第3話 ユキナ

 そのあとは趣味の話を聞いたり、いままでの交際歴を聞いたり、お互いの家族の話をしたりした。茂樹は今年二十八歳になる同い年で、マッチングアプリでは結婚相手を探しているのだという。「このまま孤独に死んでいくのは嫌ですから」。まだ孤独死を恐れる年齢であるとは思えなかったが、家庭を持ちたい欲求をそう言いかえることも可能だろうと考えれば、それほどおかしな言い分ではない。ただなんとなくその言い方に憐憫の情がわき、目の前の男性がとても寂しい人であるように感じた。

「次も会いましょう」

「はい、私は仕事もありませんし、調子が悪い時以外は会えます」

 そんな会話をして、LINEを交換し、駅前で解散した。その日のうちにカフェで会ってくれたお礼と次回の件についての連絡が届いた。次回は夕食を供にしようとのことだった。私は了承し、自宅の鏡の前で、この間買った服を体にあててみたり、らしくもなくベッドに香水をふってみたりなどした。二回目の夕食会もつつがなく終了し、三回目のデートに話は移った。三回目は茂樹が休みの日に県内で有名な遊園地に行こうとのことだった。私はこれも了承した。マッチングアプリで三回目のデートといえば特別なイベントが頭をよぎる人が多いだろう。ネット上に数あるマッチングアプリ攻略法やコツを指南するサイトの多くで、三回目のデートで告白しろと掲載されていることが多い。三回目のデートに了承することはすなわち、付き合ってもいいと思っているということでほぼ確実で間違いない。母親にさっそく遊園地に誘われたことを伝え、服装を相談した。もう一度、買い物に行き、入念に必要なものを揃えて準備をし、臨んだ。三回目のデートでは、何度も笑っていた気がする。感情の揺らぎを一年忘れていた私だったが、たしかに盛り上がりを感じた。予想通り、あたりが暗くなって、そろそろアトラクションに乗るのもいいかなと思い始めたところで茂樹は私に交際を申し出た。私は少し笑いながら、「ぜひお付き合いしたいです」と答えた。カップルが成立した。

 そこから同棲するまで三ヶ月もかからなかった。

 茂樹は結婚を目当てにマッチングアプリをしていたし、私には体調以外はそれを拒否する理由がなかった。体調が悪いとはいっても、寝ているだけだし、「それでもいいから同棲しよう」と言われてしまえば、拒否はできなかった。

 恋愛の楽しみのようなものを感じてはいたし、茂樹のことも好きだった。土日に県内の有名な食べ物屋さんを巡ったり、茂樹の応援するサッカーチームの試合を見に行ったり、同僚との付き合いでチケットを買わせられたというライブにも行くのも、自分ひとりではけしてしない遊びだった。私は発症前から暗く引きこもりがちだった。友達は美香以外はあまり親交がなく、土日は撮り溜めた映画やドラマを見て過ごしていた。茂樹のおかげで世界が広くなった。ベッドから起き上がるのはだるいし、起きられない日もあったが、できるだけ夕ご飯は用意するように動いた。これから、そうするつもりだった。

 K君の動画を停めて、私は夕飯の準備にとりかかることにした。今日も茹でるだけのパスタだ。週に二、三回はパスタを出している。

 帰ってきた茂樹は、夕飯をみて渋面になった。

「今日もまたこれか」

「……ごめんね」

 謝罪してみるが内心どうしようもないと思っていた。少し前から、茂樹は表の顔が少しずつ剥離してきていた。結婚するということは、パートナーのそういう面に耐えるということなのかもしれない。両親のことを思い出してみたが、私が小学生くらいのときから両親は喧嘩ばかりしていた。それは短大に入っても変わらず、私が社会人になるころにようやく落ち着いた。きっと、そういうものなのだ。そうに決まっている。

 茂樹は文句くさそうにしていたがパスタは完食した。

「洗い物は俺がやるよ」

「よろしくお願いします」

 短く会話し、平日の茂樹との会話はおわり。食後、私は病人らしくベッドに戻る。これから寝るまで、自室にこもる。茂樹は二人分の食器洗いや自分のぶんの洗濯をし、あとはひとりで読書をするのが好きらしく、一緒にいることは好まれなかった。

 食器を置いたシンクの隅の三角コーナーで、茶色く変色したレタスの葉が萎びていた。この片づけもたぶん、食器を洗った後に茂樹がやってくれるはずだ。

 自室の壁にはK君のブロマイドが十枚ほどと、コンビニプリントで配布された写真が飾ってある。奥の机には神棚風の飾りのなかに写真を入れた祭壇があり、K君の「歌ってみた」を違法DLしたCDが立てられている。

