は・い・ぼ・く♥

 宵闇バットの三時間弱にも及ぶ深夜電話を乗り切った鈴野すずの

 そんな彼女は椅子に縋り付くように抱きつきながら、固い座面を枕にして爆睡していた。


「うーん。あと五分ぅ……」


 夢うつつな浮遊感に身を委ね、二度寝へと洒落込もうとした寸前、脇のスマホがけたたましく音を鳴らす。

 むにゃむにゃと、言葉にもなっていない鳴き声で強引に夢の世界へ帰ろうとする鈴野すずの

 そんな彼女を阻むかのように、いつまでも、いつまでも鳴り止むことはなかった。


「んうぅ……。なんだよぉ……。こっちは」


 鈴野の感覚ではあるが、気が遠くなるほど鳴り続けるスマホに少しだけ目を覚まし。

 寝惚け眼のままスマホを手探りで掴み、まったく確認することなく画面の上で指を滑らせる。


「むにゃぁ……。あと一日……」

『起きてくださいお姉さん! 遅刻ですよ、ちーこーくーっ!!』

「んねぇ、結月ゆづきぃ?」

 

 画面越しから響いた大声が、鈴野すずのの脳と体を飛び起きさせる。

 あまりの衝撃に、ついつい首を振って周囲を確認してしまう鈴野すずのだが、直ぐさま正気に返ってスマホの画面へと目を向ける。


「……結月ゆづきてめえ、声がでけ──」

『うっさいです馬鹿お姉さん! 今何時だと思ってるんです!? 寝坊ですよ寝坊!?』

「あぁ? 時間ぅ?」


 ぐわんぐわんする頭を抱えながら、鈴野すずのは言われるがままに椅子から這い上がり、パソコン横に置かれた懐中時計で時間を確認してみる。

 針に示された刻は一、分は五。窓から覗ける空模様から考えると、十三時ということになる。


「……やべっ。寝坊した」


 浮ついていた思考が一気に形となり、急いでパソコンを立ち上げながら目を覚ましていく鈴野すずの

 ばちゃばちゃと顔を洗い、冷蔵庫に残っていたパンの余りを口へ放り込み、それから歯を磨いてからダッシュで椅子へと飛び込んで配信準備を進めていく。


「早く早く早く早く……!!」

『私切りますね。配信楽しみです』


 結月ゆづきの声など耳に入らず。

 焦り全開でソフトを立ち上げ、やる予定のゲームを起動し、マイクの位置を調整。

 そしてもう一度喉を潤し、三度ほど声出しして準備を終わらせ、配信開始のボタンを押す。


『一時間二十三分経過』

『ベルたんの遅刻って珍しいよな。姪ちゃんのモーニングコールとかないのかな』

『宵闇バット 情けないわね。私なんて九時には起きたわ』

『おっそ。ニートかよ……あ、配信者でしたね』

『カレー冷めちゃった』

『食えよ』

『草』

『おっ』

『おっ?』


「……ごほんごほん♥ はーい雑音ノイズのみんなー♥ ベルだよぉー♥ 元気ー?」


 最早雑談スペースと化した、何なら遅刻の元凶さえも当たり前のようにいるコメント欄。

 若干一名にちょっとむかついたものの、鈴野すずのはなるべくいつも以上の甘い声を意識して挨拶する。


「ごめんねー♥ 寝坊しちゃったー♥ 昨日の夜ぅ、ちょーっと友達のお悩み相談を受けていてねー♥」


『かわいい』

『かわいい』

『ちょっとまだ焼けてるな』

『これが昨日吠えてたあの女か?』

『やはり恐るべき変わり身』

『罰として姪ちゃんを出すべき』

『宵闇バット ¥1000 え、うそっ……。友達だと思ってくれてたの……?』


「んー♥ 誰のせいかなー♥ 是非ともベルにぃー教えて欲しいなぁー♥ ねー♥ 宵闇ちゃーん♥」


 果たしてこいつは、どの口でそんなことが宣えるのかと。

 コメント欄で謎の驚きを見せる諸悪の根源に、ベルらしくない皮肉を混ぜてしまう鈴野すずの


 いけないいけない。今の私はVTuberの魔法少女ベル。

 現実の魔法少女よりも魔法少女なベルは皮肉なんて言わないし、甘く蕩ける声で皆に優しい理想の娘。

 ……よしっ、だんだん調子戻ってきた。私もしっかり目が覚めてきたな。

 

