね。多忙を極める中、迷惑だったろう。それに到着まで遅れてしまって。道中で崖崩れがあって、しばらく馬車が動かなかったんだ」


 突然の謝罪に、俺は戸惑いを隠せなかった。

 そもそも「前回」はこうして王子と踏み込んだ話をする機会すらなかったのだ。


滅相めっそうもないことでございます。こうして殿下にはるか辺境の地までご足労いただいただけ、喜ばしい限りです。殿下自ら足を運んでいただいたおかげで、現場の士気もより一段と高まっております」


 フィリップ王子は俺の言葉にうんざりしたように手を振る。


「いいよ、そういうのは。僕だって馬鹿じゃない。皆の者がどう思っているかくらい、わかってるんだ」


 フィリップ王子は砦の窓から外に目をやり、遠い目で暮れなずむ空を眺めた。


「どれもこれも皆、国王である父君の命だからね。王族たるもの、その威光を王国の隅々にまで見せつけなければならないって。別に誰も僕が王位を継ぐことなんか望んじゃいないのに」


 そんな覚悟で激務の現場に来られるのも困ったものだが、王子の境遇を考えると気持ちはわからないでもない。

 だが上に立つ者として、それではダメだ。

 たとえどんな苦境にあろうと、常に堂々と構え威厳いげんを誇示し、にしき御旗みはたを立て続けるのも王族の重要な役目なのだ。


 よせばいいのに、口が勝手に動いていた。


「……おそれ多くも殿下に申し上げます。私のような分際に、いやしくも王子殿下のお立場でへりくだるなど、あってはなりません。国王陛下のおっしゃる通り、いかなる時も威厳を保ち続けてこその王族。私は殿下にその片鱗へんりんを垣間見ております」


 そこまで言い終えて、俺は青ざめた。

 一体、俺はどの立場で王族に意見などしているのだ?

 不敬罪で断罪されてもおかしくはない。


 フィリップ王子はそんな俺を笑って見返した。


「確かに君の言う通りだ。ありがとう。最近、ちょっと自信無くしててさ」

「……出過ぎた真似をいたしました。処罰は何なりと」

「いいよ。それより君、なかなか面白いね」


 フィリップ王子はテーブルの上のワインに目をやる。


「晩餐までの時間潰しにはちょうどいいね」


 なぜかグラスが2つ用意されていた。

 給仕が勘違いしたのだろうか。しかし、さすがにこれはまずい。


「大変申し訳ございません。余分なグラスはすぐ下げますので……」

「せっかくだから、君も飲みなよ」

「いえ、しかし……」

「いいじゃん、もったいないし。それとも、僕の言うことが聞けない?」


 王子は悪戯いたずらそうな笑みを浮かべる。


「……滅相もないです。では、お言葉に甘えて」


 俺は慎重に二つのグラスにワインを注ぐ。

 俺たちは軽く乾杯し、ワイングラスに口をつけた。


 上等なワインなど久しぶりだ。

 軽めで甘口だが、それでいて芳醇な香りが鼻に抜ける。

 食前酒として悪くない。

 ただ、いつ刺客が襲ってくるとも限らないので、俺は戦闘に影響が出ない程度に酒を控えておいた。


 どうやらフィリップ王子は気兼ねなく話せる同年代の相手を求めていたようで、しばらく俺はフィリップ王子の話し相手になった。


 酒のせいか、フィリップ王子は饒舌になっていた。

 宮廷での窮屈な暮らしと愚かな足の引っ張り合い。

 弟王子との軋轢あつれきと、玉座の第一継承者としての重圧。

 国の行く末に対する不安。

 他にも話は尽きなかったが、下級貴族である俺にとって、どれもこれまでの人生で縁のない新鮮な話だった。


 総じて俺が受けたフィリップ王子の印象は、初見と真逆だった。

 「前回」は気づかなかったが、お世辞抜きで名君になる資質を秘めているように思えたのだ。


 人の心の機微きびを理解しており、他者をいたわる思いやりもある。

 武芸の代わりに勉学にはげんでおり教養もあった。

 決しておごらず、客観的に物事を判断する力に長けている。

 権力欲は無く、本気でこの国の行く末を案じているようにも思えた。


 今の王子に足りないものは、威厳。

 そして、たとえ非情に見えても国のため時に英断を下せる決断力。

 それらを身につければ、ひょっとすると化けるかもしれない——


 俺はなぜか、多少の無礼なら許される気がしてフィリップ王子に言った。


「殿下とこうしてお話ができ、光栄の至りです。もし何かありましたら、何なりと私にお申し付けください」

「こちらこそありがとう。僕のつまらない愚痴に付き合ってくれて」

「いけませんよ殿下。先ほど申し上げた通り、目下のものに無闇にへりくだるのも、威張り散らすのもなりません。王族たる威厳と圧倒的信頼感を示すことが大事なのです」

「ああ、そうだったね」

「それができれば、殿下は本物の王になる」


 フィリップ王子はハッとした表情で俺の目を見る。

 心なしか笑みを浮かべているようにも見えた。


「僕が無事、玉座につくことがあれば、喜んで君を取り立てるよ。バルト・ハインライン騎士団長」


 その言葉に、俺は思わず感極まった。


 同時に、妙な言い方をするな、とも思った。

 フィリップ王子の王位継承権は、当然ながら第一位だ。

 順当に行けばこのまま玉座につくのは間違いない。


「身に余るお言葉。殿下が国王を継がれるのは確実でしょうから、その日を心待ちにしております」


 フィリップ王子は、なぜかうれいを帯びた顔を俺に向けた。


「……殿下、どうなされました?」

「いや、何でもない」


 突然、俺は身体にかすかな違和感を覚えた。

 急に強い眠気に襲われる。

 酒の量は控えていたはずだが、焦点がうまく定まらない。


 しばしの沈黙の後、フィリップ王子は何か決意を固め俺に向き直ったように見えた。


「君にだけは話しておこう。もし、僕の身に何かあったら——」


 フィリップ王子が俺に何かを伝えようとしている。

 目の前で失態を晒すわけにはいかないと踏ん張るものの、力が入らない。


「……の……トの者を訪ねて……」


 意識が朦朧もうろうとして、フィリップ王子の声がうまく聞き取れない。

 徐々に視界が真っ暗になる。


 まずい——


 俺は自分の身に何が起きたかわからないまま、そのまま意識を失い倒れた。

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