アンバー・マジックアワー/黄黑天 2
「いつもありがと。今なら超音速で1時間だし、飛行機なしなら国内移動のが時間かかったりするよ。よく喋ってたけど、ホロやVRじゃなく、現実で会うのは初めてだね」
「いつもあなたの姿を見て、いかにかわいらしい花かということを皆でお話ししていました。会えて嬉しいです」
晩霧は両手を広げ、立っていた。満面の笑みだ。凄く嬉しそうに。
僕が彼を見ていると、彼は首をかしげた。
「ハグですよ」
僕は恥ずかしがりながら、歩いていって、彼を抱きしめた。
彼はぎゅっと抱きしめてきて、そうして持ち上げられた。優しい力で、まるで花瓶を触るかのようであった。
今の時代、非人間族が人間に対して肉体的接触をするだけで白い目で見られることもある。権力勾配だとか、そう言われる。
彼らのが、圧倒的に物理的力が強く、年齢も遙かに年上だからだ。
晩霧は、確か2000才を超えている仙人だ。二千年も生きていれば、そろそろ世界にうんざりしていてもおかしくはない。
「今日は帯刀してないんだ」
「見えないようにしています」
左の腰には、中国の細い直剣。きらきらの柄がついている。背中から中国式のクロスボウを釣るしていた。
背中には沢山の、太くて短い矢。
二つとも、赤と青の矢だ。
そうして、また視界から消えた。
「秘密ですよ。自分は今帯刀の権利がありませんから」
「軍を辞めた?」
「ええ。少し前、数日とか数週間前にね。しばらく休憩しようかと」
彼は、中華連邦陸軍西部方区直属の、特殊部隊の白虎旅団に所属してた。
四川の方だったと思う。非人間族の部隊だったかな。
「長く軍にいたから、そろそろお暇が欲しかったんですよ」
違う。彼は虐殺を嫌うものだ。相当、”オルドスの屈辱”が腹に据えかねているのだろう。軽く千人は死んだ、虐殺だ。
中華連邦陸軍の胡大佐が率いる、戦車だったか諸兵科連合の旅団が、モンゴル連邦帝国の国境近くにある、オルドス市に越境して行った虐殺だ。
モンゴル軍は、兵数が少なく、機動力が高い遊牧民型の軍隊と呼ばれる。
だから、国境管理が甘い。
そのすきを突き、そして致命的な対立を引き起こしている。
極北の大魔王は、今頃千キロ北の、ウランバートルで怒り狂っているだろう。
「あぁ。そういえば、張の手下の胡大佐がモンゴルに勝手に攻撃したもんね。晩霧は北京閥?」
「そうですね。張とは別の派閥です。彼は南方、そして一番の派閥拠点は海南ですから」
中国では、北京閥と、上海閥が政治的権力を巡って永遠に争っている。盤古は、権力闘争には口を出さないようプログラムされている。
議会、政党、軍、公務員を含め、すべての場所で致命的な対立を繰り広げている。
街のギャングすらもそうだ。
「しかし、優さん。全く、凄い時に世界旅行をなされましたね」
「ちょうど凄い対立になっちゃったけど、逆に今を逃したらもうチャンスがないかなって思って」
「いくらでもチャンスはありますけどね。世界旅行の後とかも!」
「へぇ。なにかいい計画でもあるの?」、僕は右手を振って笑った。
「秘密です。その時のお楽しみですよ」、彼は片目を閉じ、人差し指を口に当てて笑った。
僕は仏陀のように、口角の端を上げて返した。ほんの少しだけ、心がこもってる。
「中国でのガイドをかってでてくれて、こっちも感謝してるよ。今日はどうする?」
「今日中央広場で夜に祭があります。近くのカフェで待っておきましょう」
「いい場所知ってるの?」
「もちろん。大好きな場所です」
僕の手を、晩霧が引っ張って、そのまま進んだ。
噴水の段に、沿って歩く。石段は黒い大理石みたいで、光を反射させている。
「ちょっと待って」
リュックから傘ドローンを取り出し、噴水の向こうに飛ばした。噴水から落ちてくる水を、ドローンが傘で受け止めている。
そうして、ドローンは楽しそうな顔文字をホログラムで浮かべた。
すると、警備ロボが寄ってきて、怒りの顔文字を浮かべた。
僕はドローンを回収して、指をぱちんとならした。そうすると、ドローンは手に収まるサイズになった。
「それ傘の新型ですか?」
「そのはずだね。数年前ぐらい。雨に当たる回数が増えると、ポイントがもらえるんだ。
非人間族は傘あんまりいらないんでしょ?」
「武器が濡れますから。武器があるときは傘を差します。もちろん魔術でもいいですが」
「鉄や弓は濡れると悪いもんね」
「冷たいんですよね。世界を楽しもうとすると、やっぱりそのぐらいにしておかないと。温度も湿度も、なにも感じないでは面白くないですから」
そうして、リュックにドローンを詰めた。また、バイザーが震えた。
「そういえば、今回の旅行には結構な人数が来たがっているそうです」
「うん。二十数人が来る。早く皆に会いたいな。SNSで国ごとにガイドしてくれるって。だからその国ごとに合わせて
ルートを決めてる」
「最後には大所帯で移動することになりそうですね」
「かもね。楽しみだ」
噴水の向こうを進んでいると、ビルの真ん中で、ニュースが流れ始めた。
「中国軍は、総動員の可能性があると言われ、モンゴル軍は動員と動員解除を繰り返し、国境での緊張が高まっています。
欧州、並びに中東諸国は両国に強い自制を求め、フランスやインドは中国を強く非難しています」、ニュースの中で、誰かが言った。
20世紀後半、エジプト軍はそれを行い、イスラエル軍を混乱させた。
