#2 「今日はしないの?」
部長に飲みに誘われたが、相変わらず首を横に振る。
愛想笑いは、新卒の時にもうし飽きたのだ。
少しでも顔が良い男がいればいいかもね。同僚にそんな事を口ずさんで、軽快に駅の階段を降りた。ユキは雨が降りそうな空を見上げ、ため息を吐いた。
帰り道に、仲良く腕を組みながら歩いてくるカップルが居る。
すれ違いざまに、「今日の夕飯はなにがいい?」と女の方が言っていた。おそらく新婚だろう。君がいいよ、という答えを期待しているんでしょ、馬鹿だね。
ユキはそんな風にしか思えなくなってしまった自分を少し憎んだ。
鍵を出そうにも、なかなか見つからない。
家のドアの前に棒立ちで、ほら中に居るんでしょ。鍵を開けてよ。と、同居人に声をあげる。すると、ドタドタと激しい音がした。
「ねえ、いるでしょ。ハル」
「…」
「開けて、開けて!」
「開いてるけど」
ユキは、はっとしてドアノブを静かに回す。
重い音をたててドアが開いた。靴が少しちらばっている。今朝はこんな風ではなかった。もしかして急いで開けたのか。
リビングに薄暗い電気が付いている。ユキが食べておいてと言った総菜が、ラップもされずに机の上に置いてあった。
「これ冷蔵庫に入れてって言ったよね」
ベットでスマホを見ながら、ごろごろとしている同居人は返事をしなかった。
横に置いてある大量のティッシュが気持ち悪い。
「…ハローワークは?行くって言ってたじゃん」
「やめた。行く気なくなっちゃって」
「勝手にやめないでよ。せっかくたくさん調べたのに」
ハルはため息をついて立ち上がった。
「俺の勝手じゃん。俺の人生だし」
ユキはもう言葉も出なかった。失望を通り越した先の、このぐちゃぐちゃした感情をどこかに追いやりたい。
「私の人生でもあるんだよ」
願うようにつぶやいたユキのその言葉は、ハルの耳に届かなかった。
ハルは散歩に行く、と部屋を飛び出していた。
もう何日も洗っていない折り重なった食器から悪臭がする。
皿洗いは、半年前に会社をクビになったハルの担当だ。ほぼユキが代行していたが、そんな気力も、もうない。
カップ麺をすする音が部屋に静かに響く。
前は、笑いで溢れていたはずなのに。
なんでだろう。いつから、こんな自堕落で。醜い関係になってしまったのか、ここ数年のせいなのだろうが、まったくわからない。
そんな時、ユキの会社の同僚からメッセージが来た。
「明日ハケンが来るらしい。履歴書みたけど、なかなかのイケメン。期待大」
同僚は婚活中で、手あたり次第男をあさるような性格だが、顔にはうるさい。
これだけには、期待しておく。
祈りというか、なんというか。もうなんでもいいから、小さな望みみたいなものを手に入れたかった。
ハルが出て行ってから何時間経ったかわからない。ベットにハルが潜り込んできた。
「今日はしないの?」
ハルが子犬のような、そんな声で呟いた気がする。
寝たふりをした。
そのあと、ハルのいびきが聞こえた。
そのまま、ずっと眠ってればいいのに。
なんて思いながら、ユキも目を閉じた。
午前三時のことだった。
#3 「奇跡って、こういうことなのかもしんない」
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