第39話 空からの侵略者

「違和感に気づいたか。我々が異形いぎょうを封じてリーシュが不在になるまでは確かに平和だった。問題はその後からだ、私の記憶がすり替わっていたのは」

「記憶が、すり替わる……?」


 ルウも違和感に気がついた。何故外に出た事がない自分は、灰色の雨を見て嫌いだと感じたのか。

 そして時折記憶の片隅に映る金髪の青年を、何故英雄リーシュだと思うのか。


「お前も記憶が何処かですり替わっているだろうな。何故グランが頑なにお前を外に出さなかったのかその理由を訊ね無かったのか?」

「弟子さん達も出してくれなかったし、別に困って無かったから……」


 確かに何度もオヤジに外に出たいと言った。穴倉生活に不満があった訳では無いが、外の世界を見て、英雄リーシュの足取りを辿って見たかったのだ。

 だが、グランから帰ってきた言葉は外の世界は危険の一点張りだった。勿論その危険である理由も教えてくれなかった。


「お前達小人族ドワーフは我々と同じく長寿な生き物だ。グランは己の記憶が少しずつ変化していた事に気がついていたはずだ。お前を外に出さなかったのは英雄に憧れる愛娘に〈創世神〉の気まぐれで記憶と世界が変化する──そんな思いをさせたくなかったのではないか?」

「そ、そんな……イリアサマはそんな……」


 エレナの言葉が間違いとは思わないが、崇拝しているイリアが悪く言われるのも耐えられなかった。混乱したルウは頭を抱えた。


「……お前はイリアを好いているようだから、この話はここで終わりにしよう。真実は本人あいつから聞け」

「エレナ、サマ……」

「──デ・クァン・フォレスト」


 エレナが魔法の言葉を呟いた瞬間、森の空気ががらりと変わった。彼女の張っていたルウ側の魔法障壁が一瞬で消えたのだ。


「ルウ!?」


 そして突然目の前に見えたのはマオとメルル。最初から彼らとは離れていた訳ではなく、魔法障壁によって隔たれていただけのようだ。

 マオは副官の森人エルフと対峙するのを止め、色々吹聴されてしょんぼりしているルウに駆け寄った。


「おい、ルウ大丈夫なのか? 怪我は?」

「うん……何ともない。エレナサマに逢えたし……」


 副官の森人エルフも瞬時にエレナの下へ移動し膝をついた。


「エレナ様、障壁を解いたということは……」

「あぁ。イリアに文句を言ってくる。ここは任せた」

「御意に」


 彼はまた違う任務があるのだろう。エレナへ頭を垂れるとそのまま姿を霧と共に消した。

 マオはルウが元気のない理由はエレナが期待外れなのかと勘違いし、彼女に向けて敵意を剥き出しにした。


「そうか、あいつが英雄……」

「──あいつとは失礼だな、狼人族ウェアウルフ風情が」

「なんだと……?」


 マオのこめかみがピクリと動く。今にも再び種族間で刃を交えそうな空気に、ルウは慌ててマオの前で両手を振った。


「ちょっとマオ、今はエレナサマと喧嘩してる場合じゃないよ! 早く風の精霊石を持ってオヤジの所に行かなきゃ」

「勘違いするな。私はまだお前を精霊石の担い手と認めた訳では無いからな。イリアに用があるから穴倉まで行こうと言うだけだ」

「ちっ……なんか癖の強い英雄様だこと……」


 ルウに諌められ、渋々剣を鞘に収めたマオにメルルが今のタイミングと勢いよく抱きついた。


「なんで小人族ドワーフとばっかりベタベタしてるのよぉ〜! 私だってさっきの森人エルフを足止めするの頑張ったじゃない」

「お前はいちいちひっつくな……! ほら行くぞルウ」


 メルルを半ば強引に引きずったまま先に森の出口へ向かうマオ。

 ルウは未だその場から動かないエレナの方に視線を向けた。


「エレナサマ?」

「──早く行け。ここは私1人で十分だ」


 ルウが再度エレナに声をかける前に、彼女は一瞬で天へと矢を引き縛った。

 次の瞬間、黒い小さな虫が空から大量に降り注いできた。


「うわわわわっ! 何これ!?」

「うえぇ……流石にこれはき、気持ち悪いわ……」


 ルウとメルルは一気に顔色を無くして虫から後ずさる。

 虫と1口に言っても指一本分にも満たないサイズなのだが、それが黒く大量に湧いているから不気味でしかない。しかも接触した互いを捕食しあい、その口には小さい牙がついていた。


「と、共食いしてる!? 気持ち悪い」


 完全にメルルは虫の気持ち悪い動きに失神しかけていた。渋々マオが彼女を支え、ルウは虫の異常行動をただ注視した。

 ただ共食いしているだけならば問題無さそうだが、エレナはまだ警戒を解いていない。寧ろ2発目の矢を放つタイミングを見計らって魔力を溜めているようだ。


「先に始末する方が早いか」


 虫が捕食し合っている中央に向けて2発目の矢が放たれる。その中央で巨大な爆発が起きる。

 空から降ってきたとは言え、虫であればそのまま全部燃やし尽くされる。誰しもそう思ったのだが、爆発の中から出てきたのは黒から白へ変色した巨大な虫であった。

 どうやら互いを全て捕食し合い、1番巨大なサイズへと進化したらしい。そして皮膚が変色したのは異形いぎょうから変異したのだろう。

 虫の外見に反して皮膚は異様に硬く、エレナが放った炎の魔力矢の残滓を地面へ弾き落としていた。


『ゲア……グア……ガガ……』

「ほう、虫の癖に知性と言葉を話すとはな。そこまで研究が進んでいるのか」

『ケス、オマエ、テキ──』


 虫の二言目ははっきりと伝わる言葉を話した。変異した事による異常な知性の進行に驚いたエレナが一瞬だけ隙を見せた。

 酸性の涎を垂らしながら、虫の変異はその口を開きエレナに喰らいついた。


「──〈召剣〉ジャックザリッパー」


 彼女が何かを呼んだのと、巨大な虫が想像出来ない速度でエレナを飲み込んだのは同時だった。バクンと虫の口が閉じ、エレナの姿も消える。


「エ、エレナサマっ……!!」


 まさかの結末にルウは目を見開いた。英雄がこんな一瞬で死ぬわけが無い。


『グ、ガ──アアアッ!』


 エレナを呑み込んだ虫は突然その巨体を捩り、激しく身悶えた。酸性の涎が飛び散り周辺を焦がしていく。


 白く変色した体の内部から更に白い光が放たれる。もう一度変異が咆哮した瞬間、その甲殻は綺麗に左右真っ二つに引き裂かれた。

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