第2話 日の光



 ――ああ、これは夢だ。


「待ちなさいよ、玲人!」

「うるせぇな。姉ちゃんは、いつもうるせぇんだよ!」


 玲人は【プリン評議会】のギルドホームのエントランスで、スニーカーの紐をきつく結んでいた。このギルドは、玲人の姉であるチョコが作ったギルドだ。何故なのか、現実の記憶が消えると言われたのに、玲人達姉弟は、自分達が姉弟である事だけは覚えていた。


 ……いいや、何故なのかではない。

 互いに【祝福の場】と呼ばれる、最初に神様が願いを叶えてくれた場で、奇遇にもお互い、お互いのことを忘れないようにと願ったようだった。玲人も貴重な願いの一つを無駄にしたと思っている。


 他のギルメン達の姿は現在ない。

 それを見計らった早朝。出て行こうとする玲人に、チョコは気づいたのである。


「このままじゃみんなで野垂れ死にだ。俺はそんなのはごめんだ!」

「お姉ちゃんがちゃんと考えるから!」

「いいんだよ、もうそういうの! ここで敵を倒せるのなんて、姉ちゃんと俺だけだ。俺はみんなの面倒なんて見れねぇよ。じゃあな。頑張れよ、お人好し!」

「待っ――」


 チョコが止めようとしたが、強い決意をして玲人はギルドホームを後にした。

 その時、ギルドは【脱退】した。

 バタンと、軋んだ音を立てた扉が閉まったことをよく覚えている。


 その先には朝の光があった。



 ――そして今も、瞼の向こうに陽光を感じている。


「うっ……」


 そう考えて目を開くと、そこには見た事の無い天井があった。


「おう。起きたか」


 声がしたので、玲人は上半身を起こし、そちらを見た。


「なんかボロボロだったし、貧血か? 最近多いよな」


 そこには、椅子に座り腕を組んでいる青年が一人いた。二十一歳の玲人よりは年上、二十代半ばから少し上に見える。焦げ茶色の短髪で、逞しい腕が見える。拳闘家の出で立ちだ。立ち上がると、背が高いことが分かった。


「俺は【LEGEND】のオズ。お前は?」

「玲人だ」

「ここは俺の家だ。なにか食うか?」

「いいのか?」

「ん。待ってろ」


 そういうとオズが別の部屋に消えた。そして手に瓶と皿を持って戻ってきた。

 瓶の方は生産品の瓶ビールで、皿にはおにぎりが三つのっていた。こちらはNPCショップの品だ。


「……りがとうございます」

「あ?」

「ありがとうございます」


 おにぎりを両手で取り、勢いよく玲人は食べた。泣きながら食べた。

 頬がぐちょぐちょになっていく。おにぎりが塩辛い。


「……ま。この世界が悪ぃんだ。だろ?」

「……はい」

「な。まぁ、食え」


 泣きながら食べる玲人を、オズが優しく見守っていた。

 この時、玲人の中でオズは紛れもなく救世主であり恩人だった。


「お前、ギルドとレベルは?」

「……入ってません。Lv.127です」


 脱退してきた事を思い出し、玲人は俯いた。きっと、ギルドに勧誘されるのだと思っていた。


「それは都合が良いな」

「――へ?」

「探してたんだよ、スパイしてくれる奴」

「……は?」


 丁度三つ目を食べ終えたところだった玲人は驚き、涙も止まって目を丸くして、オズを見る。


「いや、今このポラリスタウンが【胡蝶の夢】と【LargeSTAR】のどっちかにつくギルドが多いってのは分かってるか?」

「ああ……」


 それを聞き、玲人は噂程度には聞いた事のある二つのギルドについて思い出した。


 まず【胡蝶の夢】。

 こちらは、まだなにも法律やルールのようなものがないこの世界……各街に、規則を設けようと働きかけるなどの姿勢を見えているギルドだ。たとえばNPCショップの品は、先着順の争奪戦ではなく、公平に分配してはどうかという意見には、玲人も頷いた事がある。また街の中で喧嘩などが始まれば、割って入る姿を見かけた事もある。盗みなども容赦しないという姿勢だ。


 ……だが、盗まなければ食べられないくらいひもじかった。

 玲人は三日前の最後の食事の時は、道を歩いていた、NPCショップからフランスパンを買った青年の紙袋から、リンゴを盗んで食べた。


 だから理想は理解できるが、今のこの状況下では必ずも賛同は出来ない。


 もう一つの【LargeSTAR】。

 こちらは助け合いを謳っている。支援のしあいを推奨している。

 まだ低レベルの者を高レベルの者が助けていこうという基本姿勢だ。

 その分、高レベルのものは、少し威張りがちで、してあげてやってる感があるという。


 ――こちらは論外だった。

 世間一般において、Lv.127という高レベルの玲人は、厚意で助ければ威張っていると言われる現状にも、そもそも自分が手一杯なのに支援しなければならないという実情にも吐き気がしている。


「【お真面目】さんと【俺TUEEE】さんだよ」

「……まぁ。そういう言い方できるだろうけど」

「だろ?」


 ニヤッとオズが笑った。そして腕を組む。


「俺のいる【LEGEND】は、キツキツで辛そうなギルドよりはだな? 楽そうな馬鹿っぽい方につくと決めてる。やっぱ、要領よくやらないとな。で、そういうギルドは多い。これじゃあ目立たん」


 オズはそう言うと、手を解き、ビシリと玲人を指さした。


「そこで【LargeSTAR】との繋がりと、【LargeSTAR】に情報を売るために【胡蝶の夢】に潜入するスパイ、場合によっては【LargeSTAR】の情報も俺達に渡すんだから、両方へのスパイが欲しいと常々話しててね。お前、両方に入って、俺に情報流してくれよ」


 なんでも無いことのようにオズが言った。


「情報……スパイ……」

「嫌なのか?」

「……」


 オズは口ごもった。理由は二つだ。もう一度、盗みという悪事に手を染めているのだから、この際スパイをしてもいいのではないかという考えはあるが、根が善良だから即断できなかった。二つ目は、姉に累が及ぶことが怖かった。


 だが考え直す。

 もう【プリン評議会】は脱退し、姉とは縁が切れている。

 それに悪事だが、それはオズへの恩返しになる。

 ――なにより、このまま野垂れ死にたくない。


「……分かった」

「そうこなくっちゃ。上手くやれよ。毎月四日、この家で報告会だ」

「ああ」

「ギルド枠は一つは開けておけ。仕事がもう終わったと判断したら、うちに入れてやるから」

「分かった」

「それとこの家に来られるようにフレ登録だけしておくぞ」


 フレ登録をすれば、フレンドの家に行ける。フレが鍵制限などで入れないようにしていない限りは、自由に行ける。


「じゃ、頑張れよ。あ、お前が来てたアバターは洗濯しといた。そこにある。その脇に、二百万ダリ入れた財布も置いといた」

「ありがとうございます」

「じゃあな。頑張れよ」


 歩みよってきたオズは、ポンポンと玲人の肩を叩いた。

 これが玲人の新しい始まりとなった。



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