 私はベッドに横になり、スマホで統合失調症患者のコミュニティを開いた。話題はいろいろと上がっているが、障害年金のことを話している人がいる。すこしずつ私の貯金は減っている。茂樹との遊びや、家賃など。まだ結婚はしていないため、家賃や生活費は折半して出し合うことにしていた。そろそろ働かなければという気持ちはあるものの、発症後一年六カ月後に申請できる障害年金を申請している最中だったので、その結果次第でバイトかフルタイムか決めるのでいいかなと考えていた。それにベッドから起き上がる時間は、たしかに同棲前よりは長くなっていたが、健常者のように十二時間ほどの活動に耐えるかどうかは疑問だった。

 LINEオープンチャットの統合失調症患者のコミュニティではなく、Discordの精神疾患を持つ人のコミュニティに移る。ここでは統合失調症に限らず、双極性障害やうつ病、パニック障害などを持つ人たちが集まる。こちらのほうが開放的で、雑談が多かった。


 ユキナ:紗季さん、K君の新しい動画見ましたか?


 ユキナから個別チャットが飛んできていた。ユキナとは精神疾患を持つ人のコミュニティで知り合った。彼女は大学に通う配信者だ。YouTuberに限らず、さまざまなアプリやサイトの配信者に詳しい。当然、K君の動画もチェックしており、その話題で仲良くなった。

 昨日は夜中ユキナとチャットしていて、つい熱が入ってしまい、統合失調症の急性期にK君との妄想のあれやこれやを語ってしまっていた。引かれたかなと思ったが、案外、そんなことはなく、その場ではユキナが「配信者を好きになるのはおかしなことじゃないですよ」と同調してくれた。


 Saki:見たよ。クローゼット公開のやつでしょ?

 ユキナ:紗季さんに言ってなかったことがあります。


 ユキナは写真を送ってきた。なんていうこともない、服の写真だった。K君の動画さえ見ていなければ。


 ユキナ:私とK君は恋人同士だったんです。


 見間違えようのない、真っ黄色のオーバーオール。写真にはその女性サイズが映っていた。

 理解が追い付かない。なぜ、という疑問しかまだ浮かんでこない。登録者が十万人に届くK君と、一万人未満のユキナでは立場が違う。しかもユキナは山形県に住んでいて、K君はおそらく関東圏だ。私のほうがK君と住みが近い。


 ユキナ:この服はカップル動画をとろうと用意したものなんです。でも破局しました。

 Saki:え、待って。それを私に言ってくる意図はなに? しかも昨日、統失の妄想の内容言ったばかりなのに。自慢したいの?

 ユキナ:自慢というか、愚痴、みたいな。

 Saki:そういうこと外部の人に言ったらまずいってわからない? YouTuberなんて人気商売、噂になったら死活問題なんだよ? 配信者が好きならよくわかってるでしょ?

 ユキナ:それでもだれかに言いたくて。ごめんなさい。


 ユキナの謝罪を聞いても、私は悶々とした気分になった。もしユキナが秘密を吐露したのが、私じゃなくて、K君のガチ恋ファンだったら。タレコミされて、K君が謝罪動画を上げる羽目になっていたかもしれない。もしもK君がこれで配信をやめることになったら、ユキナが許せない。熱がわっと、私を急かして、なにか文句を書き連ねようと思考が加速する。


 ユキナ:でも、こういうこと言えるの、紗季さんだけなんです。甘えられるのは紗季さんだけ。私の味方は紗季さんだけ。

 Saki:そんなこと言われても納得できない。

 ユキナ:私の味方になってくれないんですか?


 こう訊ねてくるのは、ずるい。

 文字を打とうとした指が止まる。


 ユキナ:紗季さん、山形県まで来てくれませんか?

 Saki:どうして私を山形に呼ぶの?


 ユキナが写真を送ってきた。K君が寝間着と思われる赤いTシャツ姿で寝転んでいる。それはK君の、明らかにオフと思われる写真だった。画質の妙な粗さからもしかしたら、ビデオ通話のスクショかもしれない。


 ユキナ:悔しかったら私を殴りに来たら?ww

   なんの行動力もないババアには難しいだろうけどww


 境界性同一性障害。多重人格ともいわれる精神疾患を、ユキナはもっていた。突然、口調が荒くなったり、罵倒してきたりしても、冷静に対処していた。いままでは。

 私はスマホを投げるように捨てた。ベッドにあおむけで寝転がる。

 べつにK君が同い年ぐらいの女の子と仲良くするのは何の問題もない。交際だって、アイドルではないのだから自由だ。恋人がいたとしても悔しくない。所詮、私の抱いた恋愛感情は妄想だ。現実には私には婚約者がいて、おそらく、このままいけば結婚する。私の生活とK君は交わらない。私はこのままだ。統合失調症を患った者として生きていく。当然の人生を考えれば考えるほど、なぜだかとても息苦しい。

 ユキナからは住所が送られてきた。私はそれをスクショで保存した。

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