第1話

「……長、団長?どうされました」


 誰かが俺を呼ぶ声に、ふと我に返った。

 俺は驚いて目を見開く。

 横を見ると、俺の腹心で第三騎士団の副団長、フェラートが心配そうに俺の顔を見ている。

 長テーブルの両脇には部下の兵士たちが座っていた。


 ……何だ。一体、何が起こったのだ!?

 つい先ほど、俺は王都レーヴェの中央広場で公開処刑されたはずだ。


 それ以前に、ここはどこだ。

 部屋を見回せば、飾り気のない石組みの壁に小さな窓。

 テーブルを囲む騎士団の部下たち。

 この景色には見覚えがある——


 間違いない。

 ちょうど一月ほど前、フィリップ王子が何者かに暗殺された日。

 拠点防衛の砦で開かれた、朝の定例作戦会議だ。


 俺は頭が混乱した。

 まさか会議中に意識を失って、夢を見ていたのか?

 それにしてはあの一ヶ月はあまりにも長くリアルで、現実に起きたことを経験したとしか思えない。

 俺は迷信や奇跡の類は信じない人間だが、自分の意識が時空を越えて過去に戻ったとしか考えられないほどに鮮明な記憶だった。


 俺の様子に不信感を抱いたのか、他の部下たちも動揺した様子で俺を見つめている。

 フェラートが再び俺の顔をのぞき込んだ。


「連日の激務でお疲れなのかもしれません。少しお休みになっては」


 俺は混乱する頭を何とか全力で回転させ、把握できる限りの現状から、まずはフェラートの言葉に甘えて一旦この場を出ることにした。


「……ああ、すまない。自分が思っていた以上に疲弊ひへいしているようだ」


 未だに混乱の渦中にある自分の頭をもう少し整理する時間も必要だ。

 俺は立ち上がり、団長用にあてがわれた個室に向かった。


 フェラートが俺を気遣い、水を持ってきてくれた。

 俺は必死でこの朝の会議の議題を思い出す。

 そうだ……フィリップ王子の訪問対応についてだったはずだ。

 俺は水を一気に飲み干すと、フェラートに向き直った。


「……大分頭がすっきりしたよ。ありがとう。フィリップ殿下の出迎えと護衛についてだったよな」

「ええ、警備兵から二、三名であれば何とか対応に回せそうですが、それ以上は少々厳しいです」


 フェラートは渋い顔で首をひねる。

 そうだ。「前回」もフェラートはほぼ同じセリフを会議の場で言っていた。

 にわかに信じられなかったが、あの一月が夢ではなかったということが俺の中で確信に変わった。


 俺は冷静さを取り戻し、第三騎士団長だった頃の自分へと急いで頭を切り替える。

 そして、改めて一ヶ月前の状況を頭の中で整理した。




 大小の国々を間に挟み、大陸の南北に位置する二大国、ブレネン王国とファシュナイト王国。

 第三国の王位継承問題に端を発し、両国の戦の火蓋が切られはや半年。

 近隣諸国を巻き込んだ戦火は拡大の一途をたどっていた。


 俺が率いるブレネン王国軍第三騎士団はファシュナイト軍の侵攻に備え、大河を挟んで他国に接する北西の国境警備にあたっていた。

 前線配備の別部隊である第一・第二騎士団が破竹の快進撃を続ける中、国内予備軍として後方配備を命じられたのだ。


 血気盛んな兵や騎士の間では不満が噴出していた。

 名声とは無縁の地味な役回りだ。それも当然だろう。

 武勲ぶくんを立てたい若い騎士たちにとって、これほど不本意な配属はない。


 とはいえ国境警備も戦の重要な役割の一つ。

 俺は兵たちのガス抜きをしつつ、任務に支障が出ないよう方々に目を配っていた。


 視察の名目でフィリップ第一王子が来訪するという一報が入ったのは、ちょうど現場の疲弊ひへい鬱憤うっぷんが最高潮に達した辺りだった。


 王族が来る以上、それなりのもてなしが必要となる。

 ただでさえ多忙を極めている中、たわむれに物見遊山ものみゆさん気分で来られるのは迷惑な話だった。後衛と言えど、人手不足なのはどこも同じだ。

 俺は愚痴ぐちをこぼす部下たちをなだめつつ、フィリップ王子を砦に迎え入れた。


 そんな中、事件は起きた。


 俺が目を離している隙に、来賓らいひん室にいるフィリップ王子が何者かに暗殺されたのだ。

 正確に心臓を一突きされていた。

 おそらく手練れの刺客によるものだろう。

 周到に練られた計画だったのか、一切の痕跡が残されていなかった。

 さらにその場で犯行可能な人間が俺しかいなかったことが、運命を大きく狂わせた。

 俺は有無を言わさず捕えられ、そのまま断頭台へ直行する羽目になったのだ。




 自分の身に起きたことは未だに信じがたい。

 だがもし神がやり直しのチャンスを与えてくれたのならば、俺は全力であの悲劇を回避しなければならない。

 そして、真犯人を必ず見つけ出して見せる——


 そんな俺の心情など知るはずもないフェラートは、俺の横で憤りを隠そうともせず毒突いた。


