第14話 変異


彼は手を緩める事は無かった。例え見た目が人の姿に戻ったとしても、一度敵だと視認した以上感情は持ち合わせていない。

──それが彼の2つ名の由来なのかも知れないが。


「対・異形いぎょうに対して何もしていない訳ではありませんよ。個々の能力向上」

「ディオ、ギス様……」


ディオギスの攻撃によって変異した獣はゆっくりとうつ伏せに倒れた。

法力は使う者以外の目には見えない力なので、ルウにはただ空間を叩いたようにしか見えない。

初手の攻撃で切り裂かれた傷は全て塞がっていたが、次にディオギスが放った法力はかなり通じたようだ。

獣の背中には大きな十字の痣が刻印されており、今もぶしゅぶしゅと黒い液体と灰色の煙を燻らせている。


「ディオって、もしかして凄く強い?」

「当ったり前ですぅ! お師匠様は強くてカッコ良くて、貧民街からの成り上がりと言われる程努力と才能をお持ちのお方なんですぅ!!」

「ほえぇ〜ただの神官じゃないんだ……」


感嘆するルウの言葉にさらに熱の入ったレノアが上乗せしてきた。


「お師匠様は、神官ではありませんっ!」

「えっ、何が違うの?」


定期的に穴倉まで来てグランの治療をしていたディオギスは確かに神官と呼ばれていた。

難しい名前を言われてもルウに人間族ヒューマンのシステムは分からない。


「神官は〈創世神〉に仕える側ですがぁ〜、お師匠様は皇帝閣下の為に力を振るうんですぅ」

「ね、ねぇレノア……アレ、なんかおかしいよ?」


このままレノアの熱弁を聞いていても良かったのだが、化け物が変な煙を出して転がったままという不気味な状況は変わらない。

まだ戦闘態勢を解いていないディオギスは眉を顰めた。


「本当に恐ろしい再生能力だな。これが変異か」

『ふ、ハハ──ワタシが此処に来たのは理由があるのだよ──氷の軍師ヘイルの懐刀である貴様ディオギスを殺すというな……!』


再度立ち上がった獣にもはや婦人の面影は残されて居なかった。話す声には機械音声と男の声が入り交じっている。

その男の声に聞き覚えがあるのか、一瞬だけディオギスが驚いたように見えた。


「お前は……まさか、シャルムの?」

『フッ。変異まで辿り着いた事は褒めてやろう。だがリーシュの居ない今、お前達が幾ら足掻いた所で、崩壊へ向けて何も変わらぬのだよ!』

「そんな事は無い!」


緊迫した2人の間に入ったのはまさかのルウであった。力を持たない彼女が小さく震えながら巨大な化け物を睨みつけている。


(怖い……けど、逃げたらみんな死んじゃう。それは嫌だ。折角ディオとレノアと仲良くなれたのに)


『非力な小人族ドワーフが何を吼える。貴様とてイリアにそそのかされただけであろう?』

「イリアサマを侮辱するな! アタシは……アタシは!」

人間族ヒューマンの振る舞いを見ても尚あちら側に味方すると言うのか? 貴様も分かったはずだ。こやつらは一定の群で存在するが違う群を一切受け入れない』

「そ、それは……」


確かに初対面の人間族ヒューマン3人に突き飛ばされたのは事実だ。心無い言葉も浴びせられ、ワクワクしながらディオギスの案内してくれたお店を覗いては中の客や店員からまるで化け物を見る目で追い払われた。

それでも、貧民街の人間族ヒューマンは違う。ルウが違う種族であっても快く受け入れてくれ、姿が見えなくなるまで感謝を伝えてくれたのだ。


「す、全てのヒューマンが受け入れてくれない訳じゃない! 絶対に、みんな話し合って解る日が来るんだよ! 英雄リーシュサマがそうしたように」


リーシュは〈創世神〉と共に各地を訪れ様々な種族から協力を得てセラフクライムに選ばれた。


『なんだ、貴様はリーシュの妄信か。──ならば貴様も死ね』

「わ、わわわわっ」


獣は6枚羽を8枚に増やし、その羽をまるで意思を持った生き物のように飛ばしてきた。追尾性能もかなり強く、躱したつもりがまた違う方向から向かってくる。

幸いな事にルウが小さいお陰で外れた羽のいくつかは床に刺さったまま動きを止めた。


「流石にこの狭い場所では不利だ。レノア、ルウさん。一度外に出ましょう」


ディオギスは小さく舌打ちをすると再び片腕でルウをひょいと抱え、3人は崩壊した屋根の上から外へ飛び出した。


「なに、これ……」


降ろされたルウはゆっくり屋根の上を歩き、見た光景に言葉を失った。

艶やかな人々が楽しそうに街を歩く姿は無く、燃える赤と灰色に染まるメタトロン城下町であった。

人々の逃げ惑う声、魔法や武器交錯する音が遠くから聞こえる。

視界の片隅に穴倉の近くで見た白い獣が数体街を焼き払い、城の方へゆっくり進んでいるのが見えた。どうやらそれを精鋭部隊が追いかけているようだ。


貧民街へ行った時は青空が見えていたのに、今はポツポツと灰色の雨が降り注いでいる。


──雨は嫌いだ。


ルウには思い出しそうで、思い出してはいけはい記憶がある。

いつもそうだ。これを思い出そうとすると頭が痛くなる。


「リーシュサマ……」


じわりと滲む視界の奥には腹部を貫かれて横たわっている金髪の青年。その表情は全てやり切ったように酷く穏やかで、心做しか解放された事が嬉しそうにさえ見えた。


『随分と余裕がある馬鹿な娘だ。死ね』

「ルウさんっ……!」


あれは、英雄リーシュの記憶だ。何故か分からないがそう断言できる。

長い間英雄に憧れていたので、絶対に間違えないという強い気持ちの現れなのかも知れない。

──ただ、灰色の雨がどうしてそこに繋がるのか分からないが。


ルウの中で何かがひとつの糸で結ばりかけた瞬間、彼女の真横を鋭い爪が貫いた。

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