第40話 禁呪

「変異がまた進化している。まさか、虫が空まで〈割る〉とはな」


 残された時間は無いということか……と独り言のようにぽつりと呟き、エレナは自分の体を覆っていた特殊な防護風壁を解いた。

 見た目は何も変わっていないが、それのお陰で魔物の体液を浴びてもすぐに溶けなかったのだろう。普通であれば変異に飲み込まれた瞬間に消化され、影も形も残らない。

 または、同じ変異として再生される可能性はあるが、その時に〈以前のじぶん〉は失っている為、ただの操り人形だ。


「す、凄い……まさか、エレナサマの〈召剣〉が! ほ、本物を見れるなんて〜!!」

「お前ら、この程度の雑魚に手間取っているようでは到底イリアにもう一度逢う事など出来ないぞ」


 英雄の華麗な剣技に見惚れ足早に近寄ってきたルウを溜息混じりに一蹴し、エレナはどこからともなく出した短剣を再び空間の中に消した。


「──あれが、〈召剣〉か」

「悔しいけど、やはりあの女が英雄である事は間違いなさそうね」


 変異した虫を一瞬で倒したエレナの行動を虫のトラウマから復活したメルルとマオは冷静に分析をしていた。

 かつての英雄が使っていた〈召剣〉を今もなお使える者は殆ど居ない。

 その理由は幾つかあるが、人間族ヒューマン狼人族ウェアウルフはすでに無く、小人族ドワーフは召剣を作る技術のみ特化、|人魚》は魔法という形で継承している為剣は使わない。


〈召剣〉とは、元々小人族ドワーフの技術と森人エルフの魔力。そして人間族ヒューマンの調停があって始めて生み出されたものであった。

 リーシュが第一線で活躍していた頃は人間族ヒューマンの騎士団であれば誰でも振るう事のできるものだったが、時代と共に森人エルフは減り、小人族ドワーフも住処から出なくなってしまい、必然的にその技術は失われていき、今や幻とされている。


 エレナはざらりとした黒い灰を手に取り、ルウの前でバラバラと地面に落とした。


「お前は、これが何か解るか?」

「さっきの、虫の異形いぎょう?」


 エレナの求める答えだったのか、彼女は満足そうに口元に笑みを浮かべた。


「そうだ。これはアルカディアを襲う異形いぎょうを更に改良された〈変異〉。そして我々の、同胞が生み出した禁呪の成れの果てだ」

「きんじゅ?」

「禁呪ですってぇ!?」


 意外な事にメルルが2人の間に割り込んできた。ルウは全く状況が分からず首を傾げたままだ。


「き、禁呪ってのは神の意思に反した魔術のひとつ。そして冥界にいる悪魔との契約、供物を捧げ世界を壊す……はずよね?」

「そうだ、人魚マーメイド。その解釈で間違いない。あいつらは己がイリアに代わって神になろうとしているからな」


 確かに虫の変異が空から降ってくる事が物理的に可能であればアルカディアは簡単に崩壊するだろう。

 虫はあくまで尖兵レベルだと思われるが、あのように互いを捕食しすぐさま変異するものがあちこちに存在していたら──。

 ルウは恐怖に両腕を抑えた。アレは気持ち悪い存在なだけでなく、生物問わず捕食されるのだ。先程もエレナが居なければ食べられていたかも知れない。


「そ、そんな事が──」

「禁呪は神を否定する物だ。お前はイリアやリーシュの事を本で読んでいるのだろう? ならば何となく分かるだろう」


 エレナは小さな声で忌々しいと呟き、先程ざらざらと落とした黒い灰をブーツで踏み潰した。

 巨大な虫の死骸から生まれた大量の灰は風に舞い、空気に溶け薄暗い灰色の煙と化して消えた。しかし──


『ゲェッ……ゲェッ……エレナ。オマエ、ウラギリモノ』

「……まだ生きていたか」


 灰の残骸は再び1箇所に集まり、ひとつの巨大な目玉に変化した。その瞳は血走り、憎しみの炎を灯している。


『レンサマノジュンビ、オワリ。オマエ、ムダ』

「煩い──!」

『〈召杖〉カオス・ジャッジメント』


 エレナが一瞬で〈召剣〉した短剣で灰を再び切り裂いたとほぼ同時に、目玉は黒い光を放ち、空間の中から漆黒の十字架をつけた杖を〈召杖〉した。


「あいつも、〈召杖〉が使えるの……!? 嘘よ、そんな……」


 メルルは完全に青ざめていた。そしてあの不気味な黒い杖の正体を知っているように見えた。


「やめて……あれは……あれは!」

「メルル、大丈夫? しっかり……!」

「いやああああっ! 人魚なかまを呑み込んだ杖よ、冥界の……!」


 人魚マーメイドらは長年半魚人サハギンと戦っていたと言っていた。仲間は殆ど居なくなったそうだが、死者の魂はあの不気味な杖に吸収されたのだろうか。

 エレナは完全に変異の残骸である目玉を潰したが、1度〈召杖〉されたものは完全に破壊するまで勝手に動き出す。


「ちっ……厄介な冥界の杖を出されたな……」


 持ち主のなき杖は不気味な未だに黒い光を放ち、かつて死んだ者達の魂を丸めてひとつの塊へ変化させて地面にボトボトと無造作に落としていった。


『メルル……』

「い、いや……」


 足の力が完全に抜け、震えているメルルの横に黒い魂の玉が転がってくる。


『苦しい……メルル……助けて』

『ああ、焼ける……ミラルダ様、我らを……』

『どうしてあなただけ幸せそうに生きているの──私達と早く……』

『ねぇメルル、一緒に──シニマショウ』

「い、いやああああっ!!」


 頭を押さえて仲間の声を払拭出来ずに叫び続けるメルル。それをルウもマオも助ける事が出来ないでいた。


「くそ……こっちにも来やがった……」

『マオ──こっちへ来いよ』

「……タオはそんな事絶対に言わねえ……俺は自分が死ぬ時に全て償うって決めたんだよ。俺の為に命をくれたじっちゃんの為にもなぁ──!」


 マオは幻覚と割り切り、タオの魂に切りかかったが、虚しく剣は空間を割いたのみだった。


「な、何だこれ──手応えがねえ」

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