第13話 氷の軍師


 人間族ヒューマンの中にある格差を見たルウの足取りは重かった。種族が同じでも互いに協力出来ない事が理解出来ないのだ。

 しかし、今回貧民街を見た事で‘’権力‘’というものが少しだけ分かった気がした。


 ディオギスが例えで言ったように、グランが種族を支配するような長であれば、ルウも今のように真っ直ぐ育っていなかったかも知れない。


「アタシ、オヤジに育てられて本当に良かった」

「はい。私もお師匠様に出会えて本当に良かったですぅ」


 2人は感慨深くそう言うと、貧民街の人々からありがとうと手を振られたままディオギスの家へと足を進めた。




 ────────




 それから一刻程経過。ヘイルから戻ってきたディオギスは気に入らない話しがあったのか表情が少し険しい。

 レノアが食事の準備をしている間、2人はリビングのローソファーに腰掛けていた。


「昨日、貴族街で殺人事件が起きたそうです」

「ディオと通った場所だよね? 今日も通ったけど……」


 先程貧民街へ向かう途中で中に入れない場所があった。彼女らの向かう場所が違ったので侵入はしなかったが、それが結果的に良かったらしい。


「ルウさんの無実は証明できましたが、他がどう出て来るか……」

「えっ、アタシが犯人になってるの?」


 ディオギスの発言に大きな目がさらに丸くなる。

 ルウにとってメタトロン帝国は憧れの英雄リーシュの故郷であり、一番行きたかった場所だ。

 しかし他種族への偏見が根強く残っているせいもあり、全て門前払いされてしまった。悔しい事に城下町の一部ですら散策出来ていないのだ。

 英雄リーシュの足取りを辿る事は己の全てを掛けると言っても過言ではない。それ程焦がれていたメタトロン帝国において、たった一度すれ違っただけの相手に殺人を起こす訳が無いのだが、全ての人間族ヒューマンを納得させる証拠が無い。


「事件が起きるとイレギュラーな存在に罪を重ねようとする。情けない話です」


 彼は心底悔しそうに唇を噛み締めていた。無関係のルウが犯人にされていたので、昨日今日と一人で奔走していたのだ。

 他種族であるルウがいくら無実を話した所で意見など通らない。──それが人間族ヒューマンなのだ。


「ディオ、ありがとうね」

「いいえ……謝らないといけないのはこちらの方です。──っ、穏やかではない客人が来たようです」

「えっ?」


 一瞬だった。鋭い爪が壁を切り裂き、中に侵入してきたのは。

 てっきり異形いぎょうが入って来たのかと思ったが、煙の中から出てきたのは真っ赤なドレスを身に付けた貴婦人であった。

 唯一その外見で違うのは右手だけが真っ白く15センチほどの長く鋭い爪がついている。


「こんばんは、ディオギス様。ご機嫌麗しゅう」

「我が家の玄関が見えませんでしたかね? メルシャン婦人ともあろう御方がこのような時間にどうなさいましたか」


 ディオギスはルウを抱えたまま、空いた左手は婦人に向けて魔法を放とうとしていた。

 それでも婦人はクスクスと笑うだけで避けようとする素振りも見せない。


「私、漸く〈力〉を手に入れたのです。氷の軍師ヘイルの懐刀と共に戦う為に」

「──悪魔とでも契約されましたか?」


 まだディオギスは手を緩める様子を見せなかった。表情も険しいままだ。


「お師匠様のお家を壊す奴は、誰が許してもレノアの敵ですぅ!」


 2人が対峙していた空間を切り裂いたのはレノアの短剣であった。

 彼女はやはり人間族ヒューマンとは思えないほどの動きでメルシャン婦人に立ち向かっていく。

 赤い鮮血があちこちに飛んだが、それでも攻撃され続ける婦人は喉の奥から声を出して笑い続けていた。

 レノアの攻撃を避けられないのではない、避けようとする動きさえしないのだ。


「フフフ、あハハハハ! この程度か、これがメタトロン帝国の新しい技術のレベルなのか」

「滅せよ、悪鬼」


 レノアが距離を取った瞬間、ディオギスから炎の魔法弾が放たれた。


「アァ──ディオギス様……! 破壊破壊ハカイ……ハカイ、ハカイ……ウウウアアア!!!」


 炎に焼かれながら婦人は悶えていた。所々で元の人間族ヒューマンに戻るようで女性の声と機械の音声と2つが入り乱れている。


「た、助けられないの? 可哀想だよ、あのヒト、ディオの事好きなんでしょ?」

「あれは悪鬼です。メルシャン婦人ではありませんよ」

「あ、うァ……ディオ、ギス様……」


 炎の残滓から、左右に歪な6枚の羽と4本足、鋭い棘と爪をつけた漆黒の獣が姿を表した。

 顔だけは僅かにメルシャン婦人の面影が残されていたが、酸に溶かされたように目の位置も口角まで下がっていた。


「ひひヒヒヒ……アヒ、アヒ」


 悪鬼と呼ばれた異形いぎょうは4本の足で天井に飛び、見た目に反する速度で左右へと動いた。

 いつ攻撃されるか分からない敵の不気味な動きにルウは硬直したままディオギスに抱えられていた。


「かったぁ〜い!」


 先に異形を攻撃したのはレノアだ。彼女の短剣が人間族ヒューマンの構造のままであれば弱点となる脊椎部分を貫くつもりだったが、既に中身は変異しており甲殻のように硬く、あっさりと剣は弾かれた。

 ディオギスは片手をルウを抱える事にしているので大魔法を使う事が出来ない。


(変異とは厄介な……ルウさんをとにかく逃がして)


「ディオ、アタシが邪魔で戦えないでしょ、降ろして大丈夫だから!」

「っ──レノア、ルウさんを頼みますよ」


 物理攻撃がメインのレノアの剣が通じないのであれば、あの硬い表面を魔法か法力で砕くしかない。

 ディオギスはそっとルウを降ろし、レノアが彼女に寄り添った所で法力を両手に集中させた。


「これを使うのは久しぶりですが」

「アァッ……! ディオギス様アァアァッ!!」


 変異は巧みに幻覚術を使い、元のメルシャンの姿へと戻してくる。

 普通の人間族ヒューマンであれば無抵抗の相手に対して殴るのか、と少しは動揺したのかも知れない。

 だが、彼は違う。伊達に氷の軍師と呼ばれている訳では無いのだ。

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