「欧州と中東は、虐殺に対しては特に興味がありません。彼らはいい商売相手ですからね」
景色は変わらないまま。ただ、夕方と見分けのつかない黄砂が空に広がっている。
それでも歩き続けた。人波は多く、肩がそこら中にぶつかり、足が踏まれる。
急に、圧力が減った。僕の周り数十センチには、全く人が来なくなっている。
「人払いです」、晩霧は、左手の上に紫のハートを浮かべた。魔法を使ってますよってことかな。
歩き続け、立ち止まった。目の前には、まさに中国の館といったイメージに、近代的でモダンなデザインが様々な部分にあしらわれた
カフェがあった。
瓦屋根の端がぴんと反り返っていて、沢山の赤いぼんぼりが垂れ下がっている。
看板には、漢芳茶館と書かれていた。
二階のテラスは、近代的な建築で、張り出していた。
「ここがそのカフェです。上海では、水郷の近くにありますから。手こぎ船の上の席もあります」
「うわぁ。風流明媚なところだね」
「漢芳茶館。二階のテラスは最高です。開いてるかな?」
晩霧が案内のホログラムを指でタッチすると、空席が表示された。
「よかった。開いてます。ここからだと中央広場が見放題なんですよね」
「よくそんな場所、誰も来てなかったよね」
「人払いの仙術を少しの間かけてたんです」
「法的に大丈夫?」
「顔が多少利きますから。中国は人治の国です。中国刑法第十三条では、犯罪にも質と量が問われます。これは日本法とは違いますからね」
「そういうのいいね。ユーラシア的温情ってやつかな」
「中原をユーラシアと呼ぶなら、確かにそうでしょうね」
晩霧が挨拶をし、二階に案内された。
中国特有の円をモチーフにした部屋の仕切りで、部屋の風景が、円を通して切り取られている。円の枠木の向こうには、ホログラムの水墨画が見える。
宋代美術かな。
他の部分も壁ではなく、木の板があるだけで、むこうを見通せる形になっている。
空中を、ホログラムの鯉が飛び回っており、客が触ることも出来た。
3Dプリントで作成された色とりどりの椅子に座った。セルロース素材の接着で、手触りが滑らかだ。
席に着くと、金色の夕焼けと、空を飛び交うドローンが見える。
空中に赤い点がふわりふわりと飛び、行き交う。まるで中世の港、行き交う船達を見ているようだ。
小さなドローンが、メニューを運んできた。
ドローンは空中に顔文字のようなホログラムを浮かべ、にこりと笑っている。
「何にしますか?」、ドローンがにこやかに言った。といっても、空中に笑顔が浮かんでいるだけだ。
「トロピカルジュースがいいです」
「じゃあ僕は、エスカモール饅頭と、七味龍飴と、七味ジュース」
そうすると、ドローンが机の上に、ホログラムを投影し、それの見た目や大きさがどういうものか表示した。
納得のいくものだったので、首を縦に振った。
「エスカモールですか?虫の卵ですよ」
「美味しいけどね」
浮かんでいるドローンを撫でると、照れた顔文字が空に浮かんだ。
「シェイシェイ!」、ドローンが言って、くるりと回った。
かわいい。
ドローンはその場にとどまって、南国の映像を表示しつづけた。
南太平洋の、海上都市。その美しさには目を見張る物がある。
そうするとすぐに、トロピカルジュースが運ばれてきた。
鮮やかな黄色だ。
ストローはカップル向けストロー。ハート型のストローがそこら中で曲がり、二つの吸い口が出ている。
「カップルストローです。一緒に飲みましょう」
「ちゅー」
晩霧の鼻の頭に、生クリームがついた。指ですくって食べると、晩霧は照れ笑いをした。
僕はそのシーンを瞬時に撮り、アップロードした。
そうすると、なんだかいろんな反応が返ってくる。
「今の、皆見てたよ」
「許可撮ってくださいよ」、彼は笑った。
「今日は暑いね」
「華北は年々暑くなりますから。こっちもそうです。そのうち、技術なしじゃ誰も住めなくなりますよ」
「内戦の時よりはマシかも」
「暑さより致命的ですからね」
「中国は、ものすごい回復力があったね」
「中国の利点は回復力ですから」
一時期、ユーラシア内戦が始まった。中国地域での内戦は、なんとか革命と呼ばれた。しかし、中国は奇跡的に、すぐ内戦を収め、また立ち上がった。
「今の食事は昔に比べてどう?」
「訳わかんないです。美味しいですけど、時についていけません」
「実験的な食べ物が多い気がするね」
「AIがいろんなレシピを作るし、食品工場もいろんなものを作るようになりました」
「番組も凄くいろんなものができてる」
「僕の時代は新聞すらなかったですからね。口コミか馬か手紙ぐらいですよ」
「いいよね。ロマンがある」
「当時は、何も思いませんでした。しかしそのうち、不便に思うようになり、今では懐かしく思います」
食べ物はまだ来ない。昔オリオンが解説してくれたが、客の回転効率などの問題で、食事を提供する時間がコントロールされているらしい。本来一瞬でできるものがあっても、カフェの多くは、ある程度時間を伸ばす。商売のためだ。
最初の飲み物は一瞬で持ってくるようだが。
オリオンというアメリカ最高のAIは、全てを教えてくれる、民間用最高のAIだ。ちょっとした、会社や国家機密程度も教えてくれる。
彼はなんでも知っているのさ。
「そういえば、今ここに来たけど。国境の近くだから、危なかったよね。そのうち南に行くけど」
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