「というわけで♥ 今回やるゲームはこちらぁ♥ 衝銀河アストロの瞳インパクト♥ なんとー♥ 買って以来埃を被っていた、割と最近のゲームでーす♥」


『あーこれね』

『アスインかぁ……あっ』

『あ、これかぁ!』

『¥1000 良いゲームを選んだね。流石は僕のベルだ』


「スパチャありがとー♥ クリアまでの平均プレイ時間が九時間らしいからね♥ クリアまで行けるか微妙だけどまあ頑張るよー♥」


 無駄に壮大そうな銀河、そして真ん中に青い球体が描かれたタイトル場面。

 最近同業者の中で流行りらしいアクションゲーらしいのでチョイスしてみたのだが、ロボだの宇宙だのにあまり興味が持てない鈴野にとって、そこまで食指が動くようなものではなかった。

 何だかんだ買いつつも積んでいたそれを手を出そうと思ったのは、ひとえにどこかの配信を覗いた際にプレイ画面を観てやりたいと思ってしまったからだ。


「というわけで始めるよー♥ ……あ♥ いつもの如く、ネタバレと臭わせを見つけたらその時点でコメント閉じるからそのつもりでー♥」


『はーい』

『はーい』

『イクゾー』

『宵闇バット もちろんよ!』

『ところでバットちゃんは何故ここに?』

『臭わせだろ、知らんけど』

『バットちゃんとかきっしょ』


 戯れ言ばかりで草も生えないコメント欄を置き去りに、さくっとゲームを進めていく。

 主人公のカノンが銀河の瞳アストロアイというどんな願いも叶える秘宝を探すため、滅びかけの自らの星を飛び出し旅するという中々に壮大な物語。


「けどあれだね♥ 願いを叶える玉ってつまりあれだよね♥ DBディバインボール♥ 私は個人勢だからはっきり言うけど♥ 原作四十二巻が最高にして至高だと思ってるよ♥ 他も嫌いじゃないけどね♥」


『原作厨で草』

『厄介勢で草』

『何で火に油を注ぐかなぁ』

『っていうかやば。こいつカーサス初見クリアしそうじゃん』

『はっ? ハイパーが一番だろ?』

GTグランドトラベルが最高なんだよなぁ』

『宵闇バット 私は全部好きよ! この前新作やったし!』


「あーうん♥ 藪蛇だったかなぁ♥ あっ、倒れちゃった♥ あっけなかったね♥」


 雑談を交えながら、初見で最初のボスを倒してしまったことにちょっとだけ焦る鈴野すずの

 灰になり、凝縮され、青い宝石へと変質したでっかい三つ角のカブトムシ。

 まあ流石に高難度と評されるだけあり、最初にしてはちょっとやるなと思い一度くらい敗けようと考えていた鈴野すずのであったが、雑談にかまけてつい倒してしまったのだ。


『えぐっ。カーサス初見はチート疑うわ』

『最適解じゃないから人力なのは分かる。けどやばすぎる』

『宵闇バット え、何それすっご。私は二日目までもつれこんだのに』

『そういや宵闇バットってこのゲーム投げてたよな』

『高難度ゲームの半分くらいは投げてるよそいつは。ネオでもっとも根気のない蝙蝠女だもん』


「え~バットちゃんクリア出来てないの~? ざっこ~♥ じゃあ今日で私が抜いちゃうねー♥」


『煽ってて草』

『メスガキ可愛いじゃん♥』

『¥10000 良いよベル。その調子で僕を罵ってくれ』

『なお中身』

『最高だろ?』

『宵闇バット な、何ですってー!!』


 最初こそ邪魔でしかなかったが、割と馴染んで且つ反応も面白いバットに楽しくなってきた鈴野すずの

 