「……しかし、この有事における現場の状況を中央はどの程度ご存知なのでしょうか。彼らの無理解にもいい加減愛想が尽きました」

「そう言うな。俺たち士官の給料には、中央と現場の調整役の仕事も入っている」


 はるかに年下で青二才の俺に言われるまでもなく、そんな事は彼にとって百も承知だろう。

 気のせいか「前回」よりも口調が荒くなっている気がしたが、構わずフェラートは続ける。


「そもそも私は未だに納得していません。我ら第三騎士団は重装備での突破力で軍随一の強さを誇る部隊。なぜ後衛の国境警備をしながら王族のお守りなど……」

「ファシュナイトに攻め込むには、大陸中央の『くびれ』に横たわる山脈を北へ越えなければならない。装備の軽さと機動力を考えると、先発としてはハンス第二王子殿下率いる第一騎士団が適任だ」


 俺はそう言って宥めたものの、フェラートは同意しかねる様子で続ける。


「しかし、三団長の中ではバルト団長が戦術・武術ともにずば抜けているでしょう。異例の若さで騎士団長まで駆け上がり、敵国の猛者もさどもからも『白銀の狼』と恐れられている」

「そう言ってくれるのは嬉しいが、中央としても何かしら戦略あっての采配だ。あとその二つ名、本気で恥ずかしいからやめてくれ……。一体、誰がつけたんだか」


 しかし普段から冷静沈着で理知的だった彼がここまで言うことに、俺は改めて危機感を覚えた。

 「前回」は気づかなかったが、俺が思っていた以上に現場の鬱憤うっぷんが溜まっている。


 フェラートは俺の表情から意を汲んだのか、そのまま口を噤んだ。

 しかし今まで愚痴一つ言わず俺を手伝ってくれたフェラートまでがこの有様では、いよいよまずい。

 たしか「前回」は俺も心身ともに余裕がなく、苛立いらだったままフェラートの意見をぞんざいに扱ってしまったことを思い出した。


 俺はフェラートに向き直った。


「フィリップ殿下の相手は俺が何とかしておくから、今日はお前が団長代理として現場の指揮にあたってくれ」


 フェラートは驚いて俺の顔を見る。


「いえ!私も手伝います。団長にばかり毎度面倒な仕事を押し付けるわけにはいきません」

「気持ちだけもらっておくよ。だが、ただでさえ人手不足なんだ。指揮官不在時、万一にでも国境で問題が起こるとまずいだろう」


 「前回」のことを考えると王子の護衛としてフェラートがいてくれた方が確実だが、さすがにトップの指揮官が二人とも現場を離れる訳にもいかない。

 俺は納得のいっていない顔のフェラートの目をしっかりと見据え、肩を叩く。


「これはお前だから任せられるんだ。どうか頼む」


 俺の言葉に、フェラートはぐっと身を引き締めた。


「身に余るお言葉。このフェラート、全力で国境警備の陣頭指揮をらせていただきます」




 「前回」と同じく、予定から2時間遅れでフィリップ王子殿下御一行が到着した。

 中央はなぜいつも現場の感情を逆撫さかなでするようなことを平気でやるのだろうか。

 手伝いに残した兵たちですら、明らかにイラついている。

 こういうことの積み重ねが謀反むほんの芽に繋がることを、中央には自覚してもらいたいものだ。

 冷静に考える時間ができたせいか、そんな考えが頭に浮かんだ。


 俺は防衛拠点の中心に位置する砦の前で、馬車から降りるフィリップ王子を出迎えた。


 年は俺より少し上くらいだろうか。

 線が細く色白で、長めの金髪に隠れそうなその目は何かを諦めたようにさえ感じられた。

 弟であり勇猛果敢なハンス第二王子と異なり、兄のフィリップ王子は幼い頃から病弱で、あまり屋外にも出ていないと聞いていた。

 全くもってその通りの印象だった。


 王位継承権は兄のフィリップ王子が第一位だが、巷では弟のハンス王子の方が次期国王にふさわしいのでは、との声がちらほらと出ていた。

 俺の部下たちの態度にすら、それが如実にょじつに現れている。

 有力貴族の中にも、すでにハンス王子を推す派閥が出来つつあると聞いた。


「第三騎士団長、バルト・ハインラインと申します。本日の案内役を務めさせていただきます」


 俺はひざまづきフィリップ王子に挨拶するも、王子は心ここにあらずと言った様子で俺を見た。


「君がブレネン最強とうたわれる『白銀の狼』か。噂は聞いているよ」

「私などに勿体もったいないお言葉でございます」

「しかし、こんな僻地へきちの配属ではさぞ不満も溜まっているだろう」

「……いえ、そのようなことは……」


 俺は王族からの突飛とっぴな問いかけに、返す言葉が見つからなかった。

 「前回」はこんなことを言われた記憶がない。

 二度目で油断したせいか、顔に不満が出てしまったのだろうか?


「試すような真似をしてすまない。今のは忘れてくれ。今日はよろしく」


 その後も王子はそのままどこか物思いにふけるように遠くを見据えたままだった。

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