第34話 闇森人

「ふんふんふ〜ん♪」


 ルウはご機嫌に鼻歌を歌っていた。だが3人の置かれている状況はあまり良いものではない。

 妖精のいる迷いの森同様、魔力の強い森人エルフの森からは抜ける事も進む事も簡単には出来ないのだ。

 マオは何とか残した匂いを確認しながら進む道を探そうとするものの、何度も同じ場所へ戻ってきていた。

 森の中は光を受けて澄んだ空気はあれど、森に住まうはずの生物の匂いどころか生気すら感じられない。

 鼻の強いマオもついにお手上げと肩を竦めた。


「こりゃ、なかなか難しいかもな。森人エルフは気配を消すのが上手い。まして、俺らとは違って身体から発する匂いもそんなに無いだろうからな」

「ちょっと、きちんと身体の匂いは消しているわよ! 小人族ドワーフが土臭いせいじゃないかしら?」

「いや、俺たちがどうこうって問題じゃねぇよ。自然と共に生きる森人エルフは見た目の綺麗さに反して、侵入した敵には一欠片の容赦もしない」


 マオの不安は1つ。もしも森人エルフに死角から攻撃された時、隙だらけのルウを守りきる自信が無いのだ。

 そこそこ魔力感知も出来るメルルにいつまでもベタベタされては肝心な時に動けない。


「早く本で見たエレナサマに逢いたいな〜! リーシュサマとイリアサマ。エルフは全然ヒューマンと群れないって聞いていたのに、一緒に異形いぎょうと戦った英雄だし」

「お前なぁ……頼むからもう少し危機感を持ってくれ。ここは敵陣のど真ん中だぞ」

「えっ、だって精霊石集めに来たって伝えたら何とかならないかな?」

「……こいつの所でそれが通じなかったのを忘れたのか?」


 マオは呆れた様子でメルルを顎で示した。思い切りルウ達に敵対心剥き出しだったメルルはてへっと笑って誤魔化している。


「私はイリアが信用出来ないだけ。私が信用しているのらミラルダ様のみ。私達人魚マーメイドを守ってくれているのはあくまでミラルダ様なのよ」

「へーへー。分かったから退けてくれ」

「んもぅっ! ダーリンったら、陸でこんなに沢山歩く私は結構大変なのよっ」


 マオから強制的に引き剥がされたメルルは不満そうに唇を尖らせていたが、それだけではない。

 確かに彼女は慣れない人間族ヒューマンの足をつけてなんとか歩いてきた。

 ほぼマオにぶら下がっている状態であったとは言え、元々水で生きてきた彼女にとって、長い陸の時間は命を削るようなものだ。


「──それもそうか。これを目印にして……っと」


 マオは手短にあった細い木の枝を手に取り、それを3つに分けた。

 さらに地面には狼人族ウェアウルフにしか分からない記号をつけ、周囲に敵の気配が無いことを鼻を利かせ再度確認する。


「よし、ここを仮拠点にして少し休憩しよう──って、ルウ!? あいつ、一体何処まで行った!?」

「えぇ……さっきまで私達のすぐ後ろで英雄の名前ぼやいてニコニコ歌っていたじゃない」


 マオは常にルウの気配を感知しながら歩いていた。ルウは言葉を発さなくてもメルルの言うように小人族ドワーフ特有の匂いがあるため、基本姿は見えなくても鼻の良い種族にはすぐ見つかる。

 だからこそ、尚更彼女に隠密的な作戦は向かず、基本真っ向勝負となるのだ。

 それなのに、マオの鼻に先程まで感じていたルウの匂いが感じられない。この一瞬でだ。


「まさか──エルフの【幻術】か……?」


 訝しげにマオがそう呟いた瞬間、周囲の森がさらに白く魔力を帯びたように感じられた。

 長く歩きかなり疲れていたメルルも面を引き締め、両手でいつでも印を結べる体制になっていた。

 マオも警戒しつつ狩り用に持ち歩いている細剣に手をあてる。




 ────────




 いつの間にかマオとメルルから引き剥がされていたルウは英雄に想いを馳せる所ではなく自分だけが森で迷ったと顔色を無くした。


「おーい、マオー? メルルー?」


 森の中でふたりを呼ぶが返事はなく、帰ってくるのは何故か山彦のように反響する自分の声だった。

 森なのに声が反響する違和感。ここが普通の森とは違う何か特殊な空間になっている事だけは理解した。が、それを理解した所でルウに出来る事は少ない。


 いつ魔物に遭遇しても何とか出来るように……と愛用の槌を背中から取り出して両手に握る。


「うぅ……こ、怖い。どうか変な敵は出ませんように……」

『シギャアア──!』

「うわああああっ!」


 ブツブツと念じている最中、願いも虚しく茂みからルウと同じサイズの闇森人ダークエルフが出現した。

 しかし闇森人ダークエルフを見た事のないルウはそれに気づく様子もなく、条件反射で飛び出してきた黒い裸の獣を殴りつけた。

 一瞬でぺたりと地面に貼りついた闇森人ダークエルフはヒクヒクと痙攣したまま泡を吹いて意識を飛ばしていた。


「わわ、殴っちゃった……おーい、大丈夫? エルフなのかなあ?」

『ギギ……レンサマ、チカラ、ヲ』

「レンサマ?」


 焦点の合っていない闇森人ダークエルフはレンという名前を呟くとその身体に突然黒い瘴気を纏い始めた。

 生じた風圧に飛ばされたルウは木に背中を激しくぶつけて停止した。


「いだだっ……何、何なんだよぉ……?」

『オオ、レンサマ──チカラヲ!』


 瘴気に包まれた闇森人ダークエルフはよろよろと起き上がり天に両手を翳した。そして背中に黒い翼を6枚出し、細い両腕はさらに長く鋭い爪へと変化する。

 口からはボタボタとだらしなく唾液を零し、その白く粘ついた液が綺麗な森と地面を酸で溶かしていく。

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