 配信者同士のプロレスなんて初めての経験なのだが、何というか意外と楽しい。

 一般視聴者との殴り合いとは違う感触。一人でしか配信したことないからか、明らかにいつもと違うコメントの空気。

 私が弄る側だからだろうか。逆だったら違う感想なのだろうか。相手が宵闇バットという、そこそこ有名で交流に慣れている配信者だからだろうか。

 何でもいい。とにかく配信も自分の気分も盛り上がっている、分かる事なんてそれだけで十分だ。


「おっ、これ分岐かなぁ♥ せっかくだし、ベルはこの左のブラックホールを選ぶぜ♥ っていうかホワイトホールって実在するのかな?」


『あっ』

『あっ』

『あっ』

『ここ制作鬼畜だよなぁ』

『あーあ』

『いやでもベルなら余裕なのでは?』

『長時間コースだぁ。ちなみにホワイトホールはないよ』

『あるよ』

『にゃーんてにゃーwww』


 そんなこんなで二時間ほど経過し、感覚的にシナリオの中盤じゃないかと思えるくらいに差し掛かったのだが。

 主人公であるカノンに導きの妖精が示したのだが、露骨な分岐感のあるホワイトホールとブラックホール。

 前後に別段ヒントもなかったので、とりあえずと鈴野すずのは何も考えず何となくだけで黒い方に突撃を噛ましたのだが。


「え♥ え♥ 嘘でしょ♥ 何か明らかに密度が違うんだけど♥」


 その先に待ち受けていたのは、先ほどまでの比ではない、明らかに桁の違う密度の猛襲に固い敵。

 まるで難易度が二つほど切り替わり、その上裏面にでも放り込まれたようだと。

 基本的にはも雑談の余裕すら見せていた鈴野すずのでさえ、思わず声を上げながらゲームへと集中してしまうほどの難易度につい集中してしまう。


『はっ? はっ?』

『うまっ』

『上手すぎやろ』

『無言で草』

『ベルたんの無言は中々レア』

『¥1000 本気で挑んでいるベル、最高だよ』

『ありえへん。控えめに言っておかしいよこれ』

 

