第2章 いざメタトロンへ

第7話 いざメタトロンへ


 灰色の雨は上がっており、太陽が顔を覗かせている。赤い血の道筋も無くなっていた。

 これだけを見ると先程の兵士も化け物も、実は無かったのではないか?とさえ感じる。

 しかしあれが現実だと思い起こさせるのは、鼻に残る鉄の匂いだった。ルウの服にも先程救えなかった兵士の血痕がついていた。


「くぅ〜……眩しい。これが太陽ってやつだよね」


 先程は灰色の雨が降っていたので初めて外に出ても特に問題は無かったが、太陽の光が差し込んでいると話は別だ。

 暗い穴倉で生活しているルウの目が慣れるまで時間がかかりそうだった。

 目をゴシゴシ擦り、何度も明るさに慣れようとしている姿に一緒に出てきた神官がクスリと微笑んだ。


「ルウさん、申し遅れました。私はメタトロン帝国の王宮王族警護騎士団ヘイル所属のディオギス=マイデンと申します」


 グランが神官と呼んでいた青年は身に付けている白いローブのフードを外し、その素顔を初めてルウに見せた。

 人間族ヒューマンの職や階級などルウに分かる筈はないが、見た目はかなり若い。


「えっと……ディオマイさん?」

「呼びにくいようでしたら何と呼んでも構いませんよ」

「じゃあ、ディオ! アタシはルウ。よろしくね」


 彼が所属している部署はかなり位が高い為、近しい呼び方は禁止されている。

 あちらのルールで生きている重鎮が聞いたら卒倒しそうだが、ディオギスは初めてあだ名を付けられた事に喜んでいるように見えた。

 しかし刻一刻と時は過ぎる。表情を引き締め、彼は懐から少し大きめの地図を取り出した。


「事は急を要します。精霊石を集めるルートを確認しましょう」


 彼一人であれば簡単に移動出来る魔法を持っているのだが、ルウを同伴なので転移魔法は使えない。

 イレギュラーな事態を想定し、地図は縮小して常に持ち歩いているのだ。

 しかし──重要な話を始める前に、〈地図〉を初めて見るルウの瞳が子供のようにキラキラと光った。


「うわあ! アルカディアってこんなに広いんだ」

「そうです。〈創世神〉は多種族を生み出し、各々が過ごしやすい領域に集落を作るようにしたのでしょうね」

「ね、ね、アタシのいる所は何処?」

「今我々の立っている所が丁度この辺りです。北東に人間族ヒューマンが住む国メタトロンと数箇所の国家があります。──が、この辺りの話は難しいので必要な時にしましょう。

 北にある山脈を超えると狼人族ウェアウルフの国ガロン。中央辺りにある巨大な湖とその地底には人魚マーメイドの住む地があると言われております」


 ルウはディオギスの指が示す所を必死に追うが、点のようなものしか表記されていないので集落や国と言われてもまるで実感がない。


「イリア様に言われた精霊石って、ヒューマンとウェアウルフとマーメイドって事?」

「いいえ、それが違うのです。〈創世神〉は我々人間族ヒューマンに力を与える事を恐れたのでしょう。精霊石を継承されたのは狼人族ウェアウルフ人魚マーメイド、そして森人エルフです」

「エルフって……あの英雄エレナ様がいる所だ!」


 種族の分岐には疎いが、擦り切れるまで読んだ本に登場している人物であればすぐに名前が出てくる。

 エルフと聞き再びルウは憧れの存在に逢えるかもと胸を膨らませた。


 森人エルフのエレナはかつて英雄リーシュと共に異形いぎょうと戦った者の一人だ。

 彼女が戦いの後故郷に帰ったのか、何処かで暮らしているかの表記は無かったが、共に異形へ立ち向かった事までは記されている。


「エレナ様は何処にいるの?」

「英雄エレナが未だ存在しているかは分かりませんが遥か西に集落があると言われております。ですが、今の我々だけでは接触すら難しいでしょう」

「何で?」


 英雄が異形いぎょうを放置する筈がない。きっとこの異変に対してエレナも動いている。

 ルウは勝手にそう考えていたが、ディオギスは重い口をそれ以上開こうとしなかった。


「ディオ?」

「いえ……こちらの話です。エレナ様はともかく、彼ら森人エルフ人間族ヒューマンを敵視しております。国家の問題になりますので、これ以上は伝えられませんが」

「ふ〜ん……なんかよく分からないけど、リーシュ様がいる国なんだから、みんなが大変になったら仲良く出来るんじゃないかな?」


 ルウの極論にディオギスはふっと口元に笑みを浮かべた。皆が手を取り合える環境であればどれ程良いか。


「ええ、ルウさんの仰る通りです。英雄リーシュが存在していた頃は小競り合いも収束したのですが──やはり権力というものはヒトを狂わせるようです」

「権力ってなぁに?」

「そうですね……例えばグラン様が弟子ではなく、知らない小人族ドワーフをも支配する事です」

「オ、オヤジはそんな事絶対にしないよ!」


 小人族ドワーフは家族のように仲良くがグランの考え方であり、弟子や娘に対して一切態度を変えない。

 大好きな父親を貶された気がしたルウは必死にディオギスに食らいついた。それでも彼はひとつ頷いただけで表情を変えない。


「あくまで例えの話です。グラン様は例に見ない優秀な小人族ドワーフですから」

「ほえぇ、オヤジは凄いんだ……」

「そうですよ。英雄リーシュの剣を生み出したのは、世界を救ったのはグラン様ありきですから」


 偉大な父の存在にルウが顔を綻ばせたと同時に、緊張の糸が解けたのか彼女の腹時計がぐうと盛大な返事をした。

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