第38話 記憶の捻れ

「我々は今シャルムと戦争状態にあります」

「シャルム……?」


 メルルへのナイフはあてがったまま男は言葉を続けた。


「故にエレナ様も私も、他種族を森に入れるのを良しとしていないのです。果たして貴方達のような者が本当に精霊石の担い手なのか──」

「……まあ、確かに俺達は寄せ集めだからな。元々精霊石はルウが〈創世神〉に言われただけで俺はその道案内だし、そいつは勝手についてきただけ」

「ちょっと〜ダーリン酷いじゃないのぉ……私だって半魚人サハギンの件であの小人族ドワーフを一応助けているわけだしぃ」


 メルルはナイフを当てられたままでもマオに文句を言い続けていた。動くなと言われているのに肝が座っている。


「──そうですか。では後はエレナ様の判断に委ねましょう」


 副官の男はメルルの拘束を解くと2人から距離を取り、戦闘態勢に入った。

 空気が変わった事でマオとメルルも面を引き締める。




 ──────




 エレナはいつまでもしがみついてくるルウを無理矢理引き剥がし、深い溜息をついた。


「……お前は、本当にイリアの命令でここに来たんだな? シャルム側のスパイではなく」

「シャルム?」


 その名前は本の中で見た事がある。昔は森人エルフらが住む国だったが、ある日悪魔に堕ちた者達が闇森人ダークエルフとなり、シャルムを滅ぼした。

 さらに、元同胞である森人エルフを悪魔に捧げており、今や怨念と悔恨の漂う曰く付きの大地だ。


(──レンがこんなにも鈍臭い刺客を放つ訳はないか)


「アタシは穴倉から出たことが無くて……精霊石集めの証拠って言われても困るんだけど」

「解っている。これが欲しいのだろう?」


 エレナは胸元から緑色に光る石を取り出す。驚いたのはルウの方だった。

 てっきりエレナよりももっとおじいちゃん的な森人エルフが持っていると思ったのだ。


森人エルフで今生きているのは私と副官のみ。後はシャルムに連れ去られた悪魔しか無い」

「どうして同じ種族なのに」

「どうして……か。それは私がイリアに聞きたい事だな」

「イリアサマに……?」


 エレナの酷く寂しそうな横顔に胸が傷んだ。今もなお元は同じ森人エルフ同士で争いを続けているのだ。


「あぁ。どうして同じ森人エルフの中でも価値観の異なる存在を創ったのか、どうして戦がないと生きられない種族を創ったのか、どうして各種族の暮らすべき大陸を隔てなかったのか──どうして、世界を壊すのか」

「世界を……壊す?」


 心臓が痛い。世界が壊れるではなく壊す──。

 漠然としてよく分からないが、何か凄く嫌な予感がする。すると突然ルウの頭の中は真っ白になった。


「お前は灰色の雨を見た事があるか?」

「えっと……異形いぎょうが出現した時に降ったりしてるあの雨のこと?」


 脳裏に穴倉近くに倒れていた人間族ヒューマンの血が過ぎる。そしてメタトロン帝国に居た変異。


「そうだ。異形いぎょうはこの世界の綻び。あれが出現すると言うことはイリアの世界が壊れ始めている事を意味する」


 エレナの話はルウにも分かりやすいようにかなり的を絞ってくれていたのだが、それでもレベルの違う内容に聞こえた。


「壊れ始めているって事は、この世界は無くなるの……?」

「お前は、この世界が不安定だと感じたことは無いか?」


 エレナは言葉が少ない。かなり端的な質問の意図はルウには理解出来なかった。


 産まれた頃から小人族ドワーフの仲間と父親、その弟子と皆で家族のように育ち、周辺の野草や狩りや畑を耕して自給自足の生活だが、特に不自由なく育てられてきた。

 ただ一つ、何故か絶対に洞窟から出るなとは言われていたものの、つい最近になるまでは別に言われた事を破って外に行こうという考えはなかった。沢山の本を与えられていた穴倉の暮らしが嫌では無かったからだ。


「えっと、ずっと洞窟に居たから……」


 古い記憶を辿ってみるものの、彼女の言う世界の不安定など生活の中で感じた事はない。

 何かの拍子に地盤が歪んだり、それこそ天災と呼ばれる地震は頻繁にあったものの洞窟の中は意外な事にさほど揺れを感じない。災害は災害だと仲間達も完全に割り切っていた。


 そしてグランに言われていた通り、洞窟から出た記憶もない。だが、不思議な事に初めて外に飛び出した瞬間、〈外が初めて〉という気はしなかった。

 さらにエレナの言う灰色の雨。

 初めて見たものであるのに、雨は嫌いだと感じた違和感。

 どうして穴倉から出たことが無いのに、雨は嫌いだと感じたのか。


「う、うぅ……」


 頭が猛烈に痛む。何かが上塗りされているような気がした。灰色の雨に隠された何かを、過去に見た気がする。


 創世神イリアはルウに対して「久しぶり」と言った。ドワーフは長寿であるから、覚えていないだけで遥か昔に会ったのだろう。

 それでも長年本で見て慕ってきたイリアに会ったのだ。もしも過去に自分が会っていたとしたら、絶対に忘れる訳はない。


「あ、あ……」


 記憶の断片が繋がらない事に頭痛が悪化してきた。目眩を覚え、心臓はバクバクする。混乱が酷くこれ以上過去を遡ると頭がおかしくなりそうだった。

 ルウは直感的に自分の記憶がおかしいと感じていた。下手をするとこれが自分の記憶なのか錯覚してしまうくらい知らない光景を見た事がある。

 エレナは英雄リーシュと共に1000年前を知る重大な方であり、間違いなく過去から現在に至るまでの真実を語ってくれる。

 しかし、彼女の話す内容は自分の崇拝しているイリアとは真逆。ルウはエレナの話をこれ以上聞いてはいけない気がしていた。

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