 無数の敵には時間と手間を掛けての突破を、回避至難の初見殺しには勘と気合いで対応を。

 ひたすらに、ただひたすらに敵を駆除し、くぐり抜け、主人公を少しずつ前に進ませる鈴野すずの

 鈴野すずのはひたすらに、配信中であるのすら忘れ、ひたすらに視線と指先を動かし続ける。

 脳への回路が悲鳴を上げる。息を吐くのも吸うのも疎かになる。どれくらい進んでいるかの確認すら面倒だと、何も考えず目の前だけに没頭していく。

 まるで気分は戦闘中、或いはそれ以上の没頭。遠い過去、現役の魔法少女であった頃の死闘を否応なく思い出させる緊張と刺激が、鈴野すずのを滾らせ熱中させていた。


「よしっ、よし……。あとどんくらいだ……? 落ち着け……。いけるいける、そうそう……」


『ノーミスとか最早怖いわ。プロでも無理だろこんなの』

『やっば。ボスまでいきそうじゃん』

『いやいやおかしいだろ。チートじゃんこんなの』

『キャラ崩れてて草』

『中の人出てますよー』

『本来ここって真エンド用で一週目は負けてまた後でってなる場所なんだけどな』

『宵闇バット はえーすっご』

『まあクリアは無理だぞ、絶対に』


 そして突入から約十五分後。コメント欄が最早驚愕を通り越し、恐怖すら見せ始めた。

 最後の包囲網を抜け、ついに束の間の演出に入った所で深く呼吸しながら指を解す。

 そうしてついに現れたのは、グルシオスと表記された、三つ首でいくつもの星の模様の描かれた銀豹だった。


「これを、倒せば……♥ 終わりってわけね……♥」


『倒せればな』

『アストロアイで二強と断言されたグルシオスに対し、疲労しながらも集中がピークになったベル』

『これって……』

『ああ。ベルの勝ちだ』


 騒ぐコメントをガン無視し、いざボス線へと乗り出そうとした鈴野すずの

 しかしその瞬間、鈴野すずのが操作していた主人公──カノンの体が両断され、そのままゲームオーバーの表記の数秒後には分岐の選択画面に戻されてしまっていた。


「はっ? えっ? ……はっ?」


『はい』

『はい』

『まあそうなるわな』

『¥500 アッパレワスレン』

『¥500 お疲れさまでーす』


 呆然とする鈴野すずのとは対照的に、予想通りと言わんばかりの冷静さで進んでいくコメント欄。


「……どういうこと? なんで死んだの? どうしてコンテニューが出来ないの?」


『このゲームにはノーコン前提、というか実質コンテ不可のステージが二つあります。そのうちの一つがここです』

『ちなみにあるアイテムがなきゃ不可視の斬撃は不可視のままです。上手く避けてもダメージは通りません』

『ちなみにダメージ通すためのアイテムと不可視を可視にするアイテムは別です』

『ちなみにこのゲームをプレイしたVの真エンド到達率は三割弱です』

『宵闇バット そういえばコン先輩がクリアしてたわね』

『あなたがコンテニュー出来ないのさ!』

『バット諦めて人の配信観てて草。まああれは並の腕自慢じゃ無理だ。俺も投げたし』


 大きく深呼吸し、数度瞬きをしてからようやく落ち着いてきた鈴野すずの

 どういうことかと、思考を取り戻してからすぐにコメント欄に目を向け、そしてその理由らしき数文をわざわざ声に出して読み上げていく。


「コンテ不可……はーあっ!? 嘘だろっ!! 何そのステージ!! ならせめて警告とか出せよ!! 令和のゲームのくせに!! っていうかちなみにちなみにちなみにうっせーよ!! ばーか!! ばーかっ!!」


 怒りが頂点に達した鈴野すずのは、荒い口調でそれをありったけぶちまけてしまう。

 息を乱しながらもすぐに正気に戻り、やってしまったキャラ崩壊に手を口に当てながら後悔してしまう。


『キレてて草』

『中の人出てますよ』

『¥1000 災難だねベル。けれどその姿が僕の力になるよ』

『¥500 宵闇バット 惜しかったわね。もう一回いきましょ』

『バットぐう畜で草』


「あっ。……ごほんごほん♥ ……うーん無理♥ 一旦休憩♥ 続きは夜から♥ じゃあね♥」


 どうにもへし折れ萎えた心では無理だと、鈴野すずのはさくっと配信を切り布団へダイブ。

 薄っぺらい布団と枕に顔を沈めて沈黙し、しばらくしてから腹の底から叫んでしまう。


「あ゛ーむかつくッ!! むかつくむかつくむかつくーッ!!!」


 足をバタバタさせ、初恋中の思春期少女みたいに悶え転がる鈴野すずの

 地団駄や衝動のみで怒鳴り散らすのとは異なり、ご近所さんに配慮した発散の仕方。

 まあ枕で声を遮断しているのは配慮出来るようになった成長の現れとかではなく、ただ今回はそんな流れだったからでしかないのだが。


 とはいえ何とか怒りを静め、軽く休憩してから再開しようと決めたと同時に鳴るスマホ。

 聞き慣れていないながら、特徴的で覚えてしまった音に体をびくつかせながらも、その音を鳴らすのはたった一人しかいないと乱雑にスマホを取って応答する。


「なんだよ!! こっちはへこんでるんだよっ!! っていうかなんで配信いるんだよ、バット!!」

『そ、そんなに怒ることないじゃない。……いると、迷惑だった?』

「そんなことはないけども!! うん!!」


 声が沈み込んでしまうの宵闇バットをキレ気味で否定する鈴野すずの

 流石に悪いなと何とか自省し、一度スマホを耳から離し、大きく深呼吸をしてから改めて近づける。


「で、何の用? 私はこれから夕飯食うんだけど」

『い、いや急に切っちゃって大丈夫かなって。コメントは心配してないみたいだし』

「まあ当然だろ。こちとら底辺でアイドル売りしてねえんだ。不意に倒れるとかでもなければ心配なんてされねえっつーの」


 

 それにしても、私の心配か。案外にかわいい所があるじゃ……いや、多分そうじゃねえな。

 これは多分依存だ。友達少ないやつ特有の距離感、そして追い込まれた気安く接することの出来る数少ない人間の自己防衛。そうでなければただの空気読めないやつだ。

 まあ私の推測が合っているかは微妙だけどな。何せ私も友達少ないし。何なら今はいないし。

 しかしこいつ、よくいけしゃあしゃあと顔出せるよな。

 今日の遅刻、九割くらいはこいつのせいだってのに。……おっ?


「……あ、そうだ。良いこと思いついた。おいバット、今晩か?」

『え、ええ。でもそんな露骨なオフ会はちょっと……』

「違えよ。ちょっと私のストレス発散に付き合えよ。昨日の詫びと、リハーサルだと思ってさ」


 珍しく閃いた名案に、液晶越しに首を傾げてしまう宵闇バット。

 鈴野すずのは声と偽りの顔しか知らない女の間抜け面を想像しつつ。

 我ながら妙案だと、自分の頭脳を褒めちぎりながら、その内容を話していった。

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