第9話 レノア


 家の中から間延びした愛らしい声がしたかと思いきや、地面からスっと白いフリルのエプロンを身につけた少女が現れた。


「えっ?」


 何故地面から? と考える間もなく、ルウがその少女を再び視界に捉える前に、残像は音もなく目の前にあるドアを開き、ディオギスが歩を進める度にフロアにあるテーブルに出来たての食事や飲み物を添えていった。


「え……っ?」


 殺風景だった部屋が、一瞬で生活感のある部屋へと変わった。まるで不思議な魔法に包まれたようだ。


「スゴい! 魔法? これが魔法?」

「魔法じゃありませ〜ん。これはぁ、レノアのお仕事なんですぅ〜」

「ど、ドコ!? 何!?」


 部屋の何処かから間延びした可愛い声は聞こえるものの、レノアと名乗る人物の姿は見えなかった。恥ずかしがって隠れているのだろうか。


「本来でしたらメタトロンの有名シェフの料理でも……と思ったのですが、異形いぎょうの所為で‘’制約”を出している店もあるみたいですね。どうか、我々の不躾な態度をお許し下さい」


 ルウの身体は漸く優しいフローリングの上に降ろされた。

 英雄リーシュが異形いぎょうを封印してから早1000年。

 最初にそれが出現したタイミングは不明、封印が解ける経緯や目的、生体状況は不明のまま。

 自分達が知らないものに対して人だけではなく、どの種族も気を尖らせるのも無理は無いのだ。


 メタトロン帝国は最初に異形いぎょうが出現したタイミングで魔物を捕獲し、魔力残滓を研究してきた事で他種族よりも防壁を作る能力や己らの武器防具を開発する知識に長けている。

 城下町に入る前に構築されている不思議な素材で出来た魔力防壁が彼らの研究の成果だ。例え部外者が侵入する経路を減らしたところで不安は尽きない。

 ディオギスのように帝国内部の人間族ヒューマンであれば問題無いが、先程の貴婦人らのように他種族に対して偏見を持っている者も多い。


「ヒューマンって凄いね! アタシ魔法は始めて見たよ。ディオ、こんな面白い所に連れてきてくれてありがとう!」

「ルウさん、貴女という人は……」


 ディオギスは己ら人間族ヒューマンの他種族に対しての偏見を恥じたつもりであったが、ルウは全く気にしている様子を見せなかった。

 それが演技でも気遣いでもなく、彼女の心底嬉しそうな満面の笑みにディオギスも胸のつかえが取れた気持ちになった。


「お師匠様ぁ〜、これはお洗濯ですかぁ?」


 再び間延びした可愛い声が聞こえる。今度はルウの真下からであった。


「うひゃああああ!!」

「はわわわわぁ?」


 どうやって出現したのか、メイド服の少女は床の合間からヌルりと出現した。

 黒いぱちくりした目が合ったと同時に、ルウは己の身体に視線を落とし大声を張り上げた。

 驚いたのかレノアもルウと同じような動揺した声を出す。

 何と、ルウが身につけていた衣服が一瞬で無くなったのだ。勿論脱いだ訳でも、何かに引き裂かれた訳でもない。

 裸になっていたのは一秒にも満たない短い時間だが、その代わりにフワフワしたタオルが体中に巻かれていた。

 2人のやり取りに全く動揺を見せないディオギスはゆっくりとヘイル用の白いローブを脱ぎ、シルクで織られたシンプルな貴族服に戻る。


「レノア、‘’お客様には丁寧に‘’と伝えたはずです」

「でもでもぉ、お嬢様に合うサイズのお洋服が無かったんですぅ。きちんと手配してますので、しばしお待ちくださいませぇ」

「あのぉ……このタオルもう少し緩めて欲しい。く、苦しい」

「はうぅ! レノア大失敗ですぅ。ごめんなさぁい」


 タオルを少し緩められ、手足は自由に動かせるように改良された。


「ほええ、スゴい……美味しそう」


 人間族ヒューマンの椅子はルウにとって少し高めのものであったが、タオルに包まれたままディオギスにひょいと抱えられ座らせられる。

 目の前には見た事のない料理が所狭しと並んでいた。忘れていた腹時計が返事をする。

 暖かいスープに焼きたてのパン、香ばしい肉の香りに新鮮な野菜と魚。


「た、食べてもいいの?」

「どうぞ召し上がりください。ルウさんのお口に合えば幸いです」

「本日の味付けは小人族ドワーフ仕様であっさりと。余計なスパイスを減らして素材その物を堪能出来るようにしておりますぅ〜」


 メイドの説明を聞きながらルウはパンと肉にかぶりついた。


「う……」

「ぅ?」


 黒いトレイを胸に抱いたレノアが不安そうにルウの真似をする。


「う、うまああああい!!」


 小人族ドワーフは元々シンプルな物しか摂取しない為、レノアが作る物は全く食べたことの無いものであった。

 彼女はあっさりと言ったが、やはりプロの味付けなので新鮮で素材が活きているだけではなく、何か分からないプラスのものが入っていた。

 舌が喜びを噛み締め、両目は幸せいっぱいに綻び、限界であったお腹は満足して輝いた。


「えへっ。お嬢様のお口に合えば幸いですぅ」

「アタシはルウだよ、お嬢様って名前じゃない」

「えっとぉ、お嬢様と言うのはぁ〜……」


 黒髪の少女は困ったように向かいに座りナイフで肉を切っているディオギスを見つめた。


「あぁ、ルウさんはルウさんですよ」

「分かりましたぁ、ルウ様ですねぇ〜!」

「その……サマを付けられるのもちょっと……」


 ディオギスの短い説明で状況を理解したレノアはすぐさま呼び方を改めた。が、やはり様は抜いてくれないようだ。


「紹介が遅れました、彼女は弟子のレノアです。私が不在の間色々としてくれています」

「レノアですぅ。よろしくお願いしますぅ